行きで持っていた文庫本を読み終わっちゃったので、駅で買ってみました、『PLUTO (2)』(浦沢直樹/ビッグコミックス)。『PULUTO』は、新刊のマンガとしては異例なことに、毎回、解説がついています。手塚真の解説は裏話っぽくて面白いのだけれど、彼が浦沢直樹に「手塚治虫とのガチンコ勝負」を勧めたとは思いませんでした。
いや、正解。
単なる焼き直しだったら、そりゃオリジナルが絶対面白いもんね。もう、手塚原作は読んでしまって話の流れもわかってるはずなのに、先が楽しみで仕方ありません。
21世紀バージョン『PULUTO』は切ないです。
ものすごく切ない。
つい先日、ニュースで軍事用ロボットを見ました。結局、人間以上に曖昧な生き物はいないってことなんですね。いい意味でも悪い意味でも善悪をチョロまかせる曖昧さ。
『PURUTO』の世界で、ロボットを壊すロボットが、あんなに切なそうなのは、そこいらがストリクトだからです。人間のムジュンをごっそり肩代わりさせられてるロボットが非常に悲しい。そりゃ、自分で背負わずに、ロボットにかわりに悩ませておけばラクだよね!
と、なぜだか憤る私でした。
たぶん、それは、私が常に管理され、評価され、満点からマイナスをつけられる毎日を生きてるからなんでしょう。
人が決める「完璧」の水準で生きてるのはしんどい。
結局、世界でひとケタしか存在しないスーパーロボットが、人間が言う「ささやかなシアワセ」を真似するのは、興味深い皮肉です。
しかし、ウランより、アトムの方が断然かわいく見えるのはなぜだ。(いいこと書いても最後でだいなし)

