無事に法要が終わりました。
なんやかや、ありましたが親族がこの発端となった様々な我が家の昔話をしていて、改めて「そうなんだー」と思いました。
たかだか100年。
でも、彼らが「俺たちは戦争孤児なんだ」と言っていたのが忘れられません。
父親が生きていれば。母親が現代のように権利を持ち働けたら、そんな思いが語られました。
やはり、女性が自分で生きていくことができる。男性に生殺与奪を握られない社会が大事なんだと強く思いましたよ。
お仏壇も親族から灯籠が届いたり、久しぶりにお寺で読経していただき、ご位牌を新しくしたりして、それがまた、昨日は清々しい秋晴れで「良かったことだよ」と。
準備、泊まり客の接待がものすごい苦痛でしたけどね。
諦めます。
私からすると、曾祖父の兄(三代前の叔父)が戦死したため、その息子(80代)が今回「父の供養をしたい。遺品を墓に入れたい」と言い出したのですが、結局、墓には入れず我が家に返されました。
墓にそんな収納力ないから。
タンスじゃないし。
曾祖父の兄は海軍でしたので、その妻が子供たちを連れ帰り、育てられないからと我が家で養育したのが経過です。
墓に入れたいと言われましたが膨大な遺品でしたので、それはまた拝見すると文化財みたいな感じだったため、預かることにしましたよ。
そうしなさい、とご先祖さまがお膳立てしたような雰囲気でした。
一昨日、お客様宅を伺ったとき、黄色の揚羽蝶がやたら私にまとわりつき、頭に止まったりしました。
実はですね、蝶々が苦手な私。
「ぎゃーっ」と心中叫びながら逃げてましたが、ご先祖さまがお帰りになっていたのかも。
まあ、こじつけ。
戦争はなくなりませんし、ロシアやウクライナ、様々な国が権力者により翻弄されてますね。こういうことなんだと、他人事には思えないです。
高校生、中学生くらいで出征し虐殺されるってね。耐えられないですよ。
父親が、家族残して「たぶん死ぬだろうな」て行くわけです。
残された人々は、なんとか糊口をしのぐしかなく、親族を頼った。
そんなことには、なりたくないです。
キナ臭い世の中になってきました。
どうか明日も、嫌だ嫌だとか言いながら美味しいものを食べて布団で眠れますように。