最近、北朝鮮に対する国連安保理制裁の実施の難しさに関するこの本を読みました。国連対北朝鮮制裁専門家パネル委員の古川氏が裏側をかなりリアルに書いています。「こんな事、書いていいのかな」と思うくらい、とても面白いです。

 

 かつて、対タリバーン制裁やテロ関連条約での核・ミサイル関連物資の規制を担当していた事があるので、この本で紹介される困難がとてもよく分かります。

 

 制裁は歴史と共に精緻化されてきています。昔は結構大括りでやっていまして、たしか記憶が正しければ、アンゴラの武力抵抗組織UNITAに対して国連安保理制裁が科された時は、アンゴラ全土に外為法上の制裁をしたはずです(違っていたらすいません)。その後、国内でそれはやり過ぎだという事になって、制裁対象だけに制裁を科すようにしたのですが、私はこれで頭をぶつけました。

 

 対タリバーン制裁の際、某省から「アフガニスタンにおいて、タリバーンとタリバーンでない人を見分けるにはどうしたらいいか。」という問を投げかけられまして、「そんなもん、無理に決まってんだろ。」と途方に暮れました。したがって、日本での対タリバーン制裁の具体的な実施は、安保理決議が採択されてからかなりの時間が経っています。決議1267が1999年10月、決議1333が2000年12月に採択なのですが、実際の外為法による制裁実施は2001年9月、つまり9.11直後です。

 

 それはともかくとして、上記の本では国連の対北朝鮮制裁パネルのメンバーとしての苦労が多く書かれています。そこで挙げられている問題点は大まかに以下のように要約されるのではないかと思います。 

 

●名前が変わると捕捉されない。

 上記のような時代の前後から制裁のやり方が更に変わって来ていて、スマート制裁が主流になっています。武器の輸出等については国全体を対象とするのですが、金融制裁については、特定の会社や個人をピンポイントで狙い撃ちするのが主になっています。制裁で「切り過ぎ」を出さないようにするための手法です。

 

 ただ、これがなかなか困難なのです。一番厄介なのが名前が変わってしまう事です。古川氏の本でもこういう事例がたくさん出て来ます。会社の名前を変えてしまったり、間にペーパーカンパニーを一枚噛ませられたりすると、制裁対象で無くなってしまいます。また、個人レベルでも、パスポートを偽造する事で別人に成りすまされたら、もう捕捉できません。

 

 ちなみに意外に難しいのはアラビア語。ムハンマドという名前を英語でどう表記するかはかなりの可能性があります。アラビア語は、私の理解では「子音の言語」なので、母音の使い方が人によってかなり異なります(Muhammad、Mohammad etc...)。そして、金融制裁では一文字違うとそもそもコンピューターでヒットしないのです。私がインチキをして、「Rintaro」を「Lintaro」に置き換えるとヒットしないというのと同じです。

 

 なお、かつて特定船舶入港禁止法で「万景峰92号」が対象となっていた時代、「あの船が『万景峰93号』として日本にやってきたらどうなるのか?」というテーマをかなり深く研究した事があります。今は北朝鮮船籍の船舶すべてが対象となっているので、もうそういう問題は生じません。

 

●迂回されると捕捉されない。
 古川氏の本にもよく出て来ますが、直接の輸出入ではなく、第三国経由になると極めて捕捉しにくいです。本来、安保理決議は加盟国すべてに義務として課せられるので、すべての国がパーフェクトに履行していれば、理論上は世界中何処でも捕捉され、そして輸出入や金融取引が止まるという事になるはずです。

 

 しかし、世界には国連安保理制裁をパーフェクトにやる能力のある国、やる意思のある国はむしろ少数ですので、穴は世界中にあります。そして、複数の国を迂回されると、国連のネットワークを以てしてももう捕捉出来ないと思います。更に日本の独自制裁になると、第三国経由の迂回は殆ど追えません。

 

 なので、北朝鮮のミサイル等に「え?」と思うような日本製品が使われていたりするのです。

 

●汎用品は判断が難しい。
 ピンと来ないかもしれませんが、世の中には日常生活用品としても使え、かつ、武器の部品にもなるものというのがたくさんあります。秋葉原の電気街に行けば、そんなものは幾らでも見つかるでしょう。総論として「核兵器関連物資」、「ミサイル関連物資」といってもそれが何なのかはかなり争いがあります。

 

 かつて、テロ条約の交渉で本件で大揉めしました。「大量破壊兵器の製造、運搬等に相当程度貢献する」みたいな事を要件にしようと提案したのですが、ある国の代表から「そんなもの、どうやって証明するのだ。」と徹底的にやられました。「大量破壊兵器を製造、運搬等する意図」を要件にしたとしても、その証明も結構大変です。

 

 非常に極端なケースを言うと、ネジを持っている人間に「このネジはピストル製造に使えるものじゃないか。しかも、おまえはその意図を持っているだろう。」と言って尋問するようなものです。

 

●そもそもやる気のない国、やる能力のない国がかなりある。
 日本では国連安保理制裁はきちんと国内法制に落とし込みます(古川氏は不十分だと言っています。)。安保理制裁をパラグラフ毎に精査して、表現振りに合わせて、例えば外為法告示等を行います。そして、税関、海保、自衛隊、金融機関等、色々な部局がそれで動きます。
 

 しかし、複雑な安保理制裁をそこまで国内で周知徹底出来る国はとても少ないです。 ヒューマンリソースに限界のある国になると、そもそも現場で安保理制裁の存在を知らない事は例外的な事ではありません。特にアフリカの国には穴が多いですね。しかも、北朝鮮と仲の良い国が結構あります。
 

 更には既に北朝鮮とビジネス関係が構築されていて、制裁逃れによるビジネス継続をしようとする国がかなり居るのです。こういう国は確信犯なので、更に性質が悪いです。

 

 長々と書きましたが、別に「きちんとやれない言い訳」をしたかったわけではありません。こういう困難がある中、政府には少しでも穴を塞ぐ不断の努力をしてほしいと思います。