昨今、政治関係で「個人メモ」という言葉が氾濫しています。例えば、SBS米の調整金調査で農水省が各業者さんから聞き取った情報はすべて「個人メモ」というかたちで整理されました。また、現在の加計学園関係でどんどん出てくる文書は、その大半が「個人メモ」と説明されています。

 

 この「個人メモ」という言葉は何を意味しているかと言うと、「行政文書でない」という事を含意しています。私自身、この2年、衆議院内閣委筆頭理事をやっているので、内閣府が所管する公文書のあり方について常に強い意識を持ってきました。その立場から言うと、ちょっと問題じゃないかなと思っておりまして、この行政文書についてひも解いてみたいと思います。

 

 まず、公文書とは何かというと、公文書管理法においては、行政文書、法人文書、特別歴史公文書等を指します。この内、法人文書というのは独立行政法人等の文書、特別歴史公文書等というのは国立公文書館等に移管されたものです。そして、普通にお役所の文書といわれるものが行政文書です。

 

 では、行政文書とはどういうものを指すのかというと、公文書管理法に以下のような規定があります。

 

【公文書管理法第2条4(かっこ部分を省略)】

4  この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。(以下略)

 

 これは以下のように3つのパーツに分かれています。

 

① 行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書

② 当該行政機関の職員が組織的に用いる文書

③ 当該行政機関が保有している文書

 

 この要件に当てはまらないものを「個人メモ」と言っています。とすると、加計学園関係でよく出てきて、文部科学省が「個人メモ」と説明している「萩生田官房副長官ご発言概要」については、これのどれかに当てはまらないはずです。

 

 では、どれに当てはまらないのでしょうか。まず、①は職務上作成した事は確実でしょう。③についても、共有フォルダに入っていたわけですから文部科学省が保有している文書であることも間違いないでしょう。では、②でしょうか。「萩生田官房副長官ご発言概要」文書は省内メールで10名程度の方に共有されていたそうです。それがどうして「組織的に用いていない」と言えるのでしょうか。この「組織」の考え方は「2名以上」とされています。ちょっと無理があると思います。

 

 更に言うと、この「個人メモ」と切り捨てるやり方はとても危険なのです。それは、その文書を作成した特定の人物にすべての責任を押し付ける行為だからです。「行政機関たるうちの役所の文書でない」という事ですから、その文書の中身について役所として一切の責任を負わない事になります。では、その責任は誰かというとすべて作成者です。このケースで言うと課長補佐級職員でしょう。しかも、それが上司の大臣、副大臣、局長辺りから「間違っている」と言われてしまうと、つまりは「おまえは間違った事を勝手に書いた無能な職員だ。」と言い切っている事とほぼ同義です。

 

 「個人メモ」と切り離そうとする行為は、その行政機関内の「和」を著しく乱します。行政機関の上層部のメンツを守ろうとするがあまり、立場の弱い一職員に責任を押し付ける行為となっています。それは社会通念上は「卑怯な行為」と捉えられるべき事ではないでしょうか。そう思っている文部科学省員がいるからこそ、現時点においても、文部科学省内から政権の意向に対峙する勢いが止まないのです。そこをよく政権幹部は理解すべきだと思います。

 

 普通に聞いてみると、あまり意識しない「個人メモ」という言葉の裏に潜んでいる「責任を弱い立場の職員に押し付けようとする卑怯な目論見」は看過してはならないと思います。