あ。
時差。
シカゴとちょっと違ってて、
ニューヨークはマイナス13時間。
なので、1引いてひっくり返す。
日本が朝8時ならニューヨークは前日の夜7時です。
ブルックリンの今暮らしている所。
Flushing Avenue (フラッシング・アヴェニュー) 駅。
Woodhull Medical Center。
デカい病院。何かあれば駆け込めばいい。
今日はニューヨークに住む大江千里さんと連絡を取り、
ランチすることに。
千里さんとは、
2006年8月に日比谷野音でのライヴに参加させていただき、
その後、数曲でマニピュレーター
(コンピューターの打ち込みやシンセサイザーの操作)
としてレコーディングに参加させていただきました。
そして、こんなことも。
2007年の秋、
千里さんがレコーディングのプリプロ作業
(スタジオ入る前のデモ作り)で、
僕のウチへ何日か通うことがあった時期のこと。
父親から電話がかかって来て、
「理央。大江千里さんて知ってるか?」
“ん?父さんいったい何を言ってるんだ?”
「知ってるもなにも、昨日ウチに来てたよ」
固まる父。
「え。え。そっか、知ってるのか。。。
いやね。パパが編集してるURの本に、
大江さんに取材して出てもらいたいなと思ってさ。
関西の団地で育った話を雑誌で読んで、面白くてね。
こっちは大きな雑誌じゃないけど、
取材受けてくれるかなぁ」
なんてことを言う。
なんだそれ?
あり得ない。
父親がミュージシャンを取材するなんて初めて。
で、こーんなにたくさんのアーティストがいる中で、
僕が面識ある人だって少ないし、
しかも一緒に仕事をしている期間にドンピシャなんて。
「え。俺聞いてみよっか?」
「いやいや、そんなつもりじゃなくてさ、
それはパパの方で事務所に聞いてみるから。
ただ理央知ってる人かな?
と思って聞いてみただけ」
だと。
ちなみに僕は “パパ”とは呼んでないが。
そして後日、レコーディング・スタジオで。
千里さん「いやぁいやぁ理央くん。
こんなことってあるんだなぁ。
びっくりしたよー。
会ったよお父さまに。はははは」
おかしいでしょ?
レコーディングは無事に終わり、
その数ヶ月後、
千里さんからメールを頂き、
「本格的にジャズを勉強しに
ニューヨークへ行くことにしました。…」
となったのです。
そして、すっかり
ニューヨーク在住のジャズピアニストとなった千里さんは、
にこやかにブルックリンの雑踏の中に現れた。
それを待っててくれているの図↑
ランチしながら、
こっちへ来てからの話を随分聞かせてもらいました。
4年間ニュー・スクール大学で若者に混じって勉強したこと、
こっちで生活するとはどうゆうことか、など。
こっちのバンドマンは
リハの予定を1週間前に連絡したのでは、
誰ひとりスタジオには来ない!
前の日に「明日だからね」と連絡をしないといけない、
とか。
こっちで生活するということは
確定申告もしなくてはならない、
とか。
僕も海外で暮らしてみたいなどと、冗談では考えているが、
日本であれだけややこしくて面倒な確定申告を、
こっちの横文字でやらなくてはならないとは、
考えただけでゾッとする。そりゃ無理だ。
やっぱスターになる人は凄い。
ランチ後、千里さんのお宅にお邪魔し、
以前スタジオで会ったことがある
愛犬ピーちゃんとも6年ぶりに再会し、
お茶して、ピアノトークして別れました。
たくさん刺激になり勉強になりました。
自分がおっさんになってから出会う人って、
僕より歳上でも “理央さん” になることが多いんだけど、
千里さんは “理央くん” と言う 。
この響きがなかなかいいんだ。
今日会うべくして会えたような、そんな気がしました。
そして。
18年ぶり。
I ♡ NY。。
3度目にして初めて、
ブルックリン側からイースト・リヴァー越しに望む
ロウワーマンハッタン。
グラウンドゼロに建設中の
↓ 1(ワン)・ワールド・トレード・センター。
建設中と言っても外身は出来ており、
あべのハルカス状態。130715
Woolworth Building (ウールワース・ビル)↑
8 Spruce Street (8スプルース・ストリート)↑
1・ワールド・トレード・センターは、
2013年5月10日に尖塔が取り付けられ、
最頂部はアメリカ独立の1776年にちなみ1,776フィート、
541mに達した。
Spire WTC final segment lift gopro
WTC Spire Installed
最上階は415m(108階)。
完成は2014年初旬だと。
ウールワース・ビルは241m。
1913年から1930年まで世界一高かった。
まだ新しい8スプルース・ストリートは
2011年完成の超高層マンション。
265mはNYで11番目の高さ。
1883年完成のブルックリン橋。
こんなもん19世紀のうちに作っていたなんて!
被写体の笑顔を自動的に感知してパチリとなる
“スマイル・シャッター” を試してみる。
ひとりでやってるのは暗い。
ひときわ明るいエンパイア・ステート・ビルとクライスラー・ビル。
よし。地下鉄でUp Town !
リンカーン・センターへ。
ここはニューヨーク。
だからもちろんニューヨーク・フィルを聴く (爆)。
これも18年ぶり。
エイヴリー・フィッシャー・ホール。
お目当て奏者は3人。
首席トランペットの↓フィリップ・スミス。
ジュリアード在学中にショルティに見出されシカゴ響へ。
ハーセスとともに吹いていたが、
1978年からニューヨーク・フィルへ。
首席ホルンの↑巨漢フィリップ・マイヤーズ。
そして↓首席トロンボーン、世界のジョセフ・アレッシ。
僕が高2だった1981年にムーティ指揮フィラデルフィア管を
NHKホールで聴いた時、新入りの若手で2ndを吹いていた。
その頃からメッチャうまかった。
サインももらった。
で、10年以上経って94年、NYを訪れたら、
ここのロビーで写真を見つけ、
ニューヨーク・フィル首席になっていることを
知ったのだった。
95年にまたここへ来た時、
R・シュトラウスの「アルプス交響曲」を聴いたのだが、
アレッシの “あの音” は、
大編成フルオケの一番後ろから、
はっきり突き抜けて響き渡っていた。
終わってから、
一緒に聴いていた笹路師匠に、
興奮気味にアレッシについて語ると、
「アイツうるせぇ」と、一蹴された。(笑)
いいんだ。
金管のトップ (首席奏者) はうるさいくらいがいい。
そして彼はもう何年もクラシック・トロンボーン界の
スーパースターの地位にある。
その3人がいる動画。
今晩の指揮はイケメン!のエサ・ペッカ・サロネンで、
ラヴェル : 「マ・メール・ロワ」。
ヴァイオリン・ソリストはベッピンさん!
リーラ・ジョセフォウィッツで、
サロネン (自作自演) : ヴァイオリン協奏曲。
そして、
シベリウス:交響曲第5番 Rattle
フィリップ・スミスは残念ながら
この日は降り番 (いなかった) 。
フィリップ・マイヤーズの音は、
はっきりそれとわかるほど、
オケから突き抜けていた。ありゃまさに怪物だ。
アレッシのサウンドを堪能するにはシベ5はちょっと地味、
今回はおとなしかった。
また聴きたいなニューヨーク・フィル。
94年3月の時も、95年7月の時も、
まだその頃はネットなんてなかったから
NY入りしたらまずここへやって来て、
滞在期間の一週間のうちに
ニューヨーク・フィル公演がないか見て、
チケットを買ったもんだ。
今は東京からネットで座席表をポチッとな。
夜9時半くらいだったが、続いて、なんと、
お隣のメトロポリタン・オペラへ。
既に終盤であろうプッチーニ「トスカ」。
これをクライマックスの第3幕だけ観る。
ひどいクラヲタだ。
「10時になったら2幕が終わるから入っていいよ」
と言われた。
NYフィルは最優先だが、
今回は隣のメトロポリタン・オペラの中にも入りたい。
だけど公演が同じ夜で諦めていたのだが、
“そうだ!オペラは長い!
NYフィル終わっても、すぐ隣でまだやっているやん”
ということに気づいた。笑
ウィーンでもやったやつ。
劇場見学じゃつまらん、
華やかに人が集まってて何かやってないと。
エレベーターで最上階へ。
てっぺんの安い席、およそ3千円。
東京文化会館での引越し来日公演なんてS席6万円だぜ。
まじオペラファンではない僕には、
現地で本物のメト劇場だし、逆に最高だ。
デカい。3,800席プラス立見で3,995名収容可能。
狙い通りオケピもバッチリ見えて僕にはS席だ。
指揮はシノーポリ。ドミンゴもいる。
Sinopoli
30分くらいでフィナーレだったけど楽しかった。
ここはステージの裏が巨大なため、
セットをしまっておけるから、毎日違う演目が上演出来る。
俺らのツアー・ライヴ後の様子とそんなに変わらん。
僕がいたのはここ↓
エイヴリー・フィッシャー・ホール↓
この一帯がリンカーン・センター。
写真では見えないが左側に、
ニューヨーク・シティ・バレエ団の本拠地である
D.H.コッホ劇場(旧ニューヨーク州立劇場)、
裏手にジュリアード音楽院、
ジャズ・アット・リンカーン・センターなど
芸術施設が建ち並ぶ。