これから説明する「内向的性格者の英語」は、今までのような外交的性格の人たちの英語とは、多くの場合で“真逆”の発想になる。
そして特に大事なのは、学ぶ順番そのものを逆にすることだ。
これまでの日本の英語は、まず「知る」「わかる」があって、そこから「できる」を目指すという流れだった。
これは外交的な性格の人には向いているが、内向的な性格の人には必ずしも合っていない。
英語1.0、英語2.0が外交的性格者向けだとすれば、英語3.0は内向的性格者を中心に発想すべきで、その場合は順番を逆転させたほうが効果が高い。

つまり、できることを先に作ってしまうのだ。先にしゃべれる。先に聞こえる。先に使える。そんなことが可能なのかと思うかもしれないが、実際には可能であり、内向的なタイプほどその効果が大きい。

ただ、日本では「英語=知っていること」「わかること」に価値があるという大きな勘違いがある。
だが、内向的英会話・話す英語の世界では、この“わかる”がむしろ邪魔をする。
知識が多いほど選択肢が増え、かえって迷いが大きくなるからだ。
人間の脳を1番冷えさせるのが迷うことである。選択が増えれば増えるほど脳が冷えする。それが皆さんの英語をやるときの濃度を着ていって薄薄感じては既にいるだろう。
10個知っていても、実際に使えるのは迷って0個なら、結局その人は“できない”側に入ってしまう。つまり、わかる量が多いほど話せなくなるという逆説が起きるのである。

反対に、知識が少なくても「できる」が先にあると、その1個を安定して使える。しかも、面白いことに、使えるようになったあとで自然に“わかってしまう”。
これが日本人の英会話に特有のパラドックスだが、実はその方がはるかに効率が良い。
わかるための説明を延々と受ける必要もなく、できるためのコーチングに集中すれば、理解は後から勝手についてくる。多くの場合は、守るためのコーチングなど必要がない。勝手に自分で理解して、ほとんど正解に導けているからである。自発的にである。

だからこそ、順番を逆にするだけでいい。
「知る→できる」ではなく、「できる→わかる」にする。この順番の逆転こそが、英語2.0までとは決定的に違う、英語3.0の核となる考え方である。
生徒側では順番のデザインはできないため、提供者がこの流れを作らなければいけない。
順番を変えるだけで、ストレスも時間も労力も大幅に減り、結果も出る。こんな効率の良い方法は他にない。

英語3.0とは、一つに順番を変えた英語である。

日本における英語には、テスト試験型英語と会話型英語という、同じ英語であっても全く違う二つの英語競技があるとかねがね説明している
それぞれに異なるストレスや時間、そして別々の要素をかけていかないと達成できないため、その違いを明確にしないと「同じ英語だから」という誤解が生まれ区別しきれてないと自分を無闇に責め苦しめる
だが、片方が全くできないというジレンマから精神的ストレスを抱え込む可能性があると利用したものがあった。
英語をする時、日本における英語を分化し、日本人が英語を考えるように分割する点でもっと重要なことがある。
それは「性格別の英語」が存在するということである。

私はかつて日本の英会話スクールで気づいた。上級クラスや初級クラスという分け方にはある共通する特徴があった。初級クラスから上級へ上がるメンバーを見ると、全員が性格的に共通していたのだ。私は初級から中級、初級から上級へ上がれなかった落ちこぼれだったからわかる。その時、私を差し置いて上がっていく人たちは、
初級の頃から明るく、
ハキハキとしていて
声も大きく、
失敗を気にせず
人を怖がらず
手振り身振りも豊かで、
表情も良く動き、
グループでも発言できる「自己主張」の性格をすでに持っていた。
私は40年間、その特徴を持てずにいた。これは変えられないものである

もう一つは外交的性格である。外に出れば出るほどエネルギーを蓄えていくタイプの人間は英語に向いている。なぜなら英語は外国語であり、外へ向けてエネルギーを発し続けられる外交的性格は英語と相性が良いからだ。
話せば話すほどエネルギーが貯まるわけである。
では、逆に私のように内向的な人間はどうか。会話すればするほどエネルギーを失うタイプなので、会話の持久戦は難しい。
英語に興味はあっても、外での会話は難しく、自己主張よりも自己研鑽が得意で、ひたすら家の中で自分に向かうタイプである。これは英語・外国語という本質からすると不利である。

しかし、この二つの不利を抱えて上級クラスに行けなかった私が、どうやってニューヨークで誰よりも英語を話すようになったのか。
それはこの内向的性格と自己研鑽型・自己修行型の性質を生かしたからである。
人と触れ合う量を最小限にしながら、自己研鑽のための独自の形を作った。
自分なりの「自己主張しない学習法」で、内向型の性格を存分に活かし、一人でカセットテープと向き合いながらぶつぶつ言っていた。

ただ問題は、自分の発している音が正しいかどうかがわかりにくい点だった。
自分の英語をずっと聞き続けると耳に不思議な麻痺が起き、下手な英語でも正しく聞こえてしまう。
しかししばらく時間を置いて同じ音を聞くと、下手だとわかる。つまり、耳がリフレッシュされるのである。これは不思議な感覚だった。
だが今はラッキーなことに、これを補うものがある。
それが自動音声認識機能である。
これは耳をリセットするために数時間かける必要がなく、連続して使える点で、生徒さんにも勧めている。

日本の英語で落ちこぼれた人の駆け込み寺のようになっている私だが、
生徒さんを見ても、以前の英語学校や英語教育でのトラウマを抱えており、性格的にも私と同じように自己主張が苦手で内向的な方ばかり
それでも彼らが英語を続ける理由がある。それは好奇心である。皮肉なことに日本人にとって、英語は好奇心がある者ほど強くかきたてられ、その好奇心が満たされると非常に大きな満足感を得られる。

このように、性格によって英語の習得を分ける方法は聞き慣れないかもしれないが、英語習得研究家としては避けては通れない部分である。

日本人が英語に向き合うとき、実はまったく性質の異なる 2つの英語世界 に直面している。

ひとつは “試験としての英語”、もうひとつは “会話としての英語” である。この2つは同じ英語という名前を持っているだけで、中身は完全に別競技と言っていいほど違っている。

多くの人が薄々気づいているように、英検1級を取り、TOEICで満点を取った人が必ずしもペラペラ話せるとは限らない。一方で、出川イングリッシュのように文法がぐちゃぐちゃでもガンガン伝える人は、試験で高得点を取れるわけではない。

これは単に個々の性格の問題ではなく、そもそも 試験英語と会話英語が要求している能力がまったく違う からである。


そしてもう一つ重要なのは、この「片方だけ4点、もう片方は0点」というアンバランスが日本では普通に起きるということだ。試験はできるのに会話ができない。会話はできるのに試験はボロボロ。

ところが多くの日本人は、この2つを同じ“英語力”だと誤解している。

しかし実際は、バイリンガルでさえ日本の英語試験では満点を取れない。ネイティブがTOEICや英検を受けても満点にならないことはよく知られている。

なぜなら、試験ではネイティブですら普段使わない単語や形式、特殊な構造を覚えさせるからである。言ってみれば、英語という競技ではなく、“試験英語”という別の競技 をさせているようなものだ。


なぜそんな試験が作られてしまうのか。それは簡単で、試験を“正確にふるいにかける”ためには難しい単語や特殊な形式を入れざるを得ないからだ。単語を日常語だけにしたら、みんな満点になってしまう。だから試験問題を難しくし、落ちこぼれを作り、差をつける必要がある。その結果、試験と実際の英語がどんどん乖離していく。


こうしたギャップが広がってしまうと、同じ努力や時間をかけても、試験と会話の両方を一人で同時に高めることがほぼ不可能になる。

試験対策だけでも膨大な時間と労力が必要なのに、会話力を伸ばすためにも同じくらいの量が必要になる。つまり、二人分の努力を一人でやる状態になる。

これでは時間も心もすり減るし、ストレスも莫大になる。多くの人が途中で折れてしまうのは当然だ。


ではどうすればいいのか。

私が考え、実際に行ってきたのは 合計140点を目指すのではなく、70点+70点の“二等分方式” にするという方法だ。

つまり、「試験100点+会話100点」を狙うのではなく、試験70点・会話70点、それぞれ必要最低限“使えるレベル”に整えるという方法である。

実際、私は仕事柄、会話力とリスニングを70点レベルまで引き上げることを中心に学習していた。その結果、不思議なことに、試験のほうも自然と7割程度は取れるようになった。

何をしたのかと聞かれれば、むしろ 「やりすぎない」 という逆転の発想だった。

会話も、試験も、完璧を追わない。必要な部分だけ、最短距離で積み上げる。そうすると気力も続き、結果として両方がバランスよく伸びていったのである。


英語はひとつの言語だが、学ぶ競技は二つに割れている。

そこに気づかない限り、日本人の英語迷子は終わらない。