手術は8月2日に決まりました。
入院は2日前の7月31日。

手術前には各執刀医の先生より、じっくりと時間をかけた説明をいただきました。
夏ということもあり、私も夏季休暇を取り毎日一緒に過ごしました。
手術にかかる時間はおよそ8時間くらいと言われ、
8月2日朝8時45分くらいだったでしょうか、看護師さんに呼ばれた彼を見送りました。

この日の8時間は本当に長かったです。
手術室に入ってから実際に手術が始まるまでも数時間あり、
手術が終わると呼ばれる家族用のPHSが鳴るのを家族待機室でずっと待っていました。
途中で烏森神社に行き、癌封じのお守りも買いました。
とても暑い日でした。

19時、、20時、、21時、、22時前くらいだったか、ようやくPHSが鳴り状況の説明を受けました。
『目に見えるものは全て取り切れました。ただ、ギリギリまで取り除く必要があり、
嗅覚の神経を切らざるを得ませんでした。』
これが彼が失った2つ目だったと思います。

もう少ししたらICUに移りますので、移動したらもう一度お声がけしますね、
と言われ30分くらい待った頃、再度呼ばれてICUで再開した彼は
出血が多かったそうで顔は青ざめ、縫合の傷だらけで
顔は腫れあがり、長時間の手術に耐えた顔をしていました。

まだ麻酔が覚めていないので、また明日お越しくださいと言われ
その日は病院を後にしました。

 

本当に辛かっただろうし、よく頑張ったね。。

※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

私が闘病を支える中で彼が最初に失ったものは左眼でした。
失うものはこれだけではない未来を想像もできず。

4月になり徐々に会社にいくようになりました。
とても理解のある会社で自宅でも仕事ができたため
無理なく復帰ができる環境が整っていたと思います。

本格的に復帰し始めていた6月に術後の検査がありました。
彼はまた…再発していたのです。
そのタイミングで眼科から頭頸科に変更となりました。

左眼はないのにその奥側で再発が見られたのです。
どんどん大きくなり、脳を圧迫しそうなところまで来ていました。

大至急手術が必要との判断でした。
二人で息が詰まる思いで先生のお話を聞いていた気がします。

どんなに手術の予定を調整しても8月初旬、ということで
最短の予定を組んでいただきました。

今回の手術は頭蓋底手術となること。
頭頸科・脳外科・形成外科での執刀となること。

 

顔を切って開け、脳を持ち上げて腫瘍を摘出し、

顔の左側部分には腿か腹筋と皮膚で皮弁をつくるという内容でした。

エピテーゼどうする?どころの話ではなかったのです。

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左眼の手術の入院は1週間程度だったでしょうか。
これで闘いは終わりだと信じていました。
エピテーゼのことを調べ始めていました。
まぁまぁお値段もするものなんだね、とか。

痛みとも決別し、しばらくは自宅で療養していました。
傷口は傷パッドで隠す日々が続きました。
いつもテープで固定するので、
テープかぶれもあり、パッドやテープはかなりの種類を試しました。
洗面台は病院並の種類が揃っていました。

今回の手術では体力には大きな影響はなかったようで
自宅療養中も早速出掛けていました。


しばらくは車の運転が視覚的に見づらかったりしましたが
慣れてくるとそこもいつも通りに運転できるようになっていました。

私が心配性のため、免許をもっていないくせに
左側など彼が見えづらい部分は私も必死に気を付けていた気がします。

今回の手術後は予防治療もなく、
のんびりと春を満喫し、徐々に会社復帰のことも念頭におきつつ
温泉などに行ってリラックスしていたと思います。

 

闘いは終わったと、完全に思っていました。

またゴルフや温泉に行けるって、いつもの生活が戻ってくるって思っていました。

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2018年2月13日の手術に際しては1日前に入院しました。
彼の好きなベッドは4人部屋の窓側です。
これまで入院を幾度となくしてきた彼は、入院は好きではありませんでした。
と、いうより家が好きなんです。
家と車と家族が好きな人なんです。

手術をしたら左眼とはお別れ。
この時の手術は4時間程度で朝、手術室に入る彼を見送りました。

待っている時間は何とも言えないですね。。

手術が終わった彼は麻酔からやや覚めたところで
彼の兄妹家族もやってきました。

その時、彼はこれまでの痛みから開放されていました。
左眼の痛みで右眼も開けづらくなっていたのが全て解消され、
右眼はとてもキラキラしていました。

その時に撮った写真を見ると、右眼の力強さと
未来への希望を感じる眼差しでした。

摘出した左眼と腫瘍から遺伝子検査を行ってもらったところ、
癌は遺伝性ではない、ということがわかりました。

彼は大学時代をアメリカで過ごしていて、
『フロリダで日光にあたりすぎたかなー』と。

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2月13日の手術までは痛みとの闘いでした。
処方された薬もたいして効かない中で、
帰宅しても部屋が真っ暗でベッドで休んでいる日が多かったです。

左眼との別れが近づくなか、義眼なのか、
エピテーゼなのか、という話をしていました。
手術の範囲としてはエピテーゼになるようでした。

いずれにしても手術をしないとそういうことを考える気にもなれないまま
手術の日が近づいてきました。

左眼を失うのは辛くとも、痛みと日々闘っている彼を見ていても苦しく、
手術して痛みがなくなるのであれば!命が助かるのであれば!
そんな気持ちで見守っていたと思います。
 

※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

2017年12月に目を温存する形で手術は無事終わったもの
年末になりまた痛みが発生していました。
ここからは不安の連続でした。

2018年1月病院へ、あの日は雪が降っていました。
痛みだけではなく、また腫れが始まっていて、
診察待ちの間も暗い気持ちでした。

名前が呼ばれ(当時は名前で呼び、現在は番号で呼ばれます)診察室に入り
先生とお話しました。

再発していました。
あっという間に。

もう左眼は諦めなくてはならない、と。
『左眼を残したら、僕はあとどのくらい生きられますか?』
1年もつかもたないか。

彼は左眼を諦め、手術をすることを選択しました。
こんなにも死を身近に感じることはなかったです。

手術は2月13日に決まりました。

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左眼はどんどん腫れていきました。

眼の周りも歪んでいくのが分かりました。
痛みも出始めていました。
その時私は事の重大さに気が付いていなかったような気がします。

彼はかかりつけのがんセンター中央病院(眼科)に通い
2017年12月に手術を受けることになりました。

これまでもインターフェロンをやったり、小さな手術を繰り返してきたようなのですが
今回は様子が違うようでした。

痛みでベッドルームに閉じこもり、私が仕事で帰宅しても休んでいることが増えました。
食事も摂る気力もなく、スープなどを作って食べてもらっていました。

 

眼の痛みはなかなかとるのが難しいと主治医から言われました。

痛み止めはロキソプロフェン(ロキソニン)、効かなければボルタレン。。

癌じゃなくても使う薬で痛みが抑えられるのか、私も不思議な感じでした。

12月上旬、眼球を温存した形で手術は無事終わりました。
入院は1週間程度だっと記憶しています。

一安心なのかと思っていたのですが、そんなに甘くはありませんでした。
暴走しだしたメラノーマ。
ここからが本当の闘いの始まりでした。

彼の既往歴は20代で悪性黒色腫の診断を受け、小さく手術などを繰り返しながら
30代で一度は寛解し、ここまでに至ります。

すでにこの時点で発病から20年強経過していたこともあり
寛解した経験があったため、絶対に大丈夫に違いないと思っていました。

 

※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

彼からのカミングアウト後は特に病気のことに触れることなくデートを重ねました。

その時からでしょうか、仕事が忙しくて週末ゆっくりしたいな、と思っていても
彼が温泉いきたいと言えばどんなに疲れていても行きました。

また一緒にできる趣味を持ちたかったようでゴルフを教え込まれました。
私は仕事が忙しい日々でいつもクタクタでしたが、
彼が週末に入れたゴルフのラウンドは眠い目をこすりながら行っていました。

彼がやりたいことは全部やるスタンスをとるようになったのです。

そして夏休み、どこか旅行に行こうという話になり、石垣島・小浜島にいく
計画を立てました。

その頃、彼は仕事がとても立て込んでいました。
直前まで旅行行けるか心配だったくらいで、とても無理をしていたんだと思います。
ストレスもすごかったんだと思います。
旅行先でもパソコンを取り出して仕事をすることもありました。

旅行から帰り、しばらくした秋ごろ、目が痛いと言い出しました。
彼の悪性黒色腫は左目の結膜が原発で、左目が腫れ始めていたのです。

 

※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

 

連絡が復活したころ、私は引越しを予定していました。
とてもバタバタしていて、連絡は取るもののすぐに会うことはありませんでした。

引越して落ち着いた2月末か、3月初旬だったか
ようやく会うことになりました。
引越先の新居に半年ぶりに会う彼が遊びに来てくれました。

音楽を聴いて、久しぶりに話して盛り上がって、
私はとても舞い上がっていました。

その日だったか翌日だったかはうろ覚えですが、
初めて彼が罹患している病気について告白されました。
それが『悪性黒色腫』だったのです。

彼はちょうど定期健診で病院に行ったあとだったようでした。
そこで初めて彼が癌であることを知ったのです。

その時は治る!癌は治る時代だ!って思っていました。
何故なら、私の身の回りで癌罹患者があまりにも少なかったため
癌は私にとって身近な病気ではなかったように思います。

そしてその時に私は泣き、彼に言いました。
『絶対に私が守るから』と。。。

 

※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください

年末のザワつきを封じるように2017年新年明けて、
仕事が落ち着く時期に友人との旅行を計画しました。

急遽だったので、国内旅行で私の好きな厳島神社に行きたくて。
広島市内観光と厳島神社を回る旅です。
何度目の訪問かな、3度目だったかな。
幻想的な鳥居に魅了されて再訪しました。

旅行自体は楽しく終わり、私的な事件が起こったのは自宅に戻ってからです。
LINEのアカウントをうっかり消滅させてしまいました。

彼との大事な連絡が途絶える気がして、焦りました。

連絡はとっていなかったけどLINEは大事な連絡ツールだったので失うのが嫌だったのです。

焦った私は彼の携帯キャリアメール宛に事情を説明して
LINEのアカウントを教えて欲しいと連絡してしまいました。
2016年8月末にお別れして初めての連絡でした。

キャリアメールに送った連絡はあっけないくらいすぐに返信がきました。
当然ですが嬉しかったです。
そこから事情を話し、LINEでのやりとりが復活しました。

私たちの闘病はここから始まったのかもしれません。

 

※悪性黒色腫の闘病内容が全ての方に当てはまる訳ではございませんのでご了承ください