大和
大和型は、ロンドン海軍軍縮条約 (簡単に言えば、戦艦など造れないようにする条約)失効後に建造されました。機密保持という名の下で建造され、すごく隠されていた存在でした。敵軍に見つけられたくない最終兵器のようなものだからでしょうか・・・?当時の人からはやりすぎだという意見もあったそうです。大和の由来は旧国名の「大和」から。大和には史上最大の46cm主砲が乗せられていました。主な参加海戦は、レイテ沖海戦、坊の岬海戦など。とても有名な艦ですが、以外にもあまりたくさんの海戦には参加していません。しかも、その二つの海戦でも、悪いことばかりおきています。レイテ沖海戦では、姉妹艦である武蔵の沈没。坊の岬海戦では、大和自身が沈没しています。今も大和は、長崎県沖のほうに眠っているそうです。あっさり沈んでしまっているように見えるかもしれませんが、そこは戦艦大和。他の艦が耐えれないような攻撃をたくさん受けてもすぐに沈みはしなかったようです。さすが。ちなみに、大和型には三番艦の信濃、という艦もいます。こちらは戦艦から航空母艦に改造されています。なので、厳密に言えば大和型は三姉妹です。参加海戦も少なく、比較的新しい大和型戦艦。しかし、アニメの題材にもなっています。それはやはり、極秘建造された最終兵器という、少年心をくすぐられるような史実からなのでしょうか。
長門
第二次世界大戦では、日本の象徴であった戦艦長門は、ワシントン海軍軍縮条約 (各国々の、戦艦、航空母艦の所有数を制限する条約)があったため、その当時では数少ない41cm主砲が詰まれた艦です。外国艦を合わせても7艦のみ。そのため、世界のビッグ7と呼ばれていました。名前は旧長門国から。長門は、終戦時まで生き残りました。ちなみに日本の戦艦で生き残ったのは長門だけ。大和型と同じで、戦争後期程までは温存されており目立ったような活躍はありません。長門型が戦争に参加するときには、戦艦が主力の時代は過ぎ航空戦力、潜水艦が主な戦力となっていました。そのせいもあるのだと思います。そのため、大体護衛や救助の面で長門は貢献していました。壮絶だったのはその長門の最期。終戦後、生き残った長門はアメリカ軍に明け渡されます。そして、クロスロード作戦というアメリカ軍の核兵器の実験に実験体として参加。一回目の実験では、ほぼ無償。しかし、二度目は駄目で、艦が五度ほど傾いたそうです。それでも長門は水上に浮かんでいました。しかし、四日後の朝。その姿は既に水上には見られなかったそうです。つまり、誰にも見取られることなく、長門は沈んでいたのです。四日間も生き延びれるほど、艦へのダメージは少なくなかった。しかし、それに耐えていた長門。その当時の日本国民の目には、どう映ったのでしょうか。私は、これは誇りだと思いました。
伊勢
戦艦伊勢型は、元々は戦艦扶桑型の三番艦として建造されていました。しかし、扶桑型には欠陥が見られたため新たに伊勢型として建造されました。そして、航空戦艦に改造された数少ない戦艦でもあります。航空戦艦になった理由はミッドウェー海戦で大量の空母を失いその戦力を補うためでした。しかし、他の艦に比べての燃費や運用力の悪さから、海戦にはほぼ参加していません。主にレイテ沖海戦ぐらいでしょうか。しかし、ほぼ会敵しなかったため、あまり活躍は残してません。そして、航空戦艦に改造されながらも、海戦の中で一回も艦載機をのせることはありませんでした。予定では、瑞雲14機、彗星8機が乗せられるものでした。結局、その後も伊勢は燃料不足から、稼動されることなく浮き砲台として三ツ子島 海岸付近に停泊。二度の呉軍港空襲 で、大破着底。終戦後、引き上げられて解体されました。しかし、伊勢は呉空襲の際、日本海軍の歴史の中で日本の戦艦としては最後に主砲を発射しました。浮き砲台になっても尚戦い続けた伊勢。あまり活躍の場はありませんでしたが、十分に日本に貢献したのではないでしょうか。
金剛
金剛型は、日本軍初の超弩級巡洋戦艦 です。一番艦である金剛はイギリスのヴィッカース社に発注され建造されました。続く同型艦は、金剛を元に日本で建造されました。主な参加海戦は太平洋戦争、ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場への砲撃、マリアナ沖海戦 、レイテ沖海戦など。金剛はもともと巡洋戦艦という艦種だったのですが、一次改装の際に、排水量の増加、速度の低下により艦種を戦艦に変更。二次改装の際には機関出力が二倍になり、その速さは30ノット(約55.6km/h)にもなりました。これが高速戦艦金剛と言われる由縁です。ちなみに他の戦艦は25ノットほどの低速艦でした。金剛が参加した作戦のなかで一番すごいと感じたのは、ヘンダーソン飛行場砲撃。敵艦載機が集う飛行場にそのまま砲撃をしてダメージを負わせようという、当時では中々無い斬新なアイデアだったようです。飛行場を一時機能停止にまで追い込みました。しかし、この作戦をそっくりそのまま日本に返されたときは、日本にとても大きなダメージを与えました。金剛の沈没は、台湾沖での、台湾沖で米海軍潜水艦 、シーライオン による魚雷攻撃によって。当時すでに艦齢30年。軍艦の中では長生きでした。ちなみに金剛は日本戦艦で唯一潜水艦の雷撃により撃沈された艦、らしいです。老朽艦でありながらも、最期まで前線で戦ってきた金剛は、とてもすごい艦です。