私が住む関西では朝晩は10℃で長袖、日中25℃を超え30℃近くになり半袖じゃないと汗が吹き出す。

4月ってこんな気候だったっけ?と思いながら体調を崩さぬよう過ごしている。

皆様も温度差に体調崩さぬようご自愛ください。


4月15日は長女の68回目の月命日であった。


今回は義父母(妻の父と母)の話を書こうと思う。


長女が亡くなる7年前から義父母と同居し生活をしてきた。

同居するにあたって私が気を使わないように様々なことに配慮してくれた義父母。

気づけば同居して13年の月日が経った。

一緒に旅行、誕生日、入学・卒業など節目のお祝いなど楽しく過ごした。

そして長女の死。苦楽をともに過ごして13年。


2年ほど前から義父は職人(ガス関係)の仕事を引退し、義母と2人で何度も旅行に行ったりと夫婦で楽しく余生を過ごしている感じであった。

ただ義母の膝が年々悪化し、先月に人工関節の手術をおこない、リハビリをし普通に歩けるまでに回復した。

義母が手術をしてリハビリを頑張った理由の1つが、まだまだ様々な場所に旅行に行きたいから。

素敵な夫婦だなと思っていた。


そんな義母がリハビリを頑張っている時に、義父の身体には異変が起きていた。

・お腹が痛い、張っている

・下痢

などの症状だった。

家族からの「ジィジ、病院行きやー」の言葉も「大丈夫!バァバが退院してから行くわー」と自分を優先しないいつもの義父だった。


義母が退院し、義父が病院で検査をした。

大腸癌だった。肝臓にも転移していた。


今から約15年前にも義父は癌になっている。

リンパ腫だった。そこから完治したがまたも癌になった。

年齢もあるからだろうが、とうとう死ぬ時が来たかと義父の口から飛び出すほど諦めモードの義父だった。

妻や私に義父が所有する名義などの話をするようになり、長く同居して全く気を使わない私は「そんなん言うて5年10年生きるかもしれんし、死ぬ間際になったら俺が手続きするから心配いらん。生きれるように治療頑張って」と辛口エールを送った。


ある日の夜、義母と私の2人で話もした。

・治療したら治るかもしれないんやからしっかり治療しよう

・長女が亡くなった後の義父がしてくれたことを今度は俺がする

こんな話をした。


長女が亡くなった後、家族はどん底にいた。

もちろん義父母も含めて。

ただ義父は必要以上に関西弁でいうとアホなことをして笑かしてくれた。

少しでも家族が笑顔になるように突然ボケてみたり、大声で笑ってみたり・・

義父母にとって最初の孫が順番を間違えて亡くなった現実をかき消すように笑いを提供しようとする姿勢を私はこの目で見てきた。

だから義父が退院してきたら私が家族を笑顔にしてみせる。

明日5月1日に一旦義父は退院をする。

笑顔がいっぱいの、まだ生きたいと思える日々を過ごしてもらいたい。

それも治療の1つだと思うから。


長女の遺影に話かけた。

寂しいか?ジィジ、ジィジってくっついてたもんな。でもまだ迎えにくるなよ!


当分、誰の死もいらない。

それだけ。

生きようぜ、ジィジ!