実質はじめまして。
xisa(きさ)と申します。
このブログを更新するのも久しぶりですね。
近年だとXのほかにnoteなどもあるのでブログという媒体自体が若干古臭いのですが、2006年からやっているこの謎のブログにそれなりに思い入れがあるので、せっかくだし…。
さて、このブログを知っていて、かつ私のことも知っている人というのは中学~専門学生の頃がメインです。
なので「今あいつなにしてんのやろ」と誰かが思ってここに来る可能性はあるわけですね。もちろんほぼ無いとは思いますが…
むしろ最近私の方が「あいつら今なにしてんのやろ」と思うことが多くなりました。
それも念頭に学生時代からやっていたことの『その後』と、近々の活動内容をまとめたものをツラツラと書いていきたいと思います。
ようはひっっっっっっっっっさしぶりに暇を持て余したので、自分語りでもしようかということです。
よろしくお願いします。
地元である新潟から出て一人暮らしを始めたこと、そこからさらに移動して新天地で働いているのは、イベントとしてやはり大きいでしょう。
それは同時に、私の職業変遷にも自然と通じます。
新潟ではまぁ、なんともうだつの上がらない日々でございましたが、ひょんなことからフィギュアの複製会社(RCベルグという界隈では有名な業者です)に就職することになり、静岡へ引っ越し、そこで数年働かせていただきました。
ありし日の看板
フィギュアの仕事に関われるというのは、知りもしないのに原型という言葉をやたらと使っていた身としては刺激的かつ夢のようでした。
さらに、ワンフェス等のイベント用原型を作っている以上避けては通れない複製。そのフェーズの勉強として非常に大きく、同時に神原型を見られる機会も多かったため、そういう意味でも意味のある場所でした。
おそらく勘違いする切っ掛けであっただろう、『依神紫苑』
ただ人間、欲というのは湧いてくるものです。
フィギュアに関わる仕事であればなんでもいいやという消極的な思考は鳴りを潜め、次第に出てくるのは「原型師になりたい」という願望でした。
これは専門学校時代の、本当に最後半で抱いた夢であり、実際素人に毛が生えた程度のものはちょいちょい作ってはいました。
そして無知がゆえの全能感から、今のままでもなれるものと勘違いしていました。
そこから失敗と失敗と、これまた失敗と上手くいきません。
でも焦らなかったのは、今の仕事もそれなりに満足しているという保険からでした。
が、そこである切っ掛けが生まれます。
コロナ禍による、会社存続の危機です。
イベントのフィギュアをメインに仕事を得ていたがために、イベントの自粛が相次いだ結果、会社そのものの維持が難しいかもしれないという通達が社員のもとに届きました。
ただでさえ当時は、材料費の高騰が取りざたされていた時勢でしたから、考えうる限り最悪のタイミングでした。
あれは本当に今考えても冷や汗ものです。
今となっては非常にお忙しいと聞いているので、本当にあの時だけではあったのですが、それでも生活の基盤が揺らぐというのは心を急かすのに十分でした。
デジタル造形をはじめた時期の『埴安神袿姫』
原型師を目指すにはデジタルは必須であろうということで、以前から用意はしていました。
なので在宅で出来るデジタルによる原型仕事を探し、実際にそれを手にすることになります。
ですが、これが完全なる判断ミス。
この時点では一応、会社員として働いている身。
全日をモデリングに費やせないにもかかわらず、さらにそれを先方は知っているのも関係なく、専業モデラー並の速度とクオリティを要求されます。
勿論、仕事としては当然求められるのはわかります。しかし何も知らない人間にそれを達成できるわけもなく、結果的に「自分で自分の仕事を評価してください。それに合わせた額を払います」という言を最後に、見限られてしまいました。
これですっかり心は砕けてしまい、私は原型師を半ば諦めました。
フィギュアメーカーに入ったと同時に制作をはじめた『洩矢諏訪子』のwip
そんな出来事を私は知人友人に漏らしており、それがさらに切っ掛けを呼びます。
モデリングソフト、Zbrushの操作を教えてくれた方から「知り合いの会社を紹介しようか」と提案されます。
その会社は私も存じ上げる会社であり、正直非常に驚きました。
元々RCベルグに従事していた複製経験をメインに交渉を進め、「原型制作にもたまにでいいので関わらせてほしい」という部分も含めて納得していただき、静岡にて在宅からはじめることになりました。
ただこれもまた大変で、自分が今までやっていたZbrushの使い方は本当に上澄みであったのだということと、原型師という仕事は内容のカロリーに関わらず、大変なものなのだと理解します。
静岡の住まい。引き払った哀愁
そんなこんなで2つほどの案件が終わり、さらに新しい原型案件をはじめた頃。
ついに東京への引っ越しが正式に決まり、静岡を出ます。
たった3年ではありましたが、いろんな思い出があったので、結構寂しかったのを覚えています。
ただワンフェスというイベントの共通性から、RCベルグの社員や内部の友人とは今でも交流があります。ありがたいことですね。
そして出社しての初めての原型師としての仕事。
教えてくれる先輩や、他の社員さんも自分より若い人ばかりでした。幸い歳をあまり気にせず、教えてもらうことはしっかり呑み込めたので、ここは自分のプライドの無さが上手く機能したのかなと、珍しくプラス思考でした。
とにかく諸先輩方を追いかけ、上手くならなければ…。
必死に食らいついていく中、ある仕事が舞い込みます。
フリュー様のブランド、TENITOLの霊夢と魔理沙
本当にアサインされたのは偶然だと思います。
ですが、自分が商業の東方フィギュアの原型を担当することになったのです。
私は長らく東方というジャンルのフィギュアを同人で作ってきました。
商業で東方を作るのは、夢でした。
何なら霊夢と魔理沙という二大主人公の造形は、いずれ挑戦しなければと思っていました。
それが早々に現実となったのです。
この二つは私の経験値の低さから非常に苦戦し、先輩の手も煩わせてしまったのですが、何とか形となり、発売されました。
作業机の横に実際の商品を飾っているのですが、今でも信じられません。
しかも第三弾の妖夢までも担当させていただいており、本当に感無量の思いです。
ここ数年の個人作品、飯綱丸龍と饕餮尤魔
勿論、これに満足するわけではなく今でも同人、仕事共に日々頑張っています。
まだまだ納得いかない時もあるし、もっと出来ただろうと思うときも多いですが、とにかくフィギュアを作り諦めの悪い駄々をこね続けてようやくつながった『原型師』としての道ですから、これからもより一層精進していく所存です。
そんな自分の変遷をまとめたと言っても過言ではないリメイクを今制作しています。
およそ8年前、本格的にガレキ用の原型を作ろうと決めた、犬走椛です。
新旧椛比較
こう見ると、本当に変わったなと…。
私にとっての原点。
その椛を改めて作るというのは、今がいいかもしれないと思ったのです。
というわけで、新作の椛の仮出力の原型展示を5/3(金)の例大祭にて行います。
あぁ、すまない
宣伝なんだわこれ
というわけで第二十一回博麗神社例大祭、「せ51b」にてお待ちしております!!
詳細は私のXにて!
当日はよろしくお願いしますね!!
ではまたいずれ!!