こんにちは、りんぞーです。
今回はネットでは大不評を買っており、ドラゴンボール超1の嫌われ者と言っても良い全王が、果たしてそんなに罪深いのかという事について考えてみました。
ネットでの意見の大半は、悟空が超えられないキャラが出て来たのが気に入らない、これからは困ったら全王に消して貰えば良い、と言ったものですね。
正直、悟空が超えられないキャラという批判については、これまでたかだか宇宙人の一民族一個人が、神も含めて宇宙で誰よりも強いという事自体があり得なかったとりんぞーは思っています。
ドラゴンボールはどっちかと言うと、強い悪人が出て来て、それを倒すために修行をして強くなると言うコンセプトであり、別に悟空が宇宙一を目指すための漫画では無いので、わざわざそんなにめくじら立てなくても。。。とは思います。
そもそも、全王を超える必要があるの?と言う疑問もあります。
全王は戦士ではなく、単に「消去する能力」を持っているだけです。
実際力の大会では、戦士達のスピードに目がついて行かず、神パッドでスロー再生をしながら観ていたくらいです。
強さで言うならすでに十分超えていますし、敵対している訳でも強大な戦闘力を持っているわけでもない存在を超える事に、何の意義があるのか?と思います。
ビルスに迂闊に最強だと言うセリフを言わせてしまったばかりに、超える意義がファンの中に生まれてしまったのでしょうかね。
次に、困ったら全王に消して貰えば良いと考える方は、ドラゴンボールを本当に見た事があるのかな?と思います。
悟空はフリーザや人造人間の恐ろしさを十分に聞かされた上で、それでも戦いたいと思う人物ですし、それで力及ばず死亡したとしても、それならそれで諦められる人間です。
宇宙と融合したザマスに対しても、戦うことができる相手だったなら、戦いを挑むはずです。
戦う事すら不可能な相手に加え、界王神たちやトランクス、マイ、ベジータ、生き残りの人間など、自分以外の人間たちの命がかかっている状況で、更には全王ボタンという伏線(笑)があれば、そりゃあ使いますよ。
他者の力で解決するのが気に入らないというなら、合体は良いの?吸収は良いの?ドラゴンボールで生き返ったり吹き飛んだ地球を元通りにしたりするのは良いの?相手は元気なのに、死にかけてる仲間が仙豆で回復するのは良いの?という話にもなりますしね。
それに、多分全王は悟空が安易に消してくれと頼んだとしても、消さないと思います。
あの時全王が動いたのは、破壊神も界王神も天使もいない状況に加え、倒す事が不可能なザマスが宇宙中に広まってしまった事で、宇宙そのものを消滅させる以外の解決策が無かったからそうしただけでしょう。
大体にして、宇宙の管理者たる全王が、たかだか一宇宙の一民族の一個人のお願いなど、聞くはずがありません。
全王にとって悟空は特別な存在などではなく、悟空の存在が全王の判断に影響する事はありません。
悟空が全覧試合で全王にルールの点で進言しても大神官を通じて却下していますし、力の大会では負ければ当然、負けなくても願いを間違えれば悟空ごと全て消滅させるつもりでしたし、悟空がジレンに元気玉を跳ね返されて生死不明になっても、顔色一つ変えず心配することも無く、ただ機械的に神パッドのボタンを押して悟空を脱落者にしようとしていましたよね?
つまり全王にとっては悟空はその他大勢の中で、少しは話せる人間というだけの存在です。
養豚場で自分にちょっと懐いている豚がいても、結局出荷はしますよ、と同じレベルだと思います。
まあ、悟空は悟空で友人や家族よりも修行を選択する人格破綻者ですし(笑)、お互いに馴れ合う関係ではないと言う事ですね。
なので、ネットで批判されているように、困ったら全王にと言うのは、まず有り得ない暴論だと言う事になります。
まあ、ドラゴンボール超は無闇に相手を殺害せず、殺したら負けのルールで試合をしたり、最終章の力の大会が中弛み感が拭えなかったり、一向に超えられないビルスやウィスの存在、更にその上の大神官や全王などと言うように、以前のドラゴンボールよりも緊迫感や爽快感が感じられず、従来のファンが手放しで褒める事が出来る作品ではなかったと言うのはりんぞーも感じてはいますが、全王がそこまで批判されるような存在だったかと言われると首を捻らざるを得なかったので、今回記事にしてみました。
それでは次回の更新でお会いしましょう!