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お次は犀ヶ崖(さいががけ)戦場跡へ
その後夜中に奇襲をかけて武田軍を崖下に突き落としたのが犀ヶ崖。この時徳川軍は崖に白い布を渡し、橋がかかっているように武田軍を欺いたとか(諸説有り)
当時より地形は浅いもののここから人馬もろとも落ちたらヒトタマリもないっす。(;・∀・)
さてさて資料館へ。
静岡県出身のジオラマ作家の作で色塗りは地本の小学生がやったそうです。

これは関ヶ原の戦いのようす。
下:武田軍に終われる家康。(因みに一番先頭を走ってるのが家康。)
そう部下の甲冑を着けて逃げている。影武者がいるんです!その影武者が夏目吉信。
夏目漱石のご先祖様!
この夏目の子孫が生き残ってなかったら、夏目漱石は存在してなかったし、「こころ」も「我輩は猫である」も世に出なかったでしょう。
影武者の家系が生き残り、その子孫が文豪になるとは徳川300年の歴史は伊達じゃない‼何かこれだけでも小説や時代劇の脚本に十分使えそうじゃないですか⁉
同じ敷地内に本多忠真(本多忠勝先輩の叔父上)を祀った婢がありました。三方原の戦いで家康を守り散った武将です。忠勝先輩、直虎劇中で武田軍の重臣、山縣を討ち取った場面がありましたが、叔父上の仇もあり悲願だったのでしょう。(´;ω;`)
しかし忠勝先輩の9尺の槍を持ってしても倒せなかった武田軍恐るべし‼
後は資料館のガイドの方から面白いエピソードもいくつか。
実はこの犀が崖の戦いの後、武田軍の亡霊が浜松に災いをもたらしたそうな。家康は武田軍の亡霊の怒りを鎮めるために始めたのが「遠州大念仏」
銅鑼みたいに派手な音が鳴るかと思ったら、余韻が長く包み込むような優しい音でした(お寺の鐘の音をマイルドにした感じ)
地名に関する面白い話もありました。三方原の戦いで敗走中にあまりにもお腹がすきすぎた家康。立ち寄った饅頭屋で腹ごしらえをしていると、後ろから武田軍が!
家康代金も払わず逃走。饅頭屋のおばあさんと武田軍に追われて散々な目に。饅頭屋のおばあさんに代金を支払った場所に「銭取」という名前がついたそうです。(市内のバス亭に銭取という名前があった)
うーむ阿部家康なら絶対にコミカルに演じたに違いない!でも天下人であっても食い逃げダメ絶体!(笑)
ガイドの方、「浜松の人は歴史に興味ないのよ~」と言ってましたが、浜松歴史の宝庫で創作ネタに事欠きません‼もっと推しても良いぐらいです(^^)d
歴史の裏話を沢山聞けた所でお次は瀬名様のお墓参りへ。(続く)

























