英語と日本語の「音の数」の違いを考えると、多くの日本人は「英語の方が圧倒的に音が多い」と感じます。

たしかに日本語は五十音に多少の拡張音を足しても100前後であるのに対して、英語は約2000ほどの音のバリエーションがあると言われます。

単純計算で20倍ですから、「英語は音が多すぎる」と思うのは自然です。

たとえば「a」だけでも複数の種類があると言われるように、確かに“細かく数えると多い”というのは事実です。


ところが、ここにちょっと面白い逆転現象があります。

「英語の方が音が多い」と思われがちですが、日本語の複数の音が、英語では“ひとつの音”にまとめられることがあるのです。数が少ないどころか、むしろ“統合されてしまう”。この視点はあまり知られていません。


その典型例が T の音 です。


日本語の五十音で T 系といえば「た・ち・つ・て・と」ですが、実はこの5つは、英語の感覚で見ると、同じ T の“アクション”に収束してしまうのです。


「そんなわけがない」と思われるかもしれません。

しかし、ここで少し実験をしてみてください。


「て、て、て、て」と声に出して言うのではなく、音を出さずに“て”の口内の舌と歯に関係の動きをだけ”してみてください。息だけを押し出して、舌と口の形だけをそのまま使う感じです。

同じことを「た」「ち」「つ」「と」でもアクションだけで再現すると、驚くことに どれもほぼ同じ動き になります。


つまり、日本語では「た・ち・つ・て・と」と別々の音として認識されているものが、

英語的には 同じ T のアクション(舌の動き) になるのです。


この「アクションは同じだけれど音が出るか出ないか」という領域は、英語にはとても多い特徴です。Tのほかにも、S、TH(the の音)、F など、たくさんの音が、舌・唇のアクションで識別されるけれど“音としての振動はほぼない” という種類に属しています。


これは、いわば「舌打ちの逆」のような世界で、

音が鳴っているというより、“動作そのものが音の役割をしている” といったほうが近いものです。


だから「英語は日本語より音が多い」というのは正しい一方で、

「日本語の複数の音が、英語ではひとつのアクションにまとまってしまう」という逆の現象も存在するのです。


T の例でいえば、

「た・ち・つ・て・と」→ 英語では一つの T のアクションへ集約

これは、ちょっと意外ですが、実際に起きている例です。


こうして見てみると、

英語と日本語の“音の多さ”は単純な数字の比較ではなく、

音を“どう分類しているか”という発想の違い なのだと気づけます。


「英語の方が音が多い」というのは半分正しい。

でも「日本語の音が英語で統合される」という視点も、確かに存在する。

そう思うと、英語の音の世界が少し違って見えてくるかもしれません。


この生徒さんは、長い間既存にある外交的性格専用の英語で長い間苦しめられてきたんだなぁというのがわかる発言でもありました

そんな発言だけで内向的性格ってわかるの
と思うでしょう

日本人が英語を学び始めるとき、多くの場合、はっきりとした目的を持っています。たとえば「TOEICで高得点を取りたい」「海外で会話ができるようになりたい」「仕事で英語プレゼンをしたい」など。そして、その先には給料アップやキャリアの向上といった“延長線上のメリット”を期待していることも少なくありません。
これは非常に自然なことですし、目的を持つこと自体はいいことです

しかし、多くの人がその目的を達成できず途中で失速してしまう理由があります。
それは、学習の初期段階で「どれだけの時間と労力が必要になるのか」を正確に計算に入れていないという点です。
特に「時間がどれくらいかかるのか」について、想像と現実のギャップに裏切られてしまう人が非常に多い。実際、英語を続けていくうちに「思った以上に時間がかかるな」と感じてしまうのは、ほとんどの学習者に共通している経験でしょう。

さらに、性格の違いも大きく影響します。外交的な性格の人は、この“時間”という要素に対するストレスが比較的少ない傾向にあります。外の刺激、つまり英語でいう外的エネルギーに触れれば触れるほど力が湧いてくるので、学習時間の長さをそれほど苦痛とは感じないからです。

しかし、内向的な性格を持つ人にとっては、時間がかかること自体が大きなストレスになります。同じ90分でも、外交的な人と内向的な人では体感時間がまったく違う。内向的な人は「思ったより長い」「終わらない」と感じやすく、この“時間感覚の差”が英語習得を難しくさせる大きな要因になっています。

だからこそ、今回の生徒さんの反応は本当に特別であり、非常に価値があります。
その生徒さんはレッスン後にこう言いました。

「楽しかった。時間があっという間だった。気づいたら90分が過ぎていた。」

この言葉の本質は、単に「楽しかった」というだけではありません。
もっと深い意味があります。
• 楽しかった=できた、手応えを感じられた
• 時間があっという間だった=退屈していない、苦痛ではなかった
• あっという間に終わった=自分が成長している実感があった

つまり、生徒さんは「楽しさ」そのものではなく、自分が“できた”から楽しかったのです。
そして「退屈しなかった」ということは、内向的な学習者が最も苦手とする“時間の負担”から解放されていたという証拠でもあります。

これは内向的なタイプの英語学習者にとって、極めて大きな成果です。本来であれば非常に苦痛を感じやすい90分を、「気づいたら終わっていた」と感じさせるメソッドが成立したということだからです。

この“あっという間の90分”という言葉は、単なる感想ではなく、
「時間に苦しむ内向的な学習者を救うことができた」
「自分の成長をはっきりと実感できた」
その証としての言葉です。

そして、これはまさに今作り上げているメソッドが、内向的な学習者にとって“奇跡的にうまく作用している”ことを示しています。完成度は高まっており、その成果が実際の生徒の言葉となって表れた瞬間だといえるでしょう。
「えっ?!何をしたらいいかを紹介してるだけじゃダメなの?」と思うかもしれませんね
YouTubeの中でも英語系チャンネルは巨大なジャンルになり、多くの英語系ユーチューバーが日々動画を出している。
内容自体はよくできていて、初見であてば「なるほど!」と思える。
しかし何度も見ている人なら、そろそろ気づいているかもしれない。「あれ、どれも結局おんなじこと言ってない?」というあの感覚だ。そして実際に知人たちから聞く感想もほとんど同じで、「まあ見ても結局しゃべれるようにはなんねぇよなぁ」というものが圧倒的に多い。これはある意味当然で、彼らの動画は“魅力的に理解させる”ところまでは上手いが、“どうやったらできるようになるのか”までは踏み込んでいないからだ。
だからコメント欄も「わかるようになりました」「理解できました」が中心で、「できるようになりました」はほとんど見ない。

理解はできる。でも、できるようにはならない。その差が埋まらない。

私は英語YouTubeの中では異端扱いされている。理由はシンプルで、私だけが“ハウトゥー=できるようになる手順”を丸ごと出してしまっているからである。私の動画のコメント欄には「言われた通りにやったらできるようになりました」「音声認識で出るようになりました」「RL英語できました」「おかげで英語での電車アナウンスができました」など、“できた”という報告が山ほど届く。もちろん「目からウロコが落ちました」という“わかった系”の感想もあるが、それ以上に多いのは「やったらできた」という成果報告である。というのも、私の方法は“わかる前にできるが来る”構造で作っているからだ。一般的な英語YouTubeは“できる”を出せないので“わかる”を提供するしかなく、そこが限界になる。

では他のユーチューバーはハウトゥーを出すのか?と言えば、結局最後まで出さない。動画では“何をするべきか”までで、肝心の“どうやるとできるようになるか”は英語教材や有料講座に進んだ後も提供されない。
そしてそこでは、一緒に練習し、伴走し、時間と気合と努力を積み上げるという“スパルタ方式”が中心になるだけ。しかしそこで得られる成果は、結局「その人と同じやり方を同じ量やれば同じようにできるようにしないとできない」という範囲に留まる。つまり、再現性を他人に持たせる方法までは示されていない。

だから多くの場合、youtube側からの「僕はこうして英語をしゃべれるようになった」だけに落ち着いてしまう。けれど、それを第三者が再現するのはかなり難しい。時間、労力、ストレスをかければできる。しかし“誰でも同じ手順でできるようになる方法”にはなっていない。これが、私の言う英語2.0の限界である。そして、英語3.0――日本全体の英語が再現性のある形で“できる側”に動き出す未来は、まだまだ遠い。