あらひろこさんを訪ねる旅の始まり | 木村林太郎ブログ~リンタウロスの森

あらひろこさんを訪ねる旅の始まり

敬愛するカンテレ演奏家あらひろこさんが去る5月5日、長い闘病の末に旅立たれ、どうしてもお見送りしたくて、周囲の人たちにわがままを聞いてもらい急きょ札幌を訪れた。

ここ数日、悲報は国内外を駆けめぐり、たくさんの知人友人による、あらさんへの愛に満ち溢れたメッセージを目にした。あらさんが我々にとってどれほどかけがえのない存在だったかを改めて思い知らされたし、その人柄や演奏にもう触れられないということをどう理解し受け入れれば良いものか、今でもわからない。

あらさんに初めてお目にかかったのは20年近く前。我々のユニットRivendellがあらさんと扇柳トールさんの「aasian kikka」とライヴをご一緒させて頂いた時だったかと思う。初めて聴くカンテレという楽器の音色と、あらさんの美しい楽曲、アレンジセンスにどんどん魅了されていった。そしてその音楽を決定的に好きになったのは、2007年にリリースされたソロアルバム「Moon Drops」。この年7月の自分たちの北海道ツアー中、札幌であらさんから出来たてのCDを頂いた。その二日後、富良野から遠軽まで少し長めの移動をした。森深い大雪山系の麓、夏の緑がしたたるように美しい道を車で走りながら、何度も何度も繰り返しアルバムを聴いた。どの曲もただただ美しくて、北海道の風景と一体化していて、何まわりしてもCDを入れ替えたいとは全く思わなかった。僕はこの時間を一生忘れることはないだろう。特に自分で「ノスタルジックなワルツ」を弾く時はいつだってこの時の情景を思い出している。

今回あらさんを見送るための札幌までの旅はとても長いものになった。あらさんは関東に演奏に来られる時、大きくて重いカンテレを運搬するためによく寝台特急「北斗星」を使われていた。8年前、この列車が廃止されてからはフェリーがお気に入りだった。その旅路を辿りながらいろいろなことを考えたくて、一昨日の夜、大雨の仙台から船に乗り込んだ。海はやや時化ており、波の高さ3~4メートルと比較的荒れた航海になった。船はピッチング(縦揺れ)を繰り返し、幾度となく大きな波の山と谷を乗り越えて夜通し進んだ。揺られながら、あらさんのこれまでの壮大な旅を想い続けた。我々が共に演奏した時だって、毎回この距離を乗り越えていたのだ。

翌日の昼前に苫小牧に上陸し、港から札幌行きのバスに乗った。曇天の寒々しい日、ところどころにまだ桜が咲いていた。移りゆく北海道の風景を眺めていれば、再生装置がなくてもあらさんの楽曲やカンテレの音色は容易に耳の奥で聴くことができる。その音楽や人柄はやはりこの地、この空の下でしか生まれ得なかったものだと思う。

自宅を出てからほぼまる一日で札幌に着いた。この町で、去年10月にあらさんと一緒にライヴをしたばかりだ。短い時間だったけれど、良い音楽をしてたくさん笑い合った。いつでも生命感に溢れていたあらさんのお通夜に行くというのが全く現実的でない。斎場は人でごった返していて、その中に何人もの大好きな演奏家、そして演奏を支える人たちの姿を見つけた。お通夜はつつがなく行われた。音楽関係の方、それ以外のお付き合いの方、あらさんへの想いと悲しみに溢れた時間だった。

お通夜のあと、ハンマーダルシマー演奏家・小松崎健さんを中心とした演奏家仲間の集うJack in the boxにお邪魔した。30年間もあらさんと一緒にライヴやキャンプや数多の宴を繰り広げた人たちの集い。綺麗で無難な言葉ばかりが流れたお通夜とは違い、ここでは素のあらさんについて心のままに語り合った。美辞麗句ばかりではない。あらさんは本当は猪突猛進で、かなりマイペースで適当なところもある。自宅でリハーサルをした時に、大切に育てていたヒヤシンスがあらさんのカンテレの下敷になり、それから花壇づくりを諦めた演奏家、他の場所で講師を務めるワークショップ開始数分前になっても自店で悠々と食事をしているあらさんを見てヒヤヒヤしていた飲食店店主…次から次へとそんな思い出話が出て、みんなで大笑いした。こんな日に不謹慎と思う方もいるかもしれないが、あらさんはいつもこんな気の置けない、居心地の良いコミュニティでゲラゲラ笑っていたのだ。そしてそんなコミュニティがあったから、僕はあらさんに出会うことができたのだ。かく言う自分も、たとえば札幌でのライヴのお約束があったのにあらさんから急に「ごめんなさい、その日東京で演奏が入っていたのをすっかり忘れていて、だから札幌ではなく翌日の富良野のライヴに参加させてもらえませんか?」言われて、でもそのおかげであら夫妻と一緒に富良野でとびっきり楽しい一日を過ごせたり、思い出すと微笑んでしまうようなことが数えきれぬほどある。

少なからずいろいろな人のカンテレ演奏を聴いても、僕にとってあらさんのそれが特別なのは、きっとあらさんが元々ロックやプログレ少女で、好きなものが似ていることもあるだろう。あらさんの作る旋律もアレンジも、音も、本当に僕の琴線に触れるものばかりだ。こっそりピンク・フロイドの曲をご一緒したり、zabadak吉良知彦さんと僕のライヴに入って頂いた時のあらさんのカンテレのかっこよさ。

ここ数年は闘病で、僕には想像もつかぬほど体がきつかったにも関わらず、あらさんはいつでも明るく、優しく、朗らかにご一緒下さり、その音色はどこまでもあたたかく、澄みわたっていた。あんな音楽は世界のどこにもない。とても充分に感謝の気持ちをお伝えできたとは思えないが、これからは自分の演奏であの姿を、あの音楽を追いたいと思う。

あらオットことヒロアキさんはじめご家族の皆様は、特にこの五年間は献身的にあらさんを支えられていて、その力があればこそ、自分を含めたくさんの人々にあらさんの音楽が届いた。これからのご一家のご健康を願ってやみません。そして、あらさんとの出会いのきっかけを作って下さった北海道の皆様、今回の旅でお世話になった皆様、本当にありがとうございました。