宗谷海峡で日本漁船「第172栄寶丸」がロシアの国境警備局に拿捕されました。非常に残念な事です。早期の解決を望みます。

 日本とロシアの間には漁業協定が3つあります。

Ⅰ サンマ、イカ、スケトウダラ等を対象とした相互入漁に関する「日ソ地先沖合漁業協定」
Ⅱ ロシア系サケ・マス(ロシアの河川を母川とするサケ・マス)の我が国漁船による漁獲に関する「日ソ漁業協力協定」
Ⅲ 北方四島の周辺12海里内での我が国漁船の操業に関する「北方四島周辺水域操業枠組協定」

 今回第172栄寶丸の操業はこの3つには当てはまりません。なので、ロシア領内で操業していたら国境警備局に拿捕されるおそれがあります。日本側発表では、第172栄寶丸は日ロ中間線の日本側で操業していたという事ですので、それを信じたいと思います。

 ところで、この件に関し、宗谷海峡の法的ステータスが結構関連しているように思います。これは私がずっと問題意識を持っている事です。

 まず、海の憲法ともいわれる国連海洋法条約では領海は12カイリとなっています。そして、領海がぶつかる所(24カイリ以下)では中間線で仕切る事になっています。日本もこのルールに従って、領海及び接続水域に関する法律で領海を定めています。

【領海及び接続水域に関する法律】
(領海の範囲)
第一条 我が国の領海は、基線からその外側十二海里の線(その線が基線から測定して中間線を超えているときは、その超えている部分については、中間線(我が国と外国との間で合意した中間線に代わる線があるときは、その線)とする。)までの海域とする。
(略)

 しかし、日本の領海の内、5ヶ所だけ領海の主張を3カイリに留めている場所があります。

【領海及び接続水域に関する法律】
附則
(略)
(特定海域に係る領海の範囲)
2 当分の間、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡東水道、対馬海峡西水道及び大隅海峡(これらの海域にそれぞれ隣接し、かつ、船舶が通常航行する経路からみてこれらの海域とそれぞれ一体をなすと認められる海域を含む。以下「特定海域」という。)については、第一条の規定は適用せず、特定海域に係る領海は、それぞれ、基線からその外側三海里の線及びこれと接続して引かれる線までの海域とする。

 これについては、私が映像で説明していますのでこのリンクを参照いただければ幸いです。簡単に言うと、上記5海峡については「公海」部分を作っているという事です。公海ですから、そこには日本の主権は及びません。なので、例えば、津軽海峡のど真ん中で中国軍艦が停泊して、日本についての情報収集活動をするのは自由です(過去に中国艦船が津軽海峡をウロウロした事があります)。

 

 そして、この仕組みが最も歪な形で現れるのが宗谷海峡です。5海峡の内、対面に外国があるのは、稚内―サハリン間の宗谷海峡と対馬-韓国間の対馬海峡西水道です。対馬海峡西水道については、日本同様、韓国も領海の主張を3カイリに留めています。一方、宗谷海峡は違います。ロシアは中間線まで領海を主張し、日本だけが領海の主張を3カイリとしています。つまり、宗谷海峡で公海部分となっているのは、日本が中間線まで主張すれば埋まってしまう場所だけです。

 もう少し具体的に書きたいと思います。宗谷海峡は最も狭い場所で約42kmです。なので、日本(稚内)とロシア(サハリン)双方から12カイリ(約22.2km)を主張すれば、24カイリ(約44.4km)に満たないため中間線で領海を分け合う事になります。そして、ロシアは中間線まで領海を主張する一方、日本は主張を3カイリに留めています。結果として、稚内からサハリンに進んでいくと、①3カイリまでは領海、②3カイリから中間線までは公海、③中間線から向こうはロシアの領海、という事になります。②に当たる海峡の幅は、一番狭い場所で概ね15kmくらいでしょう。

 では、この知識をベースに宗谷海峡での拿捕を考えてみたいと思います。(そのような事では無いと信じていますが)仮に日本漁船がロシア領海内で違法操業をしていたとします。当然、ロシアの国境警備局は、ロシアの国内法に基づき、その日本漁船を取締り、追跡する権限があります。漁船が公海に出ても追跡を継続する事は可能です。

【国連海洋法条約】
第百十一条 追跡権
1 沿岸国の権限のある当局は、外国船舶が自国の法令に違反したと信ずるに足りる十分な理由があるときは、当該外国船舶の追跡を行うことができる。この追跡は、外国船舶又はそのボートが追跡国の内水、群島水域、領海又は接続水域にある時に開始しなければならず、また、中断されない限り、領海又は接続水域の外において引き続き行うことができる。(略)

 

 ただし、その漁船が日本の領海に入ったら、ロシアの国境警備隊はそれ以上の追跡は出来ません。

 

【国連海洋法条約】
第百十一条 追跡権
(略)
3 追跡権は、被追跡船舶がその旗国又は第三国の領海に入ると同時に消滅する。
(略)

 つまり、仮に宗谷海峡のロシア領側で違法操業があったとする場合、ロシア領海(③)で追跡が始まって、日本漁船がロシア領海から出ても、まずは公海(②)ですからロシアの国境警備隊の追跡は続きます。日本領海(①)に入ってようやく(法的には)追跡不可になります。上記の通り、ロシア領海を出て最短でも15kmは追跡をかわす必要があります。しかし、上記で述べた通り、②の海域は日本がフルマックスで領海を主張すればすべて日本の領海になる場所です。そうすれば、日本漁船がロシア領海を出れば、すぐに日本領海に入るので(法的には)ロシアの国境警備隊は追跡を継続出来ません。

 私は現職時代、何度もこの件を取り上げました。外務省から担当室長が「是非議論したい」という事で訪ねて来た事もあります。私はこの件の背景として「5海峡における核搭載艦の通過」を円滑ならしめる事があるのは知っています(今は核搭載艦の領海内通過は核の持ち込みに当たるとの解釈のため公海部分を開けている)。私から「5海峡内で中国軍艦が停泊したらどうする?また、宗谷海峡の領海主張は非対称的となっている。これをおかしいとは思わないか(ましてや今回の拿捕事案のように邦人保護に差し支えかねない)。それだけの犠牲を払っても、まだ領海の主張を3カイリとする事の方が国益が高いと思うか?」と問いかけました。回答の詳細は控えますが、結論から言うと「今の仕組みの方が国益に資する」との事でした。先日、友人の大西健介議員が小此木領土・領海担当相に本件で質問した際も「見直しは一切考えていない」との趣旨の答弁でした。

 これは1977年に領海法を作った時に設けられた仕組みです。当時、外務省幹部の中にすら「おかしな事やっているな」と思った方はおられました。上記の領海及び接続水域に関する法律の附則にもある通り、この5海峡のみ領海3カイリの規定は「当分の間」のものです。つまり、何処か歪な所があるため永続的措置としては考えていなかったのです。ただ、45年の歩みの中で、現行制度を前提とした仕組みが進化してきたため、もう手を付けにくくなっているという事です。

 今回の宗谷海峡での拿捕事案は、現在の制度の歪さを若干露呈していると思います。今の制度が日本人を守るツールを少し手放している事に繋がっているわけです。制度の惰性にとらわれることなく、この制度のプラス・マイナスを考えていくべきだと思います。