日本の人口がこれから減少していきます。我が北九州市は、最も多い時代で107万人を超えましたが、現在、95万人弱で12万人以上の人口減を既に経験しています。更に2040年には78.5万人になると言われています。更に16.5万人の減少です。その時には90歳以上の方が5万人を超えるという事で、人口の6-7%くらいの方が90歳以上になります。

 

 人口(特に生産年齢人口)が減る事に対して、どう対応するかという事を纏めると以下のようになると思います。非常にザックリしているのですが、大体こういう事でしょう。

 

1. 人口が減らない努力をする。

(1) 自然増

(2) 社会増

2. 人口が減っても対応できる世の中作りをする。

(1) 現在労働市場に出てきてない方に働いてもらえるようにする。

(2) 現在人間がやっている事を、人間がやらなくても良いようにする。

3. それでも対応できない部分に備える(コンパクトシティ、空き家対策等)。

 

 これについて、少しずつ思いを書き連ねていきたいと思います。

 

 まず、人口が減らないような努力ですが、人口の増減は2つの要素によって成り立ちます。自然増(減)と社会増(減)です。自然的要因は(出生数―死亡数)になります。死亡される方の数は概ね算定可能です。逆に出生数は今後の様々な要因によって変化します。

 

 私は税の仕組みによって出産から子育てに至るプロセスを支援する事で、結果として出生率向上に資する政策に賛成です。これを言うと、「(出産しない方への)差別だ」と言われる余地がある事は知っています。しかし、諸外国ではそういう政策が普通のものになっています。

 

 また、以前も書きましたが、出生率が低い事の原因の一つに晩婚化があります。晩婚化によって、出産できる年齢のレンジが徐々に狭くなっています。これはなかなか解決策を見出しにくい話です。まずは20代で安定的な収入を売る事が出来る世の中づくりが重要ですが、それに加えて、上記に書いたように政策的に誘因を設ける事(税等)、出産可能年齢に関する正確な知識を学校教育で教える事等があるのかなと思います。

 

 これまで少子化担当大臣を置いたりして、色々とやってきましたが、自公政権であろうとも、民主党政権であろうとも殆ど成果が出ていません。そもそも、今の少子化担当相が誰かを知っている人は日本人の1%に満たないような気がします。いずれにせよ、これまでの考え方を劇的に転換した政策が必要です。

 私はその鍵となるのは「税制」だと思っています。理念系としては、フランスのN分N乗方式が良いと思います。ただ、この方式は「中低所得層にメリットが少ない」、「新たに配偶者が働き始めると増税になる可能性がある」という難点があるので、若干のファイン・チューニング(修正)が必要になるでしょう。ただ、理念系をきちんと持つ事はとても大事です。

 

【今日の本題はここからです。】

 ただ、自然増で実現出来る人口増には限界があります。今、日本の特別合計出生率は1.44。これが2.06くらいまで行くと、現在の出産可能年齢の人口を維持できるという事になります。しかし、既に出産可能年齢の人口は減少局面にあるわけですから、今、この瞬間に特別合計出生率2.06を仮に達成できたとしても人口は減少していきます。

 

 そうすると、社会増を考える必要があります。街における社会増とは、「都市間競争」になるでしょう。どんどん外の街から人がやって来るという事です。なお、我が北九州市は人口の社会減が実数で全国一の街なのでとてもこの社会増には思いがあります。ただ、これはともすればゼロサムゲームになりがちです。ましては、出生率が極めて低い東京都に人口が集中する状況下では、国全体からすると、都市間競争による社会増がもたらす結末は「(国全体の人口減少に繋がる)マイナスサムゲーム」ですらあります。

 

 他方、国としての「社会増」とは何でしょうか。それは国の外から人が入って来るという事です。現在日本に居られる外国の方と言うと、永住者、企業関係者、婚姻等で在住する方、技能実習生等色々なカテゴリー分けがあります。今後、日本は「国としての人口の社会増」を指向するのかどうなのか、という議論が欠ける中、表向きは「移民、単純労働者は受け入れない」という体裁を整え、実態はあちこちに歪なかたちで穴を空けて受け入れている、という状況です(その歪みが一番ヒドいのが「技能実習生」です。)。

 

 労働力不足、ひいては人口減少に立ち向かうために、政策目標として真正面から「国としての人口の社会増」を考えるべき時に来ていると思います。そのやり方は色々とあります(私が「移民」という言葉をあえて使わない意味は汲んでいただければと思います。)。冒頭書いたように「人口が減っても対応できる世の中づくり」、「それでも対応できない部分に備える」という事をやったとしても、それでも私は「国としての人口の社会増」を考えないといけないと思います。

 

 そして、もっと言うと、「日本が外国人から(労働先として)選んでもらえる時期はもうそう長くはない」という焦燥感もあります。「Japan as No.1」の時代は終わっています。「技術の国日本」も、「豊かで稼げる国日本」も、その輝きはそう長くは維持できないでしょう。選んでもらえる内に動かないといけないはずです。日本よりも人口減少が将来深刻になる韓国、台湾は必死です。

 

 本件については、思想的なものが絡むことが多いのですが、私はそういう思想的な事はどうでもいいです。目の前にあるリアリティと将来の姿だけが大事です。私が慎重に選んだ言葉「国としての人口の社会増」、どう思われますか。