東京高検検事長の定年を、国家公務員法の特例で延長しようとしている件はあまりに酷いですね。本質的には「桜」の比ではないです。民主主義とか、法治国家とかいった先人の積み上げを否定するものです。法律は厳格なプロセスを経て作られます。内閣法制局で一言一句詰めます。世間的には色々と批判を浴びる事の多い内閣法制局ですが、誤解が生じる可能性が無いように最大限のエネルギーを注ぎます。

 

 まず、一般の公務員に適用される国家公務員法を見てみましょう。この規定によって、東京高検検事長は定年を延長してもらった事になっています。

 

【国家公務員法第81条の3(定年による退職の特例)】
任命権者は、定年に達した職員が前条第一項の規定により退職すべきこととなる場合において、その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、同項の規定にかかわらず、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる。

 

 ここにある通り、退職の特例(定年延長)が適用されるのは「定年に達した職員が前条第一項の規定により退職すべき事となる場合」です。では、「前条第一項」に何が書いてあるか見てみましょう。

 

【国家公務員法第81条の2(定年による退職)】
職員は、法律に別段の定めのある場合を除き、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三十一日又は第五十五条第一項に規定する任命権者若しくは法律で別に定められた任命権者があらかじめ指定する日のいずれか早い日(以下「定年退職日」という。)に退職する。
 

 一般的な定年退職について書かれていますが、重要なのは「法律に別段の定めのある場合を除き」です。そういう場合はこの一般的な定年退職の規定は適用されないという事です。そして、この「法律に別段の定めのある場合」が検察庁法です。この法律には例外規定が一切ありません。

 

【検察庁法第22条】

検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。

 

 私には、検察官に対して国家公務員法の定年延長の特例が適用される可能性があるようには思えません。当然、国家公務員法改正の審議できちんとそういう答弁がされています。それは「解釈」というよりは、「解釈するまでもなく、読めば論理的にそれ以外の可能性が無い」ものです。つまり、安倍総理は「解釈変更(で特例が適用されて、検察官の定年延長が可能になった)」だと答弁していますが、これは「解釈変更」ではないはずです。解釈で越えられない限界を解釈の名の下に越えようとしています。法治国家の構造を、民主的プロセスに依らず覆そうとしているという意味において、静かなクーデターと言っていいでしょう。

 

 不思議なのは、内閣法制局長官がこの判断を了としている事です。あの組織は、どんなに無理筋であろうとも何らかの理屈を付けます。なので、その理屈を聞きださなくてはいけません(野党はこれが出来ていません)。上記の論理の流れからして可能性があるとすると、(本質的に荒唐無稽なのですが)第81条の3における「定年に達した職員が前条第一項の規定により退職すべきこととなる場合」には、第81条の2における「法律に別段の定めのある場合」を含んでいる、という事かなと思うのです。第81条の2においては、その場合を除いているけども、その除くための規定も第81条の3における「前条第一項の規定」の一部なのだからいいのだ、という理屈くらいしかないように思えます。ただ、これは政府に確認するしかありません。

 

 法務大臣から、こういう(無理筋な)閣議請議が上がってきて、それを閣議決定したと言っています。官邸の事情でやっている事は分かっており、誰もその説明を額面通り信ずる人間はいません。ただ、公的なプロセスとしてはそれで正しいので、ケチを付けるのは至難の業です。ただ、一つ言えるのは、日本の内閣法においては国務大臣は連帯責任です。この法務大臣による静かなクーデターを全閣僚でサインしています。全大臣が共謀共同正犯という事です。国務大臣は普段はそれぞれの所掌事項で頑張っていただく事が想定されていますが、こういう決定的な場面ではその署名行為が極めて重要になります。閣僚でない時はいつも威勢の良い発言をする防衛大臣、環境大臣あたりは、この静かなクーデターに連帯責任を負う気概を持っているのでしょうか。

 

 これは法治国家を覆す行為です。行政法の解釈が容易に閣議決定で変わるのであれば、明日、刑法典の解釈が変わる事だってあり得ます。国会答弁で取り付けた解釈も、明日には変わり得るという事です。日本の歴史、世界の歴史を学べば、予見可能性の欠如による恣意的な判断を防ぐために命を賭して頑張った先人が数多く居ます。その学びと怖れが現政権には決定的に欠けています。

 

 本当に恐ろしい事です。権力でやれる事の域を超えています。