だから、誰もやりたがらない? 『ヘルズキッチン』と『小人さん』 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

   

 

 

  久し振りに「タオ」の家(=フラットシェア)に行った。

 

 

  部屋には大型のテレビ(というかモニター?)があり、私が作った昼ご飯を食べた後は普段全く見ない番組などを観ながらのんびりしていた。

 

 

  その中での出来事。

 

 

 

  「アナタも興味あると思うから」

 

  …と言われて観たのは『ヘルズ・キッチン』のダイジェスト版。

 

   今は日本でも気軽に観れる……らしい。

 

 

 

 

  番組で舞台となるレストランの食レポなんかも見つけた。流石ニッポン!

 

 

 

  番組の内容は有名だろうから「初心者」の私からは敢えて詳しくは言わないが、料理の内容はともかくその「番組の進行方法」には大いなる疑問……と言うより

 

 

 

 「ああ、こうだから結局

 

 『こういう発想』しか

 

  しなくなるんだなあ」

 

 

 

  …という、ある種の『不愉快さ』しか感じないものだった。

 

 

 

 

 

  最終的には『ヘッドシェフ』になれる、という賞品?を目当てに、先ず応募者が二組に分かれて料理を競うことが繰り返される。

 

 

  「途中経過」であろうと、毎回毎回、総合点で勝った組には『御褒美』が与えられる。

 

  それは別にいい。

 

 

 

  負けた組には『罰』が与えらえる。

 

  それも別にいい……「番組」としては仕方ない、として。

 

 

 

 

  しかし、問題はその中身。

 

 

  『罰』とはほぼ毎回、

 

 

  自分達も含め、皆が料理した後の『後片付け』

 

 

  か

 

 

  レストランの為の『仕込み』

 

 

  だという。

 

 

 

  時に『パーティー会場の為の準備』もある、と言っていたが、私は観れば観る程、段々腹が立って仕方なかった。

 

 

 

 

  そうなんだ。

 

  「こういうヒト達」

 

 

  …の脳味噌の中では

 

 

 

  『後片付け』=自分のケツの始末

 

 

  …とは「小人さんの仕事」と言うよりも先ず

 

 

  『罰』

 

  …でしかないし、故に「自分のケツの始末」をしてくれる人達を堂々と見下すメンタルが出来上がっているのだろう、と。

 

 

  「後始末」は『罰』

 

 

  だから

 

 

 

  私はナニも悪いことを

 

  していないんだから、

 

  やる必要は無い!

 

  …となるワケだ?

 

 

  (私にとって「後片付け」とは

 

   『自分のケツの始末は

 

    自分でやってアタリマエ』

   

   …であって、それ以上でも以下でもない)

 

 

 

 

  私も含め、在英のブロ友さん達が散々呆れているように

 

 

  「イヤな仕事をやってくれる人が居たら

 

  『便利』だから全部押し付けよう!」

 

 

 

  となり、その仕事に「感謝」もなく、逆に(それまで散々起こっていた)品切れなどがタマに起こると

 

 

 

  「いつもやっている、アノ人のせい!」

 

 

   …という発想『しか』出来なくなる頭なんだろうな、と。

 

 

 

 

  『大英帝国』が衰退した本当の理由は、こうした『庶民の力』なんだろうな……とつくづく思う。