日米通商交渉やTPPに関する本を書いている事はかねてからブログに書いていましたが、かなり終わりに近づいています。実はここまで相当な紆余曲折がありましたが、通商のみならず外交や政治の視点も織り込んだ内容になっています。題名は「国益ゲーム」としました。内容は1980年代の半導体、自動車、保険交渉から学びを得てみよう、という視点からスタートしています。なお、よくありがちな「政治家本」ではありません。現在の政権のポジションについても是々非々です(TPPについては比較的評価が高く、日米貿易交渉については評価が低いです)。

 

 その中に書いている内容を少し敷衍しながら、最近の日米貿易交渉等の来し方行く末について書いていたいと思います(なお、大半は私のFACEBOOKに書いていたものです)。

 

【関税削減のあり方】

 日米貿易協定が発効したので、アメリカの牛肉が安くなりましたね。TPP11諸国と関税水準が同じになりましたので、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド産と同じ競争条件となります。

 

(ただ、少し細かく言うと、アメリカの牛肉とオーストラリアの牛肉は商品としてはかなり別物です。アメリカは穀物(グレイン・フェッド)、オーストラリアは牧草(グラス・フェッド)ですので、脂の乗り方が全然違います。日本国内でも用途がかなり異なります。なので、オーストラリアの関税が下がったら、すべてアメリカ産からオーストラリア産に行くわけではありません。)

 

 これだけだと「ああ、そうか。牛肉が安くなって良い事じゃないか。」と消費者の方は思うでしょう。別にケチを付けるような事ではなさそうです。

 

 ただですね、TPP11が発効したのは昨年度(2018年12月30日)です。なので、日本の関税削減は2年目に入っています。アメリカとの貿易協定は今年の1月1日発効です。仮にTPPと同じペースで削減するとしても、本来なら関税削減は1年目のはずです。しかし、日本は今回の交渉で「アメリカとの協定が発効したら、そのスタートラインはTPP11の削減2年目と合わせてあげる」という約束をしています。アメリカが勝手にTPPから出て行ったのに、あたかもTPPに残っていたのと同じ条件で関税を下げてあげる事にしたのです。本来なら、TPPを蹴飛ばした事による関税削減の遅れがペナルティとしてアメリカに生じるはずですが、それを全部無かった事にしたという事です。

 

 そうであっても「いいじゃん、牛肉安くなるんだし。」という意見はあるでしょう。私もそう言いたいです。ただ、一つだけ条件があります。「日本からの輸出品に対するアメリカ側の関税削減も同じように、あたかもTPPが発効していたかの時と同じ条件でやってくれる」のであれば何の異存もありません。これが無いのです。日本はアメリカの牛肉をTPPの関税削減スピードに乗せましたが、アメリカはそんな事は日本にしていません。こういうのを不平等条約と呼ぶのではありませんかね。

 

【とうもろこしは買うのか】

 8月のビアリッツG7の際、日米首脳会談で「アメリカのとうもろこし」を日本が買うという報道がありました。安倍総理は「害虫ツマジロクサヨトウ」による国内のとうもろこし不足を理由に挙げていました。そもそも、日本で飼料用で生産しているのは青刈りのとうもろこしを発酵させる、いわば「お漬物」です(サイレージと呼びます)。仮に被害が出ているとしても、穀物のとうもろこしを購入する理由にはなりません。ただ、トランプ大統領は「シンゾーが買ってくれることになった。日本の民間企業は政府の言う事をよく聞く。」と言っていました。

 

 さて、日本はこのとうもろこし輸入時の保管料を補助するという政策を打ち出しました。ただ、11月上旬くらいまでは申請がありませんでした。当然です、特に追加需要が無いので買う商社は居るはずがありません。しかし、昨年末、突然、保管料申請が複数出てきたとの報道がありました。

 

 恐らくですね、今年度補正予算か、来年度本予算で商社への「利益の付け替え」が終わったのだと思います。商社にとってはとうもろこしの追加輸入はコスト要因です。そのコストを何処か別の所の利益で保証する事で調整が付いたのでしょう。それを受けての保管料申請だと思います。それは農林水産分野かもしれないし、経済産業、国土交通等の他省庁の所管事項で調整を付けているかもしれません。つまりは「国民負担」です。

 

 現政権はこの辺り慎重でして、まだ「誰が保管料申請をしたか。」を発表していません。上記のような詮索が始まる事を恐れているのだと思います。

 

【政府の影響試算】

 最近、幾つかの道府県から日米貿易協定の影響に関する独自試算が出て来ています。私の経験からして、民主党政権時代から今に至るまで、TPP、日米貿易協定等で政府からまともな影響試算が出てきた試しがありません。遥かに真面目なのは各道府県の独自試算です。

 

 政府の試算のコツは2つです。①農林水産業だけ別枠で試算して全体モデルに入れる、②農林水産業に関する試算は神の手が入る、この2つです。大体、この時点で信頼性に欠けます。①については、別枠にせず最初から全体モデルに入れると、政府として望む試算にならないのでしょう。②については、交渉開始時は「てえへんだ」と思わせるために極端に厳しく見積もり、交渉妥結時は「ノープロブレム」と言うためにスーパー楽観的、というのがパターン化しています。いずれも世論操作のためでしかなく、信頼に足らないくだらない代物です。

 

 怖いのは、「政府の試算はどうせ信頼に足らない」という事を関係者が折り込んで、何の異議も唱えない事です。政府が発表するものを国民が「どうせ嘘」と思いつつ諦める時、そこに残るのは民主主義の危機だけです。そして、為政者がこの諦念感を意図的に狙う事はあり得ます。通商分野だけでなく、政治全体の危機ではないかなと思います。

 

【今後の交渉】

 今後の交渉のあり方については、日米共同声明に書いてあります。

 

<日米共同声明(2019年9月25日)>

With the conclusion of these early achievements, Japan and the United States intend to conclude consultations within 4 months after the date of entry into force of the Japan-United States Trade Agreement and enter into negotiations thereafter in the areas of customs duties and other restrictions on trade, barriers to trade in services and investment, and other issues in order to promote mutually beneficial, fair, and reciprocal trade.

 

<和訳>

こうした早期の成果が達成されたことから、日米両国は、日米貿易協定の発効後、4か月以内に協議を終える意図であり、また、その後、互恵的で公正かつ相互的な貿易を促進するため、関税や他の貿易上の制約、サービス貿易や投資に係る障壁、その他の課題についての交渉を開始する意図である。

 

 こういうのを「誤訳」と言います。大学受験でこの訳を書いたら、大幅減点でしょう。小難しいのですが、この誤訳に政府は大きな意味を込めていますのでお付き合いください。

 

 この文章を見れば、普通は「関税や他の貿易上の制約、サービス貿易や投資に係る障壁、その他の課題(customs duties and other restrictions on trade, barriers to trade in services and investment, and other issues)」について協議して、交渉すると読むべきものです。しかし、政府はまず、協議をして「関税や他の貿易上の制約、サービス貿易や投資に係る障壁、その他の課題」の中から、何を交渉するかを決めると強弁しています。何が言いたいかと言うと、今後の交渉は包括的なものではないんですよ、交渉議題はこれから選ぶんですよ、と誘導しているわけです。

 

 そして、その方向に誤訳しています。この誤訳のように読ませたいのなら、少なくとも「...Japan-United States Trade Agreement, and enter into negotiations thereafter...」とコンマを入れる必要があります。外交文書においては、コンマ一つで意味が全く変わるというケースです。

 

 日米の約束内容を正直に国民に伝えると都合が悪いため、嘘をつかざるを得なくなり、最終的に協定の訳で嘘をつくところまで来ています。日米貿易協定は最初から最後まで、この手の「訳で嘘をつく」手法が横行しています。

 

【具体的な今後の交渉内容】

 具体的には、茂木さんは「今後、日米で予定される関税交渉は協定上明示してあるものだけ。」と言っていて、それは「現時点では自動車だけだ。」と言っています。しかし、よく考えてみてください。それは「自動車関税下げて」と日本がアメリカに懇願するだけの交渉を意味します。「アホか、んなものあるわけねえだろ」となるはずですけどね。誰か聞けばいいのです、「通商交渉ってギブアンドテイクですよね?」と。今、茂木さんが言っているのは「日本は『自動車関税撤廃』でテイク(成果)を取りに行くけども、ギブ(譲歩)は出す予定なし。」と言っているだけですから。

 

 ただ、そもそも論として、今年は追加交渉はやらないでしょう。上記の共同声明では、遅くとも今年の5月(発効後、4ヶ月以内)に交渉をスタートするはずですが、アメリカにそのゆとり無しです。最近の連邦議会補欠選挙や知事選で負けたり、保守地盤で大激戦だったりしているので、選挙のマイナスになる自動車の関税の交渉なんかやりません。やるとしたら、トランプ大統領が「もっと日本からタマ出して、俺の大統領選挙の加勢をしろ。」と行って来る時だけです。

 

 そちらより、今、力を入れた方が良いのは、TPP11加盟国との追加交渉です。TPP11でも、日米貿易交渉でも農産品で輸入枠を提供しましたが、アメリカ脱退後のTPP11では(アメリカが入っていたTPP12から)輸入枠を削減していませんので、(TPP11での枠=TPP12での枠)+(日米で約束した枠)でアメリカ枠の二重換算が出ています。この対処が先に来そうです。これを解消する方法はTPP11枠の見直しです。この交渉、茂木さんは「やる」と言っていますが、ここまで見る限り全くやる気無さそうです。

 

【BREXITはどう日本に影響する?】

 BREXITが成立すると、貿易ルール分野では日EU・EPAの枠組みから英国が外れる事を意味します。非常にテーマは多いのですが、大括りで2つ論点を提示しておきます。①日本との自由貿易協定を結ぶか、②日EU・EPAにおいて約束した枠の削減を求めるか(英国分が過剰になるため)。

 

 ①については、BREXIT後に何の取決めもないと、日本にとっての(貿易ルール上の)英国の位置づけは自由貿易協定の無い国々と同じです。WTO協定での関係が残るだけです。しかも、WTO協定上の途上国優遇も無いので、かなり扱いは低くなります。ザックリ言うと中国(WTO加盟・途上国)より扱いが低く、イラン(WTO非加盟)よりは高い、というイメージです。これを放っておくと、英国産品には関税(WTO譲許分)がかなり掛かるようになり、多くのもので値段は上がります。

 

 代替物として、英国がTPP11に入るという話があります。英国にとっては一ヶ国毎に交渉するよりも、(かつて英国が植民地としていた)コモンウェルス諸国が多いこの枠組みに入る方が手っ取り早くて便利です。TPP11は「環太平洋」の枠組みであって太平洋にある英国領は「絶海の孤島」ピトケアン諸島だけです。まあ、絶対にダメだとまでは言いませんけどね(笑)。

 

 ②については、上記のTPPからアメリカが抜けた状況と似てます。日EU・EPAで譲歩した分には英国分も含まれています。例えば、日本はEUにチーズの輸入枠を一括で提供しています。その中から英国産チーズ分は引くべし、という交渉です。EU側は嫌がるでしょうけど、日本はEU側に「そっちの事情だろ?」とチクチクやれば良いと思います。

 

 もう少し話を広げると、金融サービスでEUには「シングル・パスポート」という仕組みがあります。EUの何処か一ヶ国で免許を取れば、EUの他の国でも営業出来る事になっています。そして、日本の金融機関はロンドンのシティをベースにしている所が多いです。これが確保されないなら、フランクフルトあたりに逃げたくなりますよね。そして、EUは離脱交渉で絶対に英国にシングル・パスポートなど認めないでしょう。そういう追い銭を渡さないのが、EUの交渉方針ですから。

 

 BREXITのテーマは多岐です。今後、交渉が1年程度で纏まる可能性はゼロでしょう。ジョンソン首相は瀬戸際戦術で強引に纏めようという意図を持っていそうですが、あまりにテーマが広すぎて絶対に無理です。どうするのかな?、と不思議な気分になります。

 

【結語】

 こんな事を纏めた著書「国益ゲーム」、多分、2月後半か3月上旬に発刊です。