モンテッソーリ教育実施園で30年以上現場で働く現役保育士、

母で、妻で、嫁で、ばあばにもなっているrinzeです。

 

読みに来てくださって、ありがとうございます。

 

みんな一緒っていうじゃないですか。

みんな一緒ってどういうことなんでしょう。

 

私も保育士として子どもたちと活動するときに

「みんな一緒だよ。」って使います。

 

母として我が子に関わるとき

「みんな一緒でしょ」と言いました。

かつて子どもたちが小さい時ね。

 

そして、目の前に子どもがいるわけじゃなくて、

子どもに関わる大人として、

大人に対していう

「みんな一緒でしょ。」は

すこしずつ意味合いが違うのです。

 

みんな一緒でしょ。

 

 

たとえば、

音楽会の練習をしていて・・・

ハーモニカ、しているんですけど、

全員が全員、うまく演奏できたりしないんです。

ゆっくりだったら、ふける。

サビの部分は好きで、よく弾けるけど、

難しいところは、うまくできない。

吸って音を出すのは、まだちょっと・・・

ひとつの音をきれいにだせない。

 

それぞれに、うまくいかないところを抱えている子って

案外といます。

でも、私は

みんながみんなうまく弾ける、というのは素晴らしいけど、

現実として、

最終ずっとやっていればできるようになるかもしれないけど

音楽会の時点で、まだ完成に至っていないときだってあると思うんです。

私だって、なんでもかんでもできるわけじゃないし。

でもね

音楽会はみんな一緒にするから、大丈夫。

頑張っても間に合わないときだってあるよ・

でも一緒に頑張ろうよ。

うまくい弾けないところは、

弾ける人がちゃんと演奏してくれるから

安心してお任せしよう。

でも、演奏できるところは

今度はそこができない人がいるかもしれないから

その人の分まで、精一杯演奏しよう。

一緒だよ。できるところを頑張ったら、

できないところは、仲間が助けてくれる。

みんな一緒だから大丈夫。

 

なんて感じで話したことがあります。

 

我が子に言うときは、

自分だけ楽をしようとしないで。

家族みんなで頑張ってるんだから、

一緒に頑張ってよ。

なんて言ったことがあります。

(どんな場面か想像できます・・・?)

 

で、最後の

みんな一緒というのは・・・

 

それぞれが違う存在である。

誰一人として同じではない

命の重さは同じだけれど、

みんながそれぞれでいいんだ。

それぞれが違っていていいんだ、

と言う意味で、「みんな一緒」なのです。

 

誰かと一緒じゃなくても

君は君の考えでいいんだよね。

君が、一生懸命考えたのなら、

きっとそれはそれでいいのかもしれないし、

もし、あれ?っと思ったら、

そのときに修正できるんだ

という存在であることは一緒よ。

自分も相手も、違う存在であることを認め合う。

そういう意味で一緒である、ということです。

 

私のおもう

「みんな一緒」の違い・・・

どう思いますか?

 

同じ言葉でも、

場面と人と意図で

意味が随分ちがってきます。

 

でも、

「みんな一緒」を乱発するのはどうでしょう。

ほんとうに、全て一緒であることが大切なのでしょうか。

 

そんなことをみんなで考えてみて、

どんなときに、どんな意味につかうのか、

rinzeの『子育て親育ちサロン』では

実際のそれぞれの場面と我が子の言動から

自分なら・・・と考える機会を作ります。

 

大人が気づけば、子どもに伝わります。

大人が変われば、子どもの未来が変わります。

 

大好きな我が子の未来が

笑顔輝く未来であってほしい。

 

そのために「幸せな子育て」を目指します。

 

笑っている子どもたちの横で

大人も笑っていたいから・・・

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

今日のご縁に感謝いたします。