保育士で、母で妻で嫁のrinzeです。

 

今日も読んでくださって、ありがとうございます。

 

モンテッソーリ教具で活動してる際

自分が納得するまで、繰り返す事ができます。

間違えていても、そのときはそのままで

間違いの訂正が自分でできるようになっています。

 

 

繰り返し教具をさわって、

そうしながらある日

ぴこん!

発見、気づきがあるのです。

 

それは、とても小さな豆球ほどのことかもしれません。

 

でも、この日の一つの気づきが

次々と、

大きな発見・広がる笑顔につながっていくのです。

 

その小さな気づきを得る瞬間を

大人は、待ちきれず、ついつい・・・・

「あ、それ違うんじゃない?」

「こっちの方がいいんじゃない?}

「ここをよく見て」

            etc

 

少し遠回りをしても、

子どもたちの時間はたっぷりあります。

自分で到達する『正解』

誰かに教えられる『正解』

どちらに価値があるか・・・

 

その遠回りを、

無駄な時間だと思いますか?

遠回りをしている間の

感情や学びを

要らないものだと思いますか?

 

欲しかった『正解』にたどり着いたとき

やったね!

そういって喜びを分かち合える事に

大きな意味があると思うのです。

 

抽象的な言葉が並んでしまって、

わかりにくかったかもしれません。

 

具体的に、というと・・・・

 

次回に・・・

 

今日も読んでくださって、ありがとうございました。