憲法改正の文脈で、内閣総理大臣の「解散権」の話が出ています。

 

 今の憲法で、内閣総理大臣がいつでも解散出来るという実体的な権限を規定している部分はありません。あくまでも、天皇陛下の国事行為に対する内閣の助言と承認という規定のみによっています。例えば、フランス憲法では第12条で、大統領は首相及び両院の議長と協議の後、国民議会を解散する事が出来ると規定されていますが、こういう規定は日本には無いという事です。日本国憲法第7条に、国事行為として衆議院の解散が書いてある以上、内閣総理大臣が解散をする事が出来ないというわけではありませんが、実体的な規定が存在しないという事です。

 

 私は何度か「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」という、解散時の衆議院議長の発言は違和感があるという事を発言してきました(国会の議事録にも残っています。)。そういう観点から、解散権の「制限」なのかどうかはともかくとして、解散に関する実体な規定を設けるべきという点については同意します。

 

 その上で、欧州諸国の解散に関する議論を見直してみると、それぞれの歴史が影響しています。

 

 まず、上記で言及したフランスですが、実は今でも解散権の制限はありません。ただ、大統領選挙後に国民議会選挙があり、大統領も国民議会も任期5年なので、事実上、権限を有する大統領に解散をする動機が無いという事に尽きます。これが実質的に解散権を制限しているという事になっています。

 

 かつては大統領7年、国民議会5年でして、大統領任期中の国民議会選挙で大統領与党が負けてしまうと、首相が国民議会多数派から選ばれるので、残りの期間は保革共存(コアビタシオン)になってしまうという事がありました(1986-1988、1993-1995、1997-2002)。ミッテラン政権は、大統領選挙で勝った後、解散して大統領与党を作る、だけども5年経った後の国民議会選挙でボロ負けして、大統領任期の残り2年は保革共存政権になるというパターンを2回繰り返しました。保革共存政権は、政治信条が違う大統領と首相の組み合わせになってしまいます。それに懲りたシラク大統領が大統領の任期を5年にしました。その後は、大統領選挙の後に国民議会選挙があるというパターンに落ち着いています(そして、大統領を支持する勢力が必ず国民議会でも多数を取っています。)。

 

 なので、解散があり得るとすると、大統領選挙後の国民議会選挙で大統領支持派が多数を取れない時(いきなり保革共存政権からスタート)か、任期中に与党内がゴタゴタして収拾が付かない時くらいしか想像できません。普通に考えれば、あまり起こり得ない事態です。

 

 いずれにせよ、フランスと日本では政治制度があまりに異なっていて、参考に殆どなりません。

 

 かたや、イギリスは2011年に「固定任期議会法(Fixed-Term Parliament Bill)」を成立させています。ここでは政権が議会の信任を失うか、議会が2/3の賛成を解散を決議するか以外の方法での解散が禁じられています。ポイントは首相が発議する事が出来ないという事です。あくまでも発議をするのが議会だという事は画期的な事でしょう。また、2/3という要件は、少なくともイギリスにおいては野党が同意しないとこの数字に至る事はありませんから、与野党合意の下での解散しかあり得ないという事です。

 

 色々な事情があります。連立政権が常態化してきたイギリスで、連立が崩れたらすぐ解散となりかねない事への懸念があるでしょうし、連立の小政党側が好き勝手に解散させないという思惑があるでしょう。そもそも、首相に与党に都合のいい時期に解散する権利など認めないという議論もありました。

 

 ただ、思うに、この制度は何処まで有効なのかなという気がします。最近のメイ首相による解散は、やはり首相が主導権を握りました。BREXIT交渉のための政権基盤を確立したいという事で解散したわけです。普通に考えると、与党は首相が都合がいい時期を選べばそれに従い、議会で与党は解散の決議を出すでしょうし、野党は挑戦状を叩きつけられているわけですから「No」とは言いにくいでしょう。日本に置き換えても、安倍総理が与党総裁として解散を言い始めた時に、少なくとも自民党は反対しないでしょう。仮にその時期が与党に都合のいい時期であったとしても、そこで野党が反対すると「弱腰」だと批判されるでしょうから、やはりその解散は成立すると思うのです。

 

 この規定が意味を成すとすれば、与党内がゴタゴタしていて、与党総裁(内閣総理大臣)の政治的な力が下がっている時のみではないかと思うのです。日本で言うと、内閣総理大臣が与党に対して「解散の決議を出してくれ」と指示しても、それに従わないような力関係になっているのであれば、解散が成立しないという事があり得るとは思いますが、極めて例外的な事態です(ただ、この規定があれば2012年の野田総理による解散は成立しなかった可能性があります。)。

 

 そして、ドイツですが、この国の制度は極めて特殊です。ナチス政権の誕生が、政権の不安定化に国民が倦んだ経験であるとの反省から、軽々に解散がしにくいように出来ています。得票率が5%を超えないと連邦議会に議席を持てない制度と相俟って、政権安定化策が連邦基本法の中に盛り込まれています。

 

 解散の要件は、連邦政府信任決議の否決時、連邦議会による連邦首相の指名が3回に及んでも統一見解を得ない時に限定されています。連邦政府不信任については、不信任の可決については後継首相の指名とセットでやらなくてはならないので、そもそも解散になりません。単に不信任を出すだけだと、後は野となれ山となれになってしまいかねない事から、不信任出すからには次の首相をきちんと決めておきなさいよ、という事です。この不信任(建設的不信任)が成立したのは、1982年にシュミット首相(SPD:左派)からコール首相(CDU:右派)に交替した時だけです(連立与党のFDPがシュミット政権を離脱した結果)。

 

 したがって、この国の連邦議会解散は極めて歪です。与党に内閣信任決議案を否決させる事で解散するしかないのです。2005年にシュレーダー首相が解散した時も、1983年にコール首相が解散した時も、いずれも与党に信任決議を棄権又は反対させて、信任決議を否決させています。1983年の時は、選挙を経ていないコール政権への信任を早くやりたかったという事情がありましたし、2005年は地方議会選挙で大敗した中、政権を立て直す意図がありました(なお、1983年は与党勝利、2005年は野党勝利でした。)。

 

 ただ、与党に信任決議を否決させてから解散というのは、そもそも変です。首相が与党議員に「解散したいから、嘘をついて俺を信任するな。」と言っているのとほぼ同じです。したがって、この手法そのものに憲法違反の疑義が提起されています。しかも、この手法も首相がイニシァティブを取る事が前提になっています。

 

 こうやって考えていくと、解散権の制限と言ったところで、「政府と与党が一体である事」、「解散の挑戦を叩きつけられたら、野党は普通は受ける事」を前提にする限り、どの程度実体的なものになるのかなというのは疑問無しとしません。勿論、イギリスのように「議会解散のイニシァティブは議会が持つ」という意味合いはとても大事だと思いますが、その背後には議会の多数派から選ばれている首相の存在が常にあります。首相が解散を発議しても、議会側がそれに従わないくらいゴタゴタしていなければ、やはりその解散は成立すると思います。

 

 なお、最後に「解散権そのものを否定する」という考え方もあります。それはそれで意味のある事ですが、任期満了直前の国会では「野党総攻撃」状態になるので大荒れします。ありとあらゆる手法で与党を引きずりおろそうとするでしょう。政治的にそれでいいのかという議論はあるでしょう。

 

 さて、どういう議論がなされるのか、興味深く見ておきたいと思います。