今日、断片的に国会での安倍総理の答弁を聞いていましたが、日米FTAに関する通商分野の所は「さすがに酷い...」と思いました。今日の答弁は、通商法を専門にする人からすれば驚天動地の答弁が連発しました。大学時代からずっと通商問題に強い関心を持ってきた者として、あんな「言葉遊び」が通用するのか、と耳を疑いました。

 

 まず、今回の交渉対象を物品貿易協定(TAG)と呼ぶ事についてですが、日米共同声明には「United States–Japan Trade Agreement on goods」となっています。TAGを固有名詞とするのであれば、「goods」は「Goods」と書くはずです。この時点で「TAG」を固有名詞とするのは無理があります。細かいポイントですが、意外に重要かと思います。

 

 そして、安倍総理は「今回のTAGは物品に関する協定であり、サービス等についてはアプリオリに交渉対象となっていない。なので、これまでのFTAとは違う。」といった話をしていました。ここは英語の読み方を決定的に捏造しています。

 

 日米共同声明の正文では「a Japan-United States Trade Agreement on goods, as well as on other key areas including services, that can produce early achievements.」となっています。ここで「on goods」と「on other key areas including services」は「as well as」で結ばれている事から、等しく「Agreement」を形容します。そして、構文として「that can produce early achievements」は「Agreement」に掛かるはずです。実際、在日米国大使館はこの部分を「早期に成果が生じる可能性のある物品、またサービスを含むその他重要分野における日米貿易協定」と訳しています。(日本の法令用語的には若干の問題はあるものの)本質的にはこれが正しい理解です。

 

 しかし、内閣官房はこの部分を「日米物品貿易協定(TAG)について,また,他の重要な分野(サービスを含む)で早期に結果を生じ得るものについても...」と訳しています。二つの点で誤訳です。① 「on goods」と「on other key areas including services」が並列でない事、②「that can produce early achievements」が「Agreement on other key areas including services」のみに掛かるかのように訳している事です。私は外務省条約課補佐時代に、幾つかの条約を訳して内閣法制局に持ち込んでいましたので分かりますが、仮にこんな訳で持っていったら内閣法制局参事官に徹底的にバカにされて叱られます。

 

 更に驚いたのは、「GATT24条に規定があるのは『自由貿易地域』であって、『自由貿易協定(FTA)』の規定はない。」と宣った上で、極めて身勝手な「自由貿易協定」の考え方を述べていた事です。通商法の常識では「自由貿易地域を作る協定」が「自由貿易協定」です。しかし、安倍総理が勝手に定義したFTAとは「分野横断的に包括的な貿易協定」であり、今回の交渉は「そういう分野包括的なものを『当初から』指向するものではない」のでFTAではないという趣旨の事を言っていました。

 

 「スタートの地点で、(自分が勝手に定義する)FTAは目指さないと(自分は)思っているから、FTAではない。」というジャイアン以上に無理筋の答弁です。まず、押さえておくべきなのは、「結果として」分野包括的になっていく事(つまり、安倍総理が勝手に定義したFTA)になる事を否定していない言い方だった事です。ここはホンネがポロっと出た感じです。

 

 ただ、問題なのは「アメリカとはGATT24条に規定のある自由貿易地域を作る交渉はするけど、その出来上がりは(安倍総理が勝手に定義した)自由貿易協定(FTA)ではない。」という事です。ここで分かるのは、「絶対に日米FTAという言葉をメディアに躍らせたくない。」という事です。

 

【GATT24条8(b) (一部略)】

自由貿易地域とは、関税その他の制限的通商規則がその構成地域の原産の産品の構成地域間における実質上のすべての貿易について廃止されている二以上の関税地域の集団をいう。

 

 しかし、外務省のページを見ると、「自由貿易協定(FTA)」とは、「物品の関税及びその他の制限的通商規則やサービス貿易の障壁等の撤廃を内容とするGATT第24条及びGATS(サービス貿易に関する一般協定)第5条にて定義される協定。」と書いてあるのです。安倍総理の言う「FTA」とは全然違います。物品についてはGATT24条、サービスについてはGATS5条にて定義される協定を自由貿易協定(FTA)と呼ぶのです。

 

 また、外務省の国際法局長もGATT24条に定義されるものに当てはまるのなら自由貿易協定だと、私に答弁していました。

 

【平成27年4月22日衆議院外務委員会(抜粋)】

○緒方委員 (略)ガット二十四条におきまして、関税及びその他の制限的な通商規則を実質的に全て撤廃することによってのみこういったものが認められているというのが国際法のルールの基本であります。
 その中で、こういった実質的に全ての関税及びその他の制限的な通商規則を撤廃する規定というのは、今、世の中でFTAとかEPAとかTPPとか、いろいろなカテゴリーの協定が言われておりますが、その適用については全く同じであるということでよろしいですね、外務省。

○齋木政府参考人 ガット二十四条に関税同盟及び自由貿易地域の定義がございますけれども、委員が御指摘のそういった定義にはまるものであれば、それはガット、GATSで規定する自由貿易協定、FTA、EPAということであると認識しております。

【引用終了】

 

 その他にも、似たような政府の国会答弁は幾つでも出て来ます。今、思い直しても中川昭一さんのこの分野での見識の高さは惜しまれます。そして、安倍総理の今回の答弁とは全然違う事を言っています。

 

【平成18年3月16日参議院農林水産委員会】
○国務大臣(中川昭一君) いわゆるFTA、自由貿易協定というのは、ガット二十四条に位置付けられている、つまりWTO体制を補完するものでございます。 (略)

 

【平成16年3月16日参議院農林水産委員会】
○政府参考人(村上秀徳君) 先生御指摘のように、ガット二十四条で、自由貿易協定は、協定参加国間において、実質上すべての貿易について、関税その他の制限的通商規則を廃止するということが求められておりますが、この実質上すべての貿易について、現在のところ明確な国際基準はございません。

 

【平成16年2月4日参議院予算委員会】
○国務大臣(中川昭一君) (略)そのWTOの協定の中で、御承知のように、ガット二十四条でFTA、自由貿易協定の位置付けということがあるわけでありますから、これは両方とも関係がある、いわゆる補完する関係にあるわけでございますから、日本としてはそういう貿易立国としてこれからも国民生活あるいはまた世界へのいろんな意味でのかかわりという中で、WTO、FTAともに大事なことだろうと思っております。

 

 安倍総理の答弁は内閣官房が書いて、外務省は合議を受けたはずです。多分、国際法局は大抵抗したはずですが、官邸に押し潰されたのでしょう。官邸によって、外交文書の訳も、通商法の考え方も捏造させられたわけでして、さすがに同情してしまいます。こんなものを了承した外務省の国際法局、経済局を始めとする関係者は、その歴史に巨大な汚点を残した事になります。

 

 多分、こうやって言葉をグチャグチャいじり、それで屁理屈をくっ付ける事で、議論を混乱させ煙に巻くのが戦略なのだと思います。私は政権批判とかそういう次元を遥かに超えて、通商分野に携わってきた者として、本件に関する捏造は赦せないものがあります。ただ、官邸の意図は議論を混乱させて、「日米FTA」という言葉がストレートにマスコミに踊らなければいいという事だけです。つまり、「結論が出ない」のが目標なので、これを議論で突き崩すのは相当に周到な準備が必要です。

 

 不勉強な議員が「実質的に日米FTAだ!」なんて情緒的に突っ込んだら、とんでもない返り血を浴びるでしょう。