南シナ海の案件でフィリピンが何故、仲裁裁判所での管轄権を認めさせる事が出来たのか(つまり、何故中国が拒否しているのに裁判が成立したのか)については、疑問に思われる方が多いようです。「片方がノーと言えば裁判にはならないんじゃないの?」、そう思っておられる方からお問い合わせがありました。
 
 今、外務省に問い合わせていますが、私なりの解釈を書いておきます。国際法研究者の方が読んで「間違っている」と思われたらご指摘ください。なお、分かりやすく書くつもりですが、それでも難しい事は確実です。筆力のなさについては予めお詫びしておきます。
 
 まず、国連海洋法条約で第十五章「紛争の解決」の第二節「拘束力を有する決定を伴う義務的手続」に以下のような規定があります。
 
【第二百八十七条 手続の選択】
1 いずれの国も、この条約に署名し、これを批准し若しくはこれに加入する時に又はその後いつでも、書面による宣言を行うことにより、この条約の解釈又は適用に関する紛争の解決のための次の手段のうち又は二以上の手段を自由に選択することができる。
(a) 附属書VIによって設立される国際海洋法裁判所
(b) 国際司法裁判所
(c) 附属書VIIによって組織される仲裁裁判所
(d) 附属書VIIIに規定する一又は二以上の種類の紛争のために同附属書によって組織される特別仲裁裁判所
 
 中国はこの選択を全くしていません。ただ、他にもやっていない国はたくさんありますので、別に選択をしていないことが悪いわけではありません。
 
 更に国連海洋法条約には、具体的なテーマについて、この義務的手続きからの除外を宣言できる規定があります。
 
【第二百九十八条 第二節の規定の適用からの選択的除外】
1 第一節の規定に従って生ずる義務に影響を及ぼすことなく、いずれの国も、この条約に署名し、これを批准し若しくはこれに加入する時に又はその後いつでも、次の種類の紛争のうち一又は二以上の紛争について、第二節に定める手続のうち一又は二以上の手続を受け入れないことを書面によって宣言することができる。
(a)
(i) 海洋の境界画定に関する第十五条(注:領海の境界画定)、第七十四条(注:EEZの境界画定)及び第八十三条(注:大陸棚の境界画定)の規定の解釈若しくは適用に関する紛争又は歴史的湾若しくは歴史的権原に関する紛争。
(略)
 
 つまり、主権や主権的権利に関することについては、国連海洋法条約の紛争解決を受け入れないと宣言する事が出来るという規定です。そして、これを受けて、中国は以下のような宣言をしています。
 
【2006年8月25日宣言】
The Government of the People's Republic of China does not accept any of the procedures provided for in Section 2 of Part XV of the Convention with respect to all the categories of disputes referred to in paragraph 1 (a) (b) and (c) of Article 298 of the Convention.
 
 全部受け入れません、という事です。これもそれ程珍しい事ではありません。結構多くの国がこういう宣言をしています。
 
 ここまで丁寧に除外をして念押しをしているのに、何故、今回仲裁裁判所が管轄権を持ったのか、という事になります。ここはフィリピンがなかなか巧みでして、「領海の境界画定」という切り口でなく訴訟を起こしたという事です。「●●環礁の領有権」という切り口ですと完全に跳ねつけられるのですが、例えば、「●●環礁は低潮高地か?」という切り口で訴訟を提起したのです。
 
 そうすると、国連海洋法条約には次のような規定が出て来ます。
 
【第二百八十七条 手続の選択】
3 締約国は、その時において効力を有する宣言の対象とならない紛争の当事者である場合には、附属書VIIに定める仲裁手続を受け入れているものとみなされる。
 
 フィリピンが(中国が除外している)「領海の境界画定」というテーマを外して、国連海洋法条約の解釈又は適用に関する紛争として訴訟を提起すれば、その紛争は「その時において効力を有する宣言の対象とならない紛争」となり得ます。こういう理屈で仲裁裁判所を立ち上げさせたのだと思います。
 
 勿論、中国は抵抗しますが、一旦裁判所が立ち上がると、以下のような規定があります。
 
【第二百八十八条 管轄権】
1 前条に規定する裁判所は、この集約の解釈又は適用に関する紛争であってこの部の規定に従って付託されるものについて管轄権を有する。
(略)
4 裁判所が管轄権を有するか否かについて争いがある場合には、当該裁判所の裁判で決定する。
 
 最終的にここで仲裁裁判所は、「管轄権あり」を認定しています。そして、その判決の効果としては以下のような規定があります。「最終的なものとして従え」ということです。
 
【第二百九十六条 裁判が最終的なものであること及び裁判の拘策力】
1 この節の規定に基づいて管轄権を有する裁判所が行う裁判は、最終的なものとし、すべての紛争当事者は、これに従う。
 
 かつ、裁判手続きを定めた国連海洋法条約附属書七には以下のような規定があります。
 
【国連海洋法条約附属書七第9条】
If one of the parties to the dispute does not appear before the arbitral tribunal or fails to defend its case, the other party may request the tribunal to continue the proceedings and to make its award. Absence of a party or failure of a party to defend its case shall not constitute a bar to the proceedings. Before making its award, the arbitral tribunal must satisfy itself not only that it has jurisdiction over the dispute but also that the claim is well founded in fact and law.
 
 当事者が出てこないからって、それは裁判手続きの障害にはしませんよ、ということです。
 
 多分、こういう事です。ポイントは「領海の境界画定」を争わないというところを強く主張し、それを仲裁裁判所が認めたというところでしょう。法的な戦いにフィリピンは勝ったという事です。
 
 普通ならここでエントリーを終えるところですが、2点自慢話めいたものを。
 
 まず、この南シナ海の法的ステータスについては、昨年の平和安全特別委員会で私が質問しています(詳細はココ)。国会で聞いたのは私が初めてだと思います。大体私の認識が今回の判決で裏付けられています。今、見直しても結構良い質問してるんだよなあと思います。あの地域に、国連海洋法条約上の「島」が無い事は1年前から分かっていたことなのです。岸田外務大臣の答弁がちょっと切ないです。
 
 もう一つ、こちらはとても重要な事なのですが、同じアプローチを竹島にやれないのかなと思うのです。これについても、(落選前の)4年前(!)にブログを書いています(ココ)。ちょっと論が荒いですが、境界画定というテーマと切り離して、国際的な紛争解決の俎上に乗せられないかという考え方自体はこの時から変わっていません。これは丁寧に「境界画定」というテーマを外して、法的な論点を詰めていけば可能だと思います。
 
 フィリピンが仲裁裁判所を結審まで根気強くやり切ったことは称賛に価すると思います。法的論点に関する議論を詰め切ったその手法、日本も学ぶところは多いように思います。