「参考資料として読んでおけ」ってことで、取引先から1冊の本が送られてきた。

 

遠藤誉著 『毛沢東 - 日本軍と共謀した男』

 

これが、稀に見るトンデモ本

こんな本を読むことを強いられるのは

まさに、「苦行」である。

 

=======引用開始========

 

「駐支」の「支」は「支那」の省略で、当時は中国のことを「支那」と称していた。

「支那」の語源は中国を初めて統一した秦の始皇帝にちなんで

「シン」をギリシャ語・ラテン語でSinaeと書いたことが起源であるとされ

孫文自身も中国のことを「支那」という言葉で表現しているが

「満州事変」を「日支事変」と呼んだあたりから、一種の蔑称へと変わっていった。

(同前P131)

 

=======引用終了========

 

上記の引用文を読むと、「3つの疑問」が浮かぶ。

 

(1) 「支那」の起源

 

「『支那』という呼称が『秦』に由来する」、というのは無問題。

 

だが、その起源がなんで、いきなり欧州言語になるんだ?

 

遥か彼方の欧州に到達するまでに

中央アジアやインド、ペルシャなどを通過しなければおかしいだろ。

 

宮脇淳子氏によると

「インドの文献では、「秦」のことを「チン」と表記していた。

その文献が支那に伝わり、翻訳する段階で

支那人が、「支那」という漢字を当てた」

ってことだが、こっちの方が正しいんじゃないか?

 

(2) 「満州事変」を「日支事変」と呼んだ

 

これって、所謂『十五年戦争史観』だろ。

 

「昭和6年 (1931年) の満州事変勃発から

昭和20年 (1945年)の大東亜戦争終結まで

日本と支那は戦争状態にあった」っていうやつ。

 

でも、昭和8年 (1933年) の塘沽協定成立以降

昭和12年 (1937年) の支那事変勃発まで

日支間に軍事衝突はないから。

 

だいたい、「満州事変」「支那事変」は、全くの別物だろ。

 

(3) 「支那」が蔑称へと変わっていった

 

「支那」という漢字が侮蔑的な意味を含んでいるのは事実。

 

まぁ、俺ごときが説明するまでも無く、誰でも知っていることだが

支那での王朝交代は、「易姓革命」を伴う。

 

だから、新しく成立した王朝は

前王朝の歴史を否定し、侮蔑的な呼称を付ける。

 

例えば、支那唯一の女帝「則天武后」

「牝帝 (ひんてい)」という蔑称で呼ばれている。

 

上記の通り、「チン (秦)」という記述があったインドの文献が支那に伝わった時

当然、「秦」は滅んでおり、別の王朝が成立していた。

 

そのため、「前王朝に対して侮蔑的な呼称を付ける」という慣習に則って

支那人自身が「支那」という侮蔑的な漢字を当てた。

 

つまり、「『支那』は蔑称」と言いたいのであれば

それは日本人起源ではなく

当の支那人が造った蔑称である。

 

文句があるなら

支那人同士で内ゲバでもやっとけ、馬鹿。

 

なんで、こんなトンデモ本を元にして仕事をしなきゃなんね~んだよ。

 

苦行 その(3)

本当に、教えてもらいたいので再掲する。

 

================

 

俺には、水道局に勤務して、労働組合の事務を担当している友人がいる。

 

奴の名誉のために断わっておくが

奴は、特定の政治的な思想信条を持っているわけではなく

真面目な奴だから、組合の事務はキッチリと勤務時間外にやっているので

どこぞの腐れ左翼どもとは大違いだ。

 

数年前、その友人に誘われて

自治労や日教組などキチガイ公務員労組が主催して

日比谷野外音楽堂で毎年開催されている集会&デモに参加したことがある。

 

どこの労組も、普通は複数の組合員を派遣する。

 

なぜならば、人数分の日当が支払われるため

その金を使って飲み食いできるからだ。

 

しかし、友人が勤務する水道局の組合は

珍しく赤に染まっていないため、派遣されたのは友人一人だけだった。

 

そんで、「時間を持て余してしまうから付いて来てくれ」と頼まれて

俺も見物がてら冷やかしに行ってみることにした、というわけだ。

 

集会の目的だが、賃上げについてガーガー騒いでいたので

民間企業の春闘のようなものだと思う。

 

集会は1時頃に始まり、15分おきくらいの間隔で使い走りのような奴が

日比谷野音のステージ上に、息を切らしながら駆け込んできては・・・

 

「今、代表団が交渉で、譲歩を勝ち取りました!!!」

 

みたいなことを叫んでいた。

 

集会が終盤に差し掛かるとデモのために、一旦、日比谷野音から出て

「労働者を守れ!!!」みたいなシュプレヒコールを上げながら

労使交渉が行なわれているビルの周囲を練り歩いた。

 

デモが終了し、日比谷野音に戻ると

またしても先ほどの使い走りが駆け込んできて・・・

 

「皆さんの声が代表団に届き

全面勝利の形で交渉を終えることができました!!!」

 

と叫んでいた。

 

妙に芝居がかっていて、わざとらしかったので

「これ毎年、同じことやってんだろ?」

と友人に尋ねたら、ウンザリした表情で頷いた。

 

友人によると、演出も台詞も毎年、同じなんだそうだ。

 

そんな集会だから、基本的にどの組合員も白け切っている。

 

イヤイヤ参加しているのが手に取るように分かった。

 

そんな中で、ガチな団体が一つだけあった。

 

日教組だ。

 

流石、キチガイの中のキチガイである。

 

目付きがヤバかった。

 

キチガイ共産主義者特有の、あの目付きだ。

 

さて、すべての予定が終了すると、団体ごとに点呼が始まった。

 

友人と俺は、水道局労働組合の代表者のところに行き、「1名です」と伝えた。

 

すると、代表者が俺の方を指さして、「その人は?」と聞いてきた。

 

友人は、「こいつは、ただの見学で、関係ありません」と正直に答えた。

 

1ヶ月後、組合の口座残高を確認すると・・・

俺の分を含めた日当、「2万円」が振り込まれていたそうだ。

 

正直に「1名です」と言ったにもかかわらず

なんで、俺の分の日当も出ているんだよ???

 

念のため断わっておくが

俺の日当「1万円」が振り込まれていたことは事実だが

俺は受け取ってはいない。

 

それにしても、あんな馴れ合い丸出しの集会に参加するだけで

「日当1万円」て高過ぎないか?

 

そもそも、「日当の原資」はなんなんだよ?

 

組合費かとも思ったが、組合費は各組合が集金して

個々の組合で使う金だから、そんなはずはない・・・と思う。

 

まさか、税金じゃないだろ~な。

 

このド左翼のキチガイ公務員どもの集会で

支払われる日当ってどっから来るんだ?

 

誰か教えてくれ!!!

「参考資料として読んでおけ」ってことで、取引先から1冊の本が送られてきた。

 

遠藤誉著 『毛沢東 - 日本軍と共謀した男』

 

これが、稀に見るトンデモ本

こんな本を読むことを強いられるのは

まさに、「苦行」である。

 

同書に、次のような記述がある。

 

=======引用開始========

 

毛沢東は日本軍が国民党軍をやっつけてくれたことを喜んでいた。

日本に抵抗するどころか、むしろ日本に対して感謝していた。

その事実を隠したがっているのは

「毛沢東が亡くなった後の中共」なのである。

(中略)

 

なお、靖国神社参拝批判が80年代半ばから盛んになった背景にも

こういった毛沢東の「抗日戦争観」が関わっている。

日本の少なからぬ論客が、靖国参拝に関する中国の激しい抗議に対して

「中国は80年代半ばまでは抗議していなかったじゃないか」

という主旨の発言をしているが、それに対する回答を

論客達自身が見出していないように思う。

 

その回答は、ここに書いた事実にある。

これにより現在の中国がより鮮明に見えてくることを期待したい。

(同前PP123-124)

 

=======引用終了========

 

こいつが言いたいことは、アレと同じだろ?

 

「スターリン批判」

 

「生きている間は怖かったけど、死んだから好きなことが言えるぜっ」

ってやつ。

 

昭和51年 (1976年) 9月9日、毛沢東が死亡。

 

遠藤は、毛沢東死亡以降、支那共産党は、「皇軍の進攻に感謝」という言葉を封印し

大々的に、所謂『日本軍の侵略』に抗議を始めたって言いたいわけだ。

 

日本の保守言論人は、遠藤誉が書いているように

「中国は80年代半ばまでは抗議していなかったじゃないか」

などという台詞を馬鹿の一つ覚えのように叫んでいるわけでは無い。

 

また、誰でも知っていることだから、改めて書く必要は無いが

反日日本人、支那共産党の

「A級戦犯が合祀されるまでは抗議しなかったが

A級戦犯が合祀されたから抗議を始めた」っていうのも大嘘。

 

昭和53年 (1978年)、所謂『A級戦犯』を合祀。

昭和54年 (1979年)、所謂『A級戦犯』合祀を発表。

(所謂『A級戦犯』については、『新聞記事のレベルではない』を参照)

 

ところが、それから6年後の昭和60年 (1985年) 突如として

朝日新聞が中曽根首相 (当時) の靖国参拝を批判する記事を書いた。

 

この記事を持って、支那にご注進したのが

あの悪名高き加藤千洋という大売国奴野郎だ。

 

そんで、支那共産党が

「これは外交カードに使えるね」って気付いちゃったって話。

 

遠藤誉の言う、「毛沢東の『抗日戦争観』」

なんてものは全く関係無い。

 

所謂『従軍慰安婦問題』と同様に

反日勢力がそこら中に放火して回っただけ。

 

この遠藤誉とかいうババアは、エラそうに

「その回答は、ここに書いた事実にある。

これにより現在の中国がより鮮明に見えてくることを期待したい」

なんて書いているが・・・

 

「鮮明に見えてくる」どころか

お前、なんも知らんじゃないか (#`皿´)<怒!!!

 

苦行 その(2)