【要約】

「戦闘」、「戦闘行為」の議論の根源には憲法9条がある。非国家組織による紛争の可能性を取り込むような解釈をしていかないと、今後、益々多様化する国際情勢に対応できない可能性大。

 

【本文】

 予算委員会で何度か質疑に立ちました。実は閣僚の答弁がスムーズでなかったので「最後」まで行き着きませんでした。時折、「君は何をしたかったのか?」と聞かれることがあるので、真意を説明いたします。

 

 まず、私は武力紛争と戦闘行為の関係をしつこく聞いています。自衛隊の日報において「戦闘」という言葉が使われていた事との関係が発端です。

 

 まずは定義や解釈をしっかりとおさらいしたいと思います。

 

○ 「戦闘行為」の法令上の定義:国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為

○ 「武力紛争」の解釈:国家又は国家に準ずる組織の間において生ずる武力を用いた争い

 

 これをそのまま解釈すると、目の前で起きている事がどんな事であったとしても、「国家又は国家に準ずる組織の間において」生じていないと判断される限りは、武力紛争はありません。武力紛争が無ければ、「国際的な武力紛争の一環として」行われないわけですから、戦闘行為も無いという事になります。

 

 南スーダンで起きている事が、本当に「国家又は国家に準ずる組織の間において」行われていないのかどうかという議論を一旦脇に置けば、南スーダンには武力紛争は無く、戦闘行為も無いという事になります。なので、日報で使われた「戦闘」という言葉との関係が問題になるのです。

 

 そして、武力紛争が無いという事になると、防衛大臣が答弁した通り、「紛争当事者」が居ないという結論になります。そうすると、PKO五原則はほぼ有名無実化します。現在の南スーダンPKOは、元々はスーダンと南スーダンの停戦合意がベースです。そこは現在、問題になっていません。その限りにおいて、マシャール派が「国家に準ずる組織」でないと判断されれば、もはや南スーダンに紛争当事者が居ないので、以下の1.-3.までは如何なる意味においても、現在の南スーダンにおいては歯止め的な役割は果たしません。

 

【PKO五原則】

1. 紛争当事者の間で停戦合意が成立していること
2. 国連平和維持隊が活動する地域の属する国及び紛争当事者が当該国連平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
3. 当該国連平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
4. 上記の原則のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は撤収することができること。
5. 武器の使用は、要員の生命等の防護のための必要最小限のものを基本。受入れ同意が安定的に維持されていることが確認されている場合、いわゆる安全確保業務及びいわゆる駆け付け警護の実施に当たり、自己保存型及び武器等防護を超える武器使用が可能。

 

(余談ですが、実は私は3.が気になっていて、今、南スーダンPKOはキール大統領派とマシャール副大統領派との間で不偏性(impartiality)と中立性(neutrality)を守る立場なのかどうか、という事が分からないのです。それは上記の3.とは関係ありません。防衛大臣はひたすら「紛争当事者はいない」とだけ連呼していましたが、そんな答弁で本当にいいのかと思います。)

 

 しかし、本当に「武力紛争」の定義をそういう定め方でいいのかと思います。今のままですと、マシャール副大統領派が「国家に準ずる組織」でないと判断する限りは、例えば、同派が自衛隊の宿営地にロケット砲を打ち込んでも、南スーダンで大虐殺が起きようとも(この可能性は国連の特別代表が繰り返し指摘しています)、法理上は武力紛争は無く、戦闘行為も無いという事になります。それは防衛大臣も答弁しています(勿論、それと合わせて「安全で有意義な活動が出来なければ撤退する」とも言っていますが、それは現時点では法規範ではなく政策判断の域です。)。

 

 そういう理解でいいのかという根源的な見直しが必要だと思います。今の理屈は国民各位には分かりません。国民各位に理解されない理屈をベースに、国民の貴重な宝である自衛隊を海外派遣するという事は不当だと思います。

 

 では、何故、こんな事が起きるかと言うと、それは「武力紛争」の解釈が「国家又は国家に準ずる組織の間において生ずる武力を用いた争い」となっている事が根源にあります。それをもっと遡ると、憲法第9条第1項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」にある「国際紛争」という言葉の解釈から来ています。ここにある「国際紛争」から「国家又は国家に準ずる組織」という用語が出てくるのです。

 

 しかし、考えてみましょう。今、様々な世界の紛争は「国家又は国家に準じない組織」がどんどん表に出て来ます。イスラム国は「国家又は国家に準ずる組織」でしょうか、これについては政府は検討もしていないと言っています。ただ、目の前にある現実です。

 

 そういう世界の変化に対して、単に憲法に「国際紛争」と書いてあるからという理由だけで、そこのスコープを「国家又は国家に準ずる組織」と狭めている結果が、巡り巡って、今回の南スーダンPKOにおいて、現地ではかなり激しい事が起こっているにもかかわらず、武力紛争も戦闘行為も無いという珍妙な結論を導き出しているのです。

 

 私はこういう解釈をしている事を含めて、今のガラス細工の法制度を根本的に見直す事はしたほうがいいと思います。非国家組織による紛争の可能性を取り込まないと、今後、どんどんと多様化する国際情勢に対応できなくなるはずです。そして、国民に理解されない理屈で自衛隊が海外派遣されていく事になります。だからこそ、ここを是正すべきだと思うのです。それは憲法解釈の変更なのかもしれませんし、憲法改正なのかもしれません。

 

 そこまで行きませんでしたけどね。個人的には「大臣、法律論を振り翳せば翳す程現実離れしていきますよ。」と言ってあげたいです。