7月17日 サロベツ~旭川~富良野 | 木村林太郎ブログ~リンタウロスの森

7月17日 サロベツ~旭川~富良野



サロベツの宿では四人で雑魚寝していた。
天窓から光が差しはじめた早朝3時半頃、フナハシ君のスマホが突如「すみません、聞き取れませんでした」と声を上げ、すっかり目が覚めてしまった。 
それ以上寝られる気もしなかったので、そっと外に出てみる。
朝の透んだ空気の向こうに利尻岳がくっきり見えた。二年前この宿に泊まっていた時、吉良さんは一人で早朝ドライブに出かけ、二時間くらい戻って来なかった。
ちょっと真似でもしてみるかと車のキーを取りに部屋に戻る途中、同じ宿に泊まっていた那古さんという人にばったり会った。
那古さんは東京から旅行に来ていて、ディーゼルカーの走行音を聞いたり鳥を見たりするのがお好きなのだそうだ。
これからちょっと海に出ますが乗って行きますか?と聞くと、那古さんも行くという。
カーステレオからは、昨日入れたままの『賢治の幻燈』のCDが流れていた。
稚咲内の海岸に出ると、今日も利尻が頂上まで見える。
二年前は大雨続きで、吉良さんは一度も頂上を見られなかった。
それでもこの地に来られたことがとても嬉しかったのか、ツイッターのヘッダーはずっと雲をかぶった利尻のままだ。
この景色をお見せしたかったなあと、ため息しか出ない。
宮沢賢治は妹トシを失った翌年、花巻から青森、函館、札幌を経由し、この付近を走る宗谷本線に乗り稚内まで、さら稚泊連絡船で樺太まで旅をした。
その時に眺めた風景や心情が『銀河鉄道の夜』を描く動力の一部だったというが、賢治はどんな気持ちで、どんな眼差しでこの地を旅しただろうか。
奇しくも吉良さんの作った『よだかの星』や『銀河鉄道の夜』を聴きながら、吉良さんと賢治を想う。

稚咲内からかなり北まで走り、引き返す。サロベツ原野まで戻ったところで、那古さんが電線の上にカラスの巣を見つけ、「ダメだなあ、あんな所に、あんな雑な巣を作ったらダメでしょう!」とダメ出しをしていた。
鳥好きの方の視点というのは思いがけないものが多くてとても面白い。
宿に戻ると、フナハシ君が一人外で大空を見上げていて、それが妙にサマになっていた。

あとは長くなるので流します。
7時きっかりに宿泊者は集合をかけられ「後楽園ホール特設リング」で朝食。
宿を後に、湿原センターに立ち寄り、豊富温泉で朝風呂。
幌延、雄信内を経由し、天塩川に沿って国道40号線を南下。
音威子府駅で名物の立ち食いそばを食べ、またひたすら南下。
豊富から三時間半のドライブののち、旭川に到着。
麦々堂のお二人がたくさん宣伝して下さったおかげで、本当にありがたいことに何とお客さんいっぱいだった。
思えば旭川ではこの8ヶ月の間に三回もライブで訪れていることになる。
親方と季里さんに幸あれ!
響きの良い木楽輪(きらりん)でのコンサートは、まずまず手応えのあるものになった。
お会いしたかった方、思いがけずお会いできた方と嬉しいひと時をご一緒させて頂いたのち、そそくさと旭川を後に、富良野へ向かう。
雨の中、峠を越えて富良野盆地が見える頃、夜空に花火が上がった。
翌日のライブ会場、野良窯さんにご挨拶し、いつもお世話になっている山荘へ。
旭川から合流したくおくおの吉田夫妻と軽く打ち上げをして、いつもの部屋で寝た。
長旅をしている筈なのに、日々がどんどん過ぎ去ってゆく。