あるきっかけで、ウルグアイ・ラウンドの際のコメ自由化交渉の事を調べていました。

 

 1986-1993のウルグアイ・ラウンド当時、「例外なき関税化」を巡って激しいやり取りがジュネーブのGATT本部でなされていました。「例外なき関税化」を打ち出したのはアメリカ。そして、1991年のダンケル・ペーパーで当時のGATT事務局長のアーサー・ダンケルがこの考えをたたき台として上げて来ました(最終的にはダンケル・ペーパーは微修正されて最終合意に至っています。ウルグアイ・ラウンドの最後の2年くらいは、「日本や韓国のコメ」とか、「ECの輸出補助金」とか、そういう残された課題をどうするかだけだったわけです。)。

 

(注:「関税化」というのは、例えば従前可能であった「輸入禁止」とか「数量制限」とかをすべて止めて、輸入障壁は関税のみにするという考え方です。当時、日本にはコメ以外にもガチガチの数量制限をしている農林水産品がありました。)

 

 当時、日本は「コメの関税化反対」を強く打ち出していました。ウルグアイ・ラウンドというと、今から思い直すと知的所有権、投資、アンチダンピング、紛争解決、食の安全・・・、非常に多岐に亘るテーマが取り上げられましたが、国内では「コメ、コメ、コメ」でした。後日、ダンケル事務局長はたしか「日本からは非常に多くの関係者が来て、コメ自由化反対の話をしていった。自分は可能な限りすべてに会って『例外なき関税化』の話をしたが、あれはどの程度通じていたのであろうか。」みたいな話をしていたと記憶しています。

 

 当時の報道を見直してみると、農水省は「コメについては、6年間の猶予を経て関税化」というアイデアで走っていました。関税化というのは何かというと、ある一定の数量は低関税(一次税率)で輸入する、それ以上については高い関税(二次税率)を払うという事です。ウルグアイ・ラウンド時点では、世界中に「輸入禁止」措置が横行していたのですが、こういう形ですべての農産品について一定の市場開放をする事をアメリカが提案し、ダンケル・ペーパーはそれを踏襲していました。同ペーパーでは、1年目(1995年)消費量の3%⇒6年目(2000年)消費量の5%での低関税輸入が提示されていました(毎年、輸入量が0.4%ずつ増える)。

 

 しかし、平成5年10月の交渉最終盤で、韓国の東亜日報が「コメについて、日本は6年の猶予を置いて関税化」と報じます。国内外は大混乱に陥り、コメの市場開放に対する国内世論がどんどん硬化していきました。ただし、交渉中、特にこの時期に何が起こったかについては、私は極秘文書を見過ぎているので慎重に書きたいと思います。

 

 最終的な合意は、①1年目(1995年)消費量の4%⇒6年目(2000年)8%について低関税(無税)輸入(毎年、輸入量が0.8%ずつ増える)、②6年間は二次税率による輸入可能性はなし、③6年目以降について事実上白紙、という事になりました。6年間は決まった数字以上は絶対に輸入しないという事(②)と6年終わった後も何の約束もないという事(③)で、日本側から見ると「関税化ではない」という理屈になり、アメリカ側からすると、一定の輸入枠は取れた(①)という事で、それぞれにある程度顔が立つようにはなっています。

 

 何故、アメリカがこの案でOKを出したかと言うと、日本側から「完全に関税化すると、アメリカのコメなんて日本では売れませんよ。食糧庁(当時)による国家貿易でガチガチに管理する形で合意すれば、アメリカ産米に配慮できるでしょ。」と囁いたからだと言われています。今でも、日本の輸入の半分はピッタリとアメリカ産米である事からしても、そういう密約を誰かがしたんだろうなという事を窺わせます。なお、その後も、アメリカから「コメの自由化」を求められる時はよくこの理屈を出してアメリカを説得して来ました。

 

 さて、日本流の理屈による関税化阻止による対価は、上記の通り、関税化していれば3%⇒5%で良かったのに、関税化しなかった事で4%⇒8%という加重された輸入機会の提供(低関税輸入)を課せられたという事です。当時は世論が沸騰しており、かつ、東亜日報のスクープ等で、何よりも「関税化阻止」に重点が置かれてしまったわけです。

 

 しかし、ウルグアイ・ラウンドが終わり、WTO農業協定が実施されるようになってくると、冷静に考えて、この「関税化阻止の対価」がバカバカしく見えてきます。本来よりも過重な輸入義務を課せられているという事への違和感が強くなります。そして、もう一度よく考えてみたら、二次税率を極めて高く設定出来る事に気付き(最初から分かっていたのですが)、低関税輸入枠以上の輸入は生じない事が分かったのです。であれば、加重された輸入枠なんてバカバカしいだけじゃないか、という事で、1998年に中川昭一農林水産大臣の下、「やっぱり関税化します」という事で条約改正交渉と国会承認手続きをやります。簡単に言うと、4%からスタートして毎年0.8%ずつ増えるルールだったのを、最後の2年だけ0.8%⇒0.4%の増加に抑えたという事です。なので、今の輸入量は消費量の7.2%です。二次関税は341円/kgと禁止的に高く、黒米とか特殊なもの以外は輸入されないようになっています。関税化阻止と関税化の違いは、「(決まった量以上は)絶対に輸入しない」と「(決まった量以上は)絶対に輸入できないくらい高関税である」という事の違いでしかありません。

 

 最初から関税化していれば5%で済んだ話が、現在、7.2%ですから2.2%分多めに輸入しなくてはならない状況です。もう少し付け加えると、上記で何回か「消費量」と書きましたが、あれは1986-88年の平均消費量をベースにしています。その後、日本はコメ離れ、少子高齢化、人口減少といった要因により、コメの消費量が劇的に下がっています。1986-88年の平均消費量は、現在で換算すると多分、消費量の10%を超えていると思います。幾つかの過程を付けて、現在の消費量の5%でいいのであれば、ミニマムアクセスでの輸入量は半分くらいで済むと思われます。

 

 この結果ですね、輸入したコメの保管料、援助で出す時の国際価格との差額補填等の形でかなりの国民負担となって跳ね返っています。農水省は特別会計で一括処理しているので、個々の数字は出せない的な事を言うので正確な事は分かりませんけども、過去からの積算で行くと、2.2%の増分だけでも一千億円を大きく超える国民負担増になっているはずです。冷静に判断していれば、情報漏れが無ければ、もしかしたら国民負担はもっと少なくて済んだかもしれない...、当時の「関税化阻止」の大連呼の雰囲気を思い出す時、そんな理屈はすべて無責任な後付けに過ぎないわけですけどね。ただし、ある改革は農林水産官僚の方が、かつて「あの東亜日報のスクープのせいでコメの改革は5年遅れたかもしれない。」と言っていたのを思い出します。