BREXITに関する英国政府とEUとの合意が暗礁に乗り上げています。合意案について議会採決が今月に予定されていましたが、否決のおそれが相当に強いため、来年に延期されています。メイ首相は、与党保守党の信任投票は何とか切り抜けましたが、相当の反対票が出た事から、今後も合意案の採決に明るい見通しが立っているわけではありません。

 

 一番、拗れているのはアイルランド(国家)と北アイルランド(英国の一地方)との関係です。英国が唯一陸路で国境を有する場所です。英国がEUの単一市場から抜けてしまうと、当然、アイルランドと北アイルランドとの間の物流には関税が掛かる事になります。それは国境管理を入れなくてはならないという事になりますが、これをやってしまうと、アイルランド紛争の再現になってしまいます。この問題に苦しんでいます。

 

 キーワードは「バックストップ(防御策)」です。来年3月29日の離脱後、移行期間の間に包括的な通商協定を結ぶ事になっています。ただ、それが出来なかった時に発動されるのがバックストップです。当初のバックストップは、合意案が成立しなければ、北アイルランドだけEUの関税同盟に残るという案でした。これだと、ブリテン島と北アイルランドの間に線(厳格な管理)が引かれてしまう事になり、一国二制度に近くなるという事です。さすがにこれはマズいという事で、包括的な通商協定が成立しない時は英国全体が関税同盟に残るというバックストップになっています。しかも、バックストップからの離脱はEUからの承認が必要とされています。

 

 これが離脱派の怒りを買っていて、このままでは結局離脱にならないではないか、事実上のEU残留と同じだという事で保守党の中では盛り上がっています。また、自分達の運命をEUの承認に委ねる事への根本的な反発があります。関税同盟に残留するという事は、自由に通商協定をEU外の国と締結する事も出来ません(例えば、。英国がTPPに参加するとか)。

 

(ただ、それ以前の問題として、移行期間の間は、EUの制度が適用されるのに、欧州委員会、欧州議会、欧州司法裁判所からは撤退するという最悪の状態になるのですけどね。「制度はすべてEUのものを適用。しかし、口は一切出せない。」という皮肉な状態になります。EUが嫌だから離脱しようとしたら、自分達が口を一切出せない形でEUに縛られる時期が生じてしまったという事です。大いなる矛盾です。)

 

 また、バックストップ案では、英国全体が関税同盟に残ると言っても、EUからは離脱しているので制度等の面でブリテン島はEUとは違う規制になっていきます。しかし、一方で北アイルランドについては、ほぼ従前のEUの仕組みが適用されるとなっているため、英国のその他の地域よりも強い関税関係でEUと結ばれる事になり、かつ、EU単一市場のルールや規則により足並みを揃えることになります。これは、やはり、アイリッシュ海に線が引かれてしまうおそれを意味します。ブリテン島から北アイルランドに入ってくるモノについては、(関税は掛かりませんが)EU規則上、何らかの検査が入る可能性があります。

 

 極めてざっくりと言うと、アイルランド・北アイルランドの間に線を引くか、アイルランド島とブリテン島の間に線を引くか、という問題です。英国政府はどちらも嫌なんだけど、それとBREXITは相容れないので、その兼ね合いに苦しんでいるという事です。

 

 このままだと、合意案は議会を通過しないでしょう。来年に延期しても、再交渉でもしない限りは無理だと思います。現時点では、EUのユンカー委員長も、主要国の首脳も再交渉に反対しています。ただ、マクロン・フランス大統領の発言を聞いていると、「合意を議会で通すために何が必要なのか、メイ首相から話を聞いてみたい。」といったフレーズもあり、100%再交渉の余地なしではないのかな、という印象も抱かせます。

 

 さて、(バックストップ案を含む)合意が議会で賛成を得られない場合は「合意なき離脱」になります。これは分かりにくいかもしれませんが、簡単に言うと、「EUとの関係で、英国は日本と比較しても遥かに不利な条件に置かれる」という事です。日本は来年2月にEUとのEPAが成立しますが、英国が合意なき離脱をしてしまうと、そういう特別な関係が全くない状態で放り出されるわけです。EUは(日本を含む)世界の多くの国と自由貿易協定を締結していますが、そのネットワークの外に置かれてしまいます。したがって、上記でバックストップ案の話をしましたが、合意なき離脱ですと、強制的にアイルランド・北アイルランド間の貿易に関税が生まれ、製品検査等のスポットを作らざるを得なくなります(本当にやるかどうかはともかくとして制度上は)。

 

 日本企業としても、英国を含んだ形でのサプライチェーンはすべてブツっと切れてしまいます。英国にモノが出入りする際に関税が掛かり、そして、原産地規則で複雑な事になります。また、金融ではこれまでEUとの関係でシングル・パスポートの仕組みがありました。これはEU加盟国のいずれかで免許を取得した金融機関は、他のEU加盟国においても金融商品の販売や支店設立などの業務が認められる制度です。これまでは英国で免許を取得していた日本の金融機関が結構ありましたが、この仕組みに支障が生じるおそれがあります。

 

 ゲームの理論的発想に立てば、今の合意案で想定されるバックストップではアイルランド・北アイルランドとの関係は微妙になるが、合意なき離脱だとそこは完全に切れてしまう、そうであれば、どっちを取るかという事になるはずです(普通は合意案を支持するしかないはずです。)。ただ、繰り返しになりますが、それで議会の同意が得られないのであれば、正にマクロン大統領が言っているように「何が必要なのか、メイ首相に聞いてみたい。」という事になるでしょう。他の欧州諸国首脳も、合意なき離脱だと英国のみならず、自分達の国の経済にもとんでもない事が起こるという事は意識しているでしょう。個人的には、再交渉は(大幅修正は無いとしても)あり得るのではないかと見ています。

 

 ただ、合意なき離脱の可能性を排除する事は出来ません。その時はリーマンショックの比では無い衝撃が世界経済にやって来るでしょう。日本はそこに備える気持ちが必要です。リーマンショックの時、当初、当時の政権は「ハチに刺された程度」なんて呑気な事を言っていました。日本の金融機関はサブプライムローンをあまり持っていないし、大した事ないと踏んだわけですが、世界全体の経済が底抜けした事で日本経済は土砂降りになりました。今回も合意なき離脱がどう連鎖反応するか分かりませんので、最悪の事態を想定しておく方が良いと思います。

 

 誰もが望んでいないにも関わらず、各個人が自分の判断基準における合理的判断をしたら、全体として最悪の状態になるという事は歴史的に何度もあったことです。