ザバダックと俺 その47~のぞみは、かなう | 木村林太郎ブログ~リンタウロスの森

ザバダックと俺 その47~のぞみは、かなう

2003年5月、Rivendellが始動した。
この年の2月、東京・江古田のフライングティーポットで「クレーナ」というアイリッシュバンドのライヴがあった。当時は本国から来る人たちを除いては、入場料を取って行うアイルランド音楽のライヴがほとんどない時代だったので、どんな音楽だろうと観に行ってみた。
フルート、アコーディオン、ギター、パーカッションの四人編成で、ギターのワタヌキさんとパーカッションの工藤源太さんは特にアイリッシュには馴染みのない人のようだったが、技術は高く、爽やかな演奏だった。中でも鍵盤アコーディオンの響きが印象に残った。アコーディオンはもともと大好きな楽器だが、どちらかといえばアコーディオン一筋の人より、キーボードなど鍵盤全般を操る人の弾くアコーディオン演奏が好きだった。メトロファルスのライオン・メリィさんのように。この「クレーナ」のアコーディオン奏者、藤野由佳もその一人だった。後日自由ヶ丘オカロランズのセッションで話をしてみれば、好みの音楽や曲調もいろいろ重なっていた。
当時自分が勤務していた、アイルランド衣料、雑貨を扱う商社のイベント演奏に出演をお願いしたことをきっかけに、一緒にユニットをすることになった。お互いにトールキンの「指輪物語」(もちろん当時上映されていた映画も)が好きで、また自分がアイルランド・ゴールウェイのRivendellの住人だったことから、ユニット名はそこからそのまま頂いた。
それまでは演奏活動のほとんどがソロかサポートだったから、「ホーム」ができるのはとても嬉しかった。アイルランドやスコットランドの、旋律の美しいスローエアや伝統歌を中心にオリジナルも織り混ぜながら、ライヴを重ねていった。
ユニットを組んで半年ほどがたった頃、ミニアルバムを作ろうという話になった。自分にとっては初めてのレコーディングで、ドキドキしながら準備を進めた。

フランス・アビニヨンで共演させて頂いた後、吉良さん、公子さんとは、郡上八幡の照明寺でもう一度「双子の星」をご一緒させて頂いたきりだったが、zabadakのライヴに行けばご挨拶に伺い、打ち上げにも参加させて頂いていた。Rivendellのレコーディングが決まり、その少し後のzabadakライヴ終演後に吉良さんにそのことをお話すると、「頑張ってね!ギター必要なら呼んでね!」と激励を頂いた。常識的な人なら、これは社交辞令ととらえるだろうし、自分もまあその一人だった。後日藤野に冗談半分で「吉良さんが必要なら呼んでねって言ってた」と伝えた。彼女はzabadakを信奉するみとせのりこさんと井上さんのユニット「キルシェ」のサポートメンバーでもあったし、吉良さんがどれだけ偉大なアーティストなのかもよくわかっていた。それで「呼べるものなら呼んでみなよ」と、ほぼ冗談で話は終わりそうになった。
しかし、アイルランドで「チャンスを逃したら二度はない」スタンスを身につけていた自分は、彼女のこの言葉から、ダメ元で打診してみようかという気持ちが芽生えた。収録曲のひとつ、マン島に伝わるケルピーの、それはそれは悲しくて美しい旋律に、アコーディオンとハープの他に何か軸がほしかった。
それからすぐに、仕事で岡山出張があった。悶々と悩んでいたが、岡山に向かう「のぞみ」の中でメールをしたためた。名古屋の手前でエイヤッと送信した。京都の手前で返信がきた。「喜んでやらせていただきます。でもお礼なんていらないよ。お金はいつか君たちにスポンサーがついて仕事が来るようになった時にがっつりいただきます。」今でもこの短いメールをのぞみの中で繰り返し読み返した時のことを思い出すと目頭が熱くなる。