英語の学習相談で、最も多い質問は「文法」と「単語」についてです。

特に悩みが深い単語に関しては「やっぱり覚えなきゃダメですか?」という声が多い。

しかし、これは日本の受験英語の流れをそのまま引きずっている


私自身も25歳で渡米した当初は、「英語をやるなら文法と単語を頑張らなきゃ」と思い込んでいました。

けれども、今振り返ると、それが最も無駄な時間だったと感じます。

というのも、あらかじめ単語を暗記しても、実際の会話で使う機会がほとんどなかったからです。

むしろ、必死で覚えた単語ほど不思議と出てこない。


なぜか? それは「受験英語」と「実践英語」が正反対の関係にあるからです。

試験を難しくするためには、見たことのない単語を並べればいいだけであるから、実は出題者は簡単なのである

それが出外する側になったから、わかった気づきである


試験で出る単語は、実際の会話ではまず使われません。

つまり、受験は「使われない単語をわざと選んでいる」と言ってもいいほどです。


このことはネイティブに確認しても明らかです。

私が日本の英語塾で使う単語帳をネイティブの友人に見せたところ、「ほとんど見たことも聞いたこともない」と言われました。

実際に発音してもらい、音声認識ソフトにかけてみたら、全く別の単語として認識されてしまうほど。

つまり、それほど「使われていない単語」だったのです。


ではどうすればいいのか。答えはシンプルで、「出会った時に覚える」ことです。

そしてやってしまっているのが、2回目出たときにもう覚えれてない

これが大きなミス

日常の中で自分の生活に関係する単語に出会うたびに、それを少しずつ自分のものにしていく。


例えば、私は俳優としてオーディションを受けていた時期があり、なぜか「糖尿病患者」の役が続いたことがあります。

最初に“diabetes”という単語が出てきたときは、「何これ?」という感じでした。

二回目にまた同じ単語が出て、「あ、前も出たな」と思う。三回目に登場したときには、もうスッと意味が入ってきて、自分の中で定着していました。


つまり、1回目は“知らない単語との出会い”、2回目で“覚えようと定着意識する”、3回目で“自分の言葉になる”。この3段階が大事なんです。


そしてこの「3回目の出会い」は、人それぞれ違う。だから、誰かの単語帳をそのまま真似しても意味がない。あなたの人生で3回出会う単語こそ、本当にあなたの英語になる。


英語で

苦しむ人には、まず「できる」という1つの正義が必要である。

いろいろなメソッドや指針があるのは良いことだが、それでも英語の定義には「できること」が基準としてあるべきだ。

英会話で言えば「聞き取れる」「話せる」というレベルがそれにあたる。つまり、自分の心が納得し、満足できるように話せることが「できる英語」である。


一方で、英語テストというジャンルでは「点数が取れる」「問題を解ける」という意味での“できる”がある。

ここで厄介なのは、「わかる」ことと「できる」ことが同じではないという点だ。

わからなくてもできることがあるし、逆にわかっていてもできないことがある。

このパラドックス

これが日本人の英語観の大きなネックになっている。

もし「できる」が正義なら、最短で「できる」に近づけばいい。

だが多くの場合、人は「できていない」と感じると、「わかる」ほうに逃げたくなる。少なくとも「できない」よりは「わかる」に留まりたいのだ。


しかし実際には、「できない」と思っている中にも「できる」にかなり近い状態が多い。

実際はもう一歩でそのまま時間で

丸になれる

小さな丸なのに

それを×としてしまうことで、本来は「できる」ものを「できない」と扱ってしまう。

そうなると、人は逃げ場として一旦の「わかる」に向かってしまう。

英会話では「わかったからできる」という構造が存在しないのが面白い。

知っている単語ばかりでも、聞き取れない・話せないという“できない”が起きる。

つまり、「できる」と「わかる」は別物であり、共存しない。


ところが、「わからないけどできる」という現象もある。

これは最初は不思議に感じるが、経験を積めば理解できるようになる。

なぜ「わからないのにできる」のか。それは、実際にたくさんやってみることで自然に分かってくるからだ。

1つできたからといって「わかる」には至らないが、2つ3つとできるようになると、共通点や相違点が見えてくる。それが文法の理解や単語の知識へと変わっていく。


つまり、文法や単語といった“基礎”は、本来「できた後」に生まれるものなのだ。

ところが実際の教育では、提供側の都合で順番が逆になっている。教える側にとって、文法や単語の説明は提供しやすいからだ。

本来は最後に理解するのが文法なのに、日本では最初に教えられる。

一方、ニューヨークでは逆に「できる」ことから始める。

この順序の違いが本質的な差を生む。


「できる」が先にあり、「わかる」は自然に後からついてくる。

テストのように時間をかけて「わかる」を目指す学習とは異なり、英会話はスピードを落とさずに習得できる。一方で英検やTOEICのような試験は「わかること」が目的であり、リスニング以外は「理解」が重視される。

ネイティブが試験を解けないというのも同じ理由で、私も知らない単語が並ぶと解けない。

英語試験を難しくするのは、見たことのない単語を並べるだけで簡単だからだ。


だが、そのような試験で点が取れなくても、話すことはできる。

つまり、試験は0点でも会話は70点で“できる”ということがある。

逆に、試験で100点を取れても会話では70点どころか0点に近いこともある。

バイリンガルは両方を訓練しているから両立できるが、多くのネイティブは「話す」しかやっていないので試験は苦手だ。


結論として、「話せる70点」と「試験で取れる70点」の両方を持つことが、最も効率的な英語の在り方である。

「できる英語」と「わかる英語」は、まるで相性の悪い兄弟のようなもので、混ぜると危険だ。

しかし、どちらも英語であるという皮肉な関係でもある事実。


まずこの英語

チャンピオンシップを4勝、つまり全勝だsweepしたチームに対して4勝3敗、つまり7戦を全部戦ってきたチームとのワールドシリーズの結果は、意外にも苦しんだ。4勝3敗のチームが

ワールドシリーズをかつて

5連勝していると言う記録がある。

意外です


何年ニューヨークに住んでてもいまだにと思うことが多い

ニューヨークでワールドシリーズを見ていたら、

奥さんが「ロサンゼルスとカナダが戦ってるの?」と不思議そうに言った。

たしかに「ワールドシリーズ」って名前だけ聞くと、アメリカの国内大会なのになんで“ワールド”なの?と思う。

実はこの「ワールドシリーズ」という名前が成り立つのは、カナダのチームが参加しているから

もしカナダのチームがなかったら、ただの「アメリカシリーズ」になっていたわけだ。


でも不思議なことに、そのカナダのチーム――トロント・ブルージェイズは、ここ32年間プレーオフに出ることさえほとんどなく、ワールドシリーズで見かけることもない。

だからニューヨークに住んでいても、実はその“ワールド”の意味を知らない人が多いらしい。


思えば、興味がない分野って、同じ国に住んでいても意外と知らないものだ。たとえば僕もアメリカンフットボールやアイスホッケーのルールなんてよくわからない。ただ「スーパーボウル」とか「スタンレーカップ」という名前だけは聞いたことがある。

きっと多くの日本人にとっても、野球のワールドシリーズってそんな存在なのかもしれないね。