長女の小学校入学前に生活の変化が2つあった。
・3人目となる末っ子長男が産まれたこと。
・マンションから妻の両親と同居をしたこと。

長男が産まれ妻が入院している時は、次女が産まれた時に経験した「ママんとこいくー!」の言葉は長女も次女もなく、穏やかに生活できた。

住んでいたマンションからは幼稚園のお友達と違う小学校になること、子育てに関しては両親と住むことで色々助けてもらえるし、妻や私と違った、気持ちに余裕のある両親と生活すれば、子供達も優しい性格になるのではと思い決断した。

そして長女は小学校に入学。
何事にもコツコツ一生懸命する姿は変わらず、懇談では担任の先生が言うことがありません。と毎回談笑して懇談が終わるような長女であった。

私は会社から独立し、自分の会社を立ち上げてから、言い訳ではあるが、仕事で我が子の行事を観に行けたことがほとんどない。
今のご時世、父親は何の行事にでも参加している。私の仕事でも父親も参加していただける事が本当に多くなった。長女もそこに文句の1つでも言いたい時もあったかもしれないが、私の耳には入ってこなかった。

そんな中、長女の通っていた小学校では冬にマラソン大会がある。
たまたま午前中、仕事を休みにしていた日がちょうどマラソン大会の日だった。
1年生のマラソン大会の結果は、はっきりと覚えていないが14位くらいだった。
長女は悔しかったのか、2年生になって季節が冬になる頃から私が休みの日には一緒に走ろうということになりマラソンの練習を始めた。
2年生のマラソン大会の結果は9位だった。
長女の次の目標は入賞したいすることとなり、3年生になって季節が冬になると去年同様、マラソン練習を始めた。
3年生のマラソン大会の結果は6位入賞を果たすことができた。

親バカではあるが、このように長女はコツコツ1歩1歩、努力ができる素晴らしい人間性を持っていると亡くなった今でも思っている。

水が顔にかかるのが苦手で幼稚園の年中から始めたスイミングも2年生の終わりまで頑張って多少泳げるようになり、好きで始めたピアノも2年生の終わりまで頑張り多少は弾けるようになり、リズム感も養えた。

そして3年生になり、娘が習いたいと言っていたダンス教室に行くことになった。
ダンスは倒れた前日まで通い、倒れた日も家で自主練するほど没頭した習い事だった。