英語の学習時間を考えるとき、多くの人はまず「習ってきた年数」を基準にしてしまう。「私は英語を5年やっています」「20年前から勉強しています」「まだ半年目です」など、経過したカレンダー上の年数をそのまま英語力の目安としてしまう。
しかし、英語実力の観点からいえば、この“年数”という尺度は、実は測定指標としての精度が非常に低いと言える。
なぜなら、この数字は英語との接触量を直接示すわけではなく、ただ時間が経過したという事実を表しているだけで、学習の“実態”とは必ずしも一致していないからである。

私独自では、観察対象の成長や変化を評価する際、「経過時間」ではなく、刺激量・反応量・蓄積量のような、より具体的なデータを用いる。同じ1年でも、毎日数時間刺激を受けた個体と、月に数回しか刺激を受けなかった個体では、成長度が違うのは当然である。
英語にもまったく同じことが言える。つまり、本当に注目すべきなのは、「英語に触れていた実時間」、すなわち英語年齢という新しい指標である。

この英語年齢は、実際に自分が英語を「聞いた時間」「話した時間」を積み重ねて算出する、より科学的で実態的な値である。野球の大リーグで新しい指標(OPS、WARなど)が導入され、従来では見えなかった選手の真の能力が明らかになるように、英語年齢という概念も従来の学習評価とはまったく違う視点を提供してくれる古い基準では「20年勉強している人」が優れて見えたかもしれない。
しかし新しい科学的基準では、その20年が「実際には累計200時間程度の接触にすぎない」という可能性すらあるのである。

たとえば私は、カレンダー上では25年間英語を学習してきた。しかし英語年齢に換算すると、実はまだ“6歳程度”と評価される。
ニューヨークにおいても、割と日本語を話してる時間が多かったからだ
つまり、実際の接触量は、英語を母語とする6歳児が日々受けている量にも遠く及ばない。こうして科学的尺度で見直すことで、自分の英語力に対する誤った自己評価が修正され、現実に即した学習戦略を立てることができるようになる。

さらに、多くの日本人学習者の英語年齢は、数ヶ月〜1年程度に相当する。成人であっても、英語年齢だけを取り出すと「幼児レベル」になるのは決して珍しくない。それは「能力が低いから」ではなく、「刺激の総量が圧倒的に不足しているため」であり、この点は理科の成長実験でも常に強調される原則である。
十分な刺激を与えれば幼若個体でも急速に成長し、不足すれば成長は止まる。それと同じである。

私自身は日本語においては58歳で、日本語年齢が58年であるのは当然である。
しかし、英語年齢6歳の者が、英語を流暢に話す大人(英語年齢50年に相当するネイティブ)と同じ基準で評価されるのは、理科的に見ても非合理的である。
幼い子どもが拙く話すことを誰も責めないように、英語学習者の拙さも「成長段階の自然な現象」として扱うべきである。

こうした“幼い英語年齢”を前提とした勇気づけの表現として、考え方を提案している。これは、「自分はまだ英語年齢が幼い子どもなのだから、多少の間違いは当然である」という発想に基づいたメンタルモデルである。つまり、「ガキが喋ってるんだから多少許してよ」という気持ちを言語化した安全装置であり、学習者が過剰な羞恥心や完璧主義に縛られず、自然な成長過程を認めるための心理的ツールである。

理科では、成長途中の個体を「未完成だから質が低い」とは決して切り捨てない。むしろ「成長の途中にあるだけ」であり、刺激と時間の蓄積次第で変化は加速する。この視点を英語にも取り入れることで、自分の英語の発達段階を科学的に理解し、無用な落ち込みや比較から解放され、より持続的で正しい学習の道を歩むことができるのである。

私の英語講座にも高齢者の方が多くの割合を占めている私の囲碁講座にも高齢者の方が多くの割合を占めている





年齢を重ねると、どうしても体のあちこちに変化が出てきます。

特に首まわりや顔の筋肉の衰えは、服では隠せないため気になる人も多いでしょう。

実は、この“首や喉、表情筋の弱まり”という現象が、定年後に英語を始める人にとっては相性が抜群に良いのです。


なぜかというと、英語の発音には、日本語ではほとんど使わない筋肉がたくさん使われるからです。

普段の生活ではほぼ休眠状態になりがちな筋肉たちが、英語を発音することでしっかり刺激され、まるで軽い筋トレのような効果を生みます。


たとえば日本語に存在しない「あの音」。

英語を話す人なら一度は苦労する、あの有名な“舌をしっかり動かす音”があります。

これを正しく出すためには、舌の先だけではなく、舌の付け根、喉の奥の筋肉、首の深いところまで意識して動かす必要があります。


ところが、高齢になると首・喉・舌の根本は特に衰えやすい部分です。

だからこそ、英語の発音練習はその部分のちょうど良いリハビリになるのです。


少し発音練習をすると、喉の奥や首のあたりに“軽い疲労感”が出ることがありますが、実はこれこそが筋肉が動き、老化を食い止めている証拠。

無理のない範囲で続けるだけで、首の老化予防、喉の弱体化防止、滑舌の改善に自然とつながっていきます。


つまり英語を学ぶことは、

「語学学習」+「顔・首・喉の健康維持」という、

まさに一石二鳥の効果を持っているのです。


さらに素晴らしいのは、この効果は“若い頃よりも高齢の方のほうが実感しやすい”という点です。

若いときには気づけなかった身体の変化があるからこそ、英語を使った筋肉刺激が体感しやすく、英語そのものも上達しやすくなる側面すらあります。


私はこれを冗談半分、本気半分で

「長生き英語(ながいきえいご)」

と呼んでいます。


もちろん効果は発音に限りません。

英語を話すという行為は、

・普段使わない脳の領域が動く

・思考の切り替えが必要になる

・音を聞き分ける力が鍛えられる

など、脳医学的にも非常にメリットの多い行動です。


そのため、英語を声に出して話す習慣は、

脳の活性化、認知機能の維持、顔まわりの神経の刺激にもつながります。

外からは見えない「内側の健康づくり」をしながら、同時に英語まで上達してしまう。

これはまさに**一度で山ほどの効果を得られる“超効率の良い健康法”**と言えるでしょう。


だからこそ私は、

「高齢者こそ英語を始めるべき」

と強く伝えています。


英語学習は、単なる趣味ではなく、

発音・脳・喉・首・表情筋という

“衰えやすい部分”を自然と鍛え続けられる、

理想的な長寿習慣でもあるのです。


これが、私が提唱する「長生き英語」の出発点です。



英語の先生たちは、なぜ生徒さんを「すぐにできる状態」に導こうとしないのだろうか。
なぜ“できない部分”ばかりを指摘し続けるのだろうか。
実は、英語にはすぐにでもできるようになるポイントが山ほどある。
にもかかわらず、そこを見せずに“難しいところばかり”を強調する指導があまりにも多い。

私たち教師側の本来の目的は、ただひとつ──
**「生徒ができるようになること」**である。
決して「できないところを見つけて突きつけること」が目的ではないはずだ。
一致している思い込んでいるだけだ

まずは、生徒がすでに持っている力を丁寧に表に引き出し、
「意外と英語って半分くらいはもうできてるじゃないか」と気づかせる。
この“顕在化”のプロセスこそ、本当は英語指導の一丁目一番地である。

しかし現実には、多くの先生が最初にやるのは、
「これは難しい」「ここができていない」「これもまだ足りない」と、
英語を“巨大で偉大なもの”として見せつけることだ。
まるで、難しさを誇ることで、
「こんなすごいものを教えている自分は偉い」
と、無意識のうちに“教育マウント”を取ってしまっているようにも見える。
これこそが、日本だけにある日本人の英語マウントの源泉になっているのかもしれない。

だが本当は、先生は生徒を自分と同じ場所に立たせるための近道を、もっと提供できる。
なぜなら、英語には“すぐにできるようになる部分”が本当に多いからだ。
それを探し、渡し、成功体験に変えてあげれば、生徒はみるみる喜び、次のステップへ進める。
そしてその成功体験と並行して、日本語には存在しない音や未開の領域を少しずつ積み上げればいい。
できることと、まだ難しいこと──この二つをバランス9:1よく提示するのが本来の指導である。

私自身、長い間、教育の現場に立ってきた経験から痛感しているのは、
生徒に「できないこと」を与えるのは、10のうち1つで十分だということだ。
1回の授業で、生徒が受け止められる“挑戦”は、わずか1つだけ。
残りの9つは、すでに持っている力を確実に顕在化し、
「これならできる」という感覚を積み上げる作業でなければならない。

ところが、この9の部分を本当に丁寧にできている英語教師は、
日本人であれ外国人であれ、驚くほど少ない。
こここそが、本当は英語教育の核心であり、
一番求められている技術であるにもかかわらず、である。

英語は“できない部分を攻める教科”ではなく、
“すでにできている力を見える化して伸ばす教科”である。
この視点が広がれば、英語はもっとやさしく、もっと楽しいものになるはずだ。
そしてその方法でもちゃんと生徒さん達は上達していく。それも普段よりも早いスピードで上達していく。