こんにちは、初めまして
一年に一回は書きたくなるんですかねここに
2026年初で
多分2026年最後のブログです
多分ね
1年ぶりに自分のブログを見返してみて思ったことは
ああ、そんなことでも苦しんでたなぁ
そういえば
です
その時苦しかったことをその時に書くと
あとから自分が見返す時に良いですね
なんか分からないんですけど
忘れてたものが蘇ってくるのが
いいですね(?)
すみません開始早々 語彙力が皆無で
ですがこんな感じて雑談を長く続けるつもりは
このブログを書いてる時点で当たり前に無く
本日もちょいと重いブログ内容になっちょります
でも今までのブログ見て頂ければ分かる通り
キャラ違いますよね
それは何故なのか
今この段階で言っておきましょう
絵文字つけるのめんどくせぇ
今はそんな余裕ないんじゃいということです
ということで本題に入ります
私は去年の7月の後半ら辺から
徐々に苦しむことになりました
お馴染みの母が原因ですね
ですがここで誤解のなきよう
説明しておきましょう
母が悪い訳では無いのです
かと言って私も悪い訳では無い
誰かが悪いとかではなく
母も私もどちらも不器用で
特に私は繊細なんです
それぞれの考えで
それぞれの優しさで動いているんです
でもそれが合わなかった時
私が崩れてしまう
・・・理不尽でしょう?
でも私は私が崩れてるのはわかるけど
母は、私が崩れてしまっているのを
感じ取れてないように
私もまた、母が辛い時苦しい時
感じ取れていない可能性も勿論ある
だからこそ相手にわかってもらおうとばかりせず
私が母の事を理解するため
お互いの心の負担を減らしたい
たった一人の親と仲良く生きていたいからこそ
私は“母と私のため”
という名目のもと
11月から今まで
ずっと考えることをやめませんでした
「お母さんと仲良くするには
どうしたらいいんだろう?」
「私の考えはどこが変なのかな?」
「私が母に対してイラッとしてしまったり
ストレスを感じるのは
私の考え方が原因なのかな?」
考えをノートに書き、可視化する方法で
私なりに整理していった
はずだけど
どうにもこうにも上手くいかない
考える量も時間もどんどん増していく
母がピリピリしてる時
ちょっと理不尽なことで怒られた時
「こうされて私は悲しかった」
そう伝えた時
「私はこうするしか無かった」
と言葉を投げかけられた時
『私の傷付いた気持ちは無視なの?』
そう思った時
やっと気がついた
母は私の“苦しい”のSOSが
全く届かない人なんだ
母は私のことを愛してくれている
私のことをいつも考えていてくれてる
それは生まれてきて
母の子供として育てられてきて
一緒に生きてきて
身に染みるほど感じているし
感謝している
でもそうじゃなくて
私の苦しいが
娘の“苦しい”が
母親、自分が原因だと
思えない人なんだと
思わないんじゃない
思えないももしかしたら違うかもしれない
分からないんじゃないか
知らないんじゃないか
だから私が辛いことを勇気を振り絞って言っても
何一つ伝わらないし
「私はこうするしか無かった」
と自己防衛的な発言をしてくる
私の
『お母さんのこういう行動で
私辛くなっちゃった』
というメッセージが
母目線
『この子は私を責めてる』
と感じているのは
認めるということ
つまり親のプライドか大人としてのプライド
そのプライドが働いて
認めるということができない
もしくは『私を責めている』と母が感じるのは
過去に責められる経験を沢山しているせいで
気づいていないトラウマ的なものがあり
私のただ 辛くなってしまった という話が
『私を責めている』
そう感じさせてしまっているのではないか
そう考えた途端
私は母に何も言えなくなってきてしまった
母にどんな言い方をしても
伝わらないのだと
わかってしまった
思えば今まで理解してくれたことはなかった
なぜ自分を痛めつけてしまうのか
どれだけ辛いのか
わかってくれたことはなかった
不登校になった時
母の言う通りにしていたら
今度は逆のことを言われ
将来の話ばかりされては
今の私を見てはくれない
そんな母親だった
愛情がない訳ではなく
母は母親なだけで
私のメンタルサポーターではもちろん無いし
“理解者”
という立場にもなろうとはしてない
親として理解者になろうとしないのは
正しいのかもしれない
だけど
子供心として
親に少しでも理解して欲しいという思いは
誰にでもあるものだと私は思うから
それを諦めることなく
頑張ってきてはいたけれど
母の理解の基準と私の基準が合うことは
今までもなく
理解してくれないと
私が昔から感じる原因として
母は自分に向けられた娘の“苦しい”は
母からしたらあまり大したことがないと
受け止めてられているのではないか
だからすれ違いも多く発生するし
私との価値観も違うから
価値観の話をすると毎度喧嘩になってしまうのは
様々な考えている基準が違うからなのだと
認識も違うからだと
『母とは気が合うけど価値観が合わない』
最近、気が付きました
母は私のことを子供だとしか思っていなくて
一人の人間として
話し合えたことは1度もない
私にとってはこれほど悲しいことはないのです
思えば心の負担を感じてたのは
私だけだったのかもしれません
小学校中学年の頃から
喧嘩が耐えなかった母親と私
それも私が病んでいくにつれ
徐々に喧嘩というものはなくなっていったものの
私が喋らなくなり
母は私に色々言ってくる
高校に上がってすぐの時も
私を見てくれていると思えたことは無く
中学同様学校への苦手意識は
母の
『お願いだから学校へ行って』
『普通に暮らせるようになって欲しい』
という願いが私を苦しめるので
学校は私にとって
楽しめる場所じゃ無くなっています
私の青春は
楽しむことを知らずに終わっていくんです
クソくらえ。
私が8月の半ばだったかな
ストレス性の不整脈を発症した時も
母親のことで悩みに悩んで
耐えて我慢して
努力して考えて考えて考えて
耐えて耐えて耐えて
伝える工夫は当たり前にして
母の仕事から来るイライラも私が受け止めた
愚痴だって聞きたくないけど聞いた
相槌も反応も無理にしていた
納得できなくても堪えた
時にはぐっとこらえたものを
言わなかった、寄り添った
私は少しでも
『お母さんの事で悩んで苦しかったんだ』
ってわかって欲しかった
でも母から聞こえた言葉は
「いやぁ、私も忙しかったしなぁ・・・💦」
「いや、でも私も悪いところあったかもしれないけど
でもなぁ・・・😵💫」
えっ?
聞こえなかった
聞きたかった言葉が
「悩ませてごめんね」
その一言でいい
聞きたかった
でも聞こえなかった
母はよく言います
「親として」
私は母が親としてではなく
プライドが働いてしまって
そういう言葉そういう発言をしているのだと
そう思った
「私の事で悩ませてしまったよね」
「ごめんね」
この発言こそ
親として言うべきことではないか
それと同時に
母は責任を感じたく無いんだな
そうも感じた
ですが私は親になったことはないので
こういったことは母には言えないのです
言ったらなにか変わるかも
そう期待するだけ私にまた見えない傷が増えます
言ってはいけない
分かってもらおうとしてはいけない
去年12月末に
私はとうとう諦めることを始めたのです
母に沢山押し付けてしまっているのも
私なりにわかっているつもり
母は友達では無い
母親
それだけ
相談に乗ってくれて
優しく対応してくれる訳じゃない
それは親の仕事ではなく
本来第三者がやってくれること
私は母にも苦しんでましたが
自分自身置かれている現実にも
苦しめられていました
一人で何もかもできるはずはない
それは知ってる
でも大人に頼れと大人は言う
頼ったら鬱になった
児童相談所送りにされた
……
人に期待していいことなんて
殆どないのです
たまにいい事ありますが
それも記憶からすぐ引っ張り出せる程でもなく
大したことは無い
でもそれはそんなもんなんだ世の中
徳川家康でしたか
“不自由を常と思えば不足なし”
今の時代もそれぞれ当てはめれるものは
あるように思えます。
これ以上長くなるのは嫌なので
書きたいことはまだ山のようにありますがこれで。
私の為のブログですが
読んでいただけたなら
お時間を取らせてしまい申し訳ありません
そしてありがとうございます。
ではまたいつか〜