アメリカが対馬海峡で「航行の自由作戦」を実施した、日本の領海設定を問題視という報道がありました。現時点ではほぼすべての報道+有識者コメントには誤解がありますので解説しておきます。

 

 まず、海洋法の基礎からスタートします。海には公海があります。ここは原則自由な海域です。そして、各国の基線(領海等を引く基となる線)から12カイリ以内の海域が領海です。ここには国際法に基づいて沿岸国の主権が及びます。そして、基線の内側に「内水」があります。分かりやすいのは湾とか内海でして、これは領海よりも内側にある海域になります。内水は一部を除いて国際法が適用されません。基本的には沿岸国の自由です。

 

 そして、この基線の引き方、つまりは内水の決め方が今回の問題になっているのです。私の目には領海設定の問題ではなく、内水設定の問題だと映っています(領海は基線から12カイリと決まっていますので、その設定に問題が生じるはずが無いのです)。国連海洋法条約には、基線の引き方として「直線基線」というルールが設けられています。これは何かと言うと、海岸が著しく曲折しているか、海岸に沿って至近距離に一連の島がある場所においては、ゴチャゴチャするのでなくグイーンと直線で基線を引いて、そこから領海の計算をしてもいいよとなっている事を指します。これだと何の事か分からないので、海上保安庁のサイトを見ていただくと分かります。このページで濃い青と普通の青の境目に引かれている赤線が直線基線です。そして、濃い青の部分は領海ですらなく内水です。

 

(日本は平成8年にこの直線基線を決めています。国連海洋法条約では、こういう後になって引いた直線基線の内側にある内水での自由な航行は認めるようになっています。内水に国際法のルールが掛かっている数少ない部分です。)

 

 アメリカが言っているのは「直線基線が膨らみ過ぎだろ?」という事です。それは「内水を取り過ぎだろ?」という事を意味します。これは突然言い始めた話ではありません。冷戦時代からアメリカは自由に航行できる海域を出来るだけ広く取る事を基本政策としています(当時、ソ連とこの点では一致していた)。なので、国際的なルールが殆ど掛からない内水の範囲が広がる事については、世界中何処であっても厳しい視線を注ぎます。このアメリカの基本姿勢(出来るだけ自由な海域を広く取る)は日本に苦しい所があり、例えば中国の艦船がトカラ海峡を通航する際、中国は「ここは(自由度高く航行出来る)国際海峡だ。」と主張し、日本は「ここは国際海峡では無いので、日本のルールに従え。」と主張しています。多分、このケースではアメリカは日本の味方はしてくれないでしょう。

 

 アメリカの「航行の自由作戦」と言うと、南沙諸島の環礁で基地を作る中国を牽制するためのものだと思っている方が多いです。勿論、それは重要な要素なのですが、同作戦の全体像はそれだけではありません。自由な海域を多く確保するのが基本目標であり、そこから見ると、日本の直線基線が膨らんでいる事も、中国の南沙諸島での策動も厳しく対応するという事です。

 

 しかも、日本は過去にも航行の自由作戦の対象と見られて来ました。記憶が定かではないのですが、たしか民主党政権時代からこの図の能登半島→舳倉島→佐渡あたりの直線基線の引き方が問題だとアメリカから指摘されていました。アメリカは「能登半島から富山・新潟の本土に基線を戻すべし」と言っており、舳倉島に直線基線を引くなという事も含まれていたような気がします(違っているかもしれません)。ただ、2013年頃にこの海域を問題視する記述が航行の自由作戦のサイトから消えました。多分、安倍政権がアメリカ側とかなりの交渉をしたんだろうと思います。全然目立たないネタですが、私は「結構な得点だよな」と思っていました。

 

 そして、今回、アメリカは対馬海峡付近で作戦をやっているようです。あくまでも想像ですが、この図における五島列島から無人島白瀬を経由して壱岐に直線基線を伸ばし、そのまま我が福岡県の世界遺産沖ノ島、山口県の見島と直線基線が伸びていく事の全体(又はその一部)を問題にしているのではないかと思います。なので、本当に日本が採用する直線基線が適当なのか、内水になっている部分が本当に内水扱いで良いのかを問うているのでしょう。今回、具体的には日本は領海と見なしているけれども、アメリカが妥当とする基線から測れば公海になる狭い海域で軍事行動を行っているのだと思います(領海内での他国の軍事行動は国連海洋法条約で禁じられている)。更には五島列島から上甑島、鹿児島県の諸群島に引いている直線基線もケチを付けているだろうと思います。もしかしたら、この図の対馬そのものの直線基線もケチ付けるんじゃないかなと思います。

 

 再度、この日本の全体図を見ていただくと、九州と北陸、東北、北海道西部での内水の膨らみ方が大きい事に気付いていただけると思います。とどのところ、それらのすべてをアメリカは問題視していると思っていただいていいでしょう。将来的にこれらの海域においても、日本の基線では領海、アメリカが妥当とする基線から測れば公海になる場所での軍事行動はあり得ると見るべきです。

 

 アメリカの言い分をすべて聞いていると、日本の主権が及ぶ範囲が狭くなります。もう少し渋いネタを披露しておくと、この基線は領海のみならず、排他的経済水域や大陸棚を測定する時にも使われます。そうすると、仮にアメリカの言い分通りにすると、東シナ海の大陸棚開発に関する日中中間線の位置に影響するはずです。10年以上前、中間線の付近で開発するガス田はどちらの国の大陸棚かという問題がかなり盛り上がりました。日中の基線から測った中間線ギリギリの所に白樺(春暁)、楠(断橋)、樫(天外天)、翌檜(龍井)といったガス田があります。そして、中間線を測る基線の一部は長崎県ではなかったかなと思います。特に翌檜(龍井)ガス田の付近の日中中間線は長崎県のはずです。この図を見ていただくとよく分かります。

 

 仮にアメリカの言い分通りにして長崎県の直線基線が凹むと、その分だけ中間線が日本側に寄ってしまいそうです(つまり境界ギリギリで日本側にあるガス田が中国側に行ってしまうおそれ)。ただ、中国側の上海付近の直線基線も(たしか日本以上に)かなり大胆なので、こちらもアメリカは認めていません。日中双方が仮にアメリカの言い分で基線を取った時に中間線が何処になるのかは私も知りません。ただ、そういう極めて機微なネタである事は主権意識の高い方には知っておいてほしいです。

 「航行の自由作戦」とはこういうものを含むのです。突然やってきた話ではなく、また、常に日本に有利となる作戦ではないのです。