『精神科医がものを書くとき』中井久夫著
ちくま学芸文庫 194P 「精神保健の将来について」より引用。
私のように二十世紀後半に生きてきた精神科医には二つの課題があった。一つは、すでに存在する慢性患者の社会復帰をどのように図るかであり、もう一つは新たな慢性患者の発生をできるだけ阻止して急性期からの順調な回復を促すことであった。この課題の道半ばにして精神科医としてのキャリアーの終わりを迎えるであろうことは残念でならない。
私は、多少の緊急往診も、ケースワークもしたし、若気の至りで患者の家庭に泊り込んだことも、患者と共同生活を試みたこともないではない。毎夏を患者とキャンプしたことも、運動会をしたことも、文化祭をしたことも、ひととおりのリハビリテーションも、絵画療法も、箱庭療法も試みた。集団療法にも立ち会った。とにかくよいと言われることは何でもやってみようとした。結局、そこから今言えることは、慢性化しつつある患者、慢性化した患者に、これがよいといわれる特権的な方法、いわば「王道」はないだろうということである。
強いていえば、かつて「心のうぶ毛」と表現した、ある繊細さと向日性とでもいうものが感じられるようになることが、非常に重要なステップではないかということである。それは、おそらく患者の自然回復力の表現であるとともに、他の人間の善良さを引き出す生命的能力である。そのような患者なら私は家族として受け容れることができる。
医師としての課題は、したがって、患者のすさみを、あるいは萎縮を、どのようにして和らげ、うるおすかということになる。私にいわせれば、それは、人間であることさえも超えて、すさんだ生命、萎縮した生命を回復させる機微が確かにあって、それを忍耐づよく、しかし晴々とした気持ちを失わずに行ってゆくことであろうと思われる。
老年期の問題、薬物嗜癖の問題、ハイテクノロジー時代のストレス対処の問題など、数多い問題を述べなかったが、それには別の適当な機会あるいは人があるだろう。