第二回目は海外派兵についてです。これも極めて変な論理展開を政府はしています。

 海外派兵については定義的に「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されない。」となっています。

 これは個別的自衛権であれば、読んでみてスッと入ってくるはずです。我が国に武力攻撃が生じたときであったとしても、なかなか他国の領土、領空、領海まで出ていくことはそうそうあり得ないでしょう。あり得るとしたら、日本に向かってどんどんミサイルを打っている策源地を攻撃しないとダメな場合くらいでしょう(これは従来見解でも認めています。)。

 しかし、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が生じた時に行使する自衛権を想定する場合、ちょっと様相が異なります。しかも、政府は集団的自衛権の前提となる存立危機事態を相当に拡大解釈しようとしていますので尚更です。

 ホルムズ海峡で機雷が敷設されて、それが石油の供給途絶を通じて、我が国の存立を脅かし、我が国国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるから、交戦時であっても他国領海であるホルムズ海峡での掃海活動(海外派兵)をやる、ただし、この海外派兵は受動的かつ限定的なのでOKであって、これ以外の海外派兵は念頭にない、大体、これが政府の説明です。

 しかし、よく考えてみましょう。この論理で行けば、ホルムズ海峡で大戦争が起こっている状態も存立危機事態になるはずです。日本に起こる結果は同じです。その大戦争が解消しない限り、存立危機事態は終わりません。であれば、結果として掃海活動を遥かに超えた他国領内での具体的な戦闘行為だって法的には可能という事になるでしょう。現在の政府の論理であれば、それを止める理屈は何処にもありません。

 こういうふうに言うと、「自衛権行使の第3要件には、必要最小限度の武力行使と書いてある。」という反論が返ってきます。必要最小限度の定義については、相手が持っている武力と同等なものを意味するのではなく、存立危機事態を終結させるための必要最小限度を意味する、これは正しいです。ここでいう必要最小限度は、英語で言う「equilibrium」を指すのではなく、「proportionality」を指しますので、その指摘は正鵠を射ています。

 しかし、相手の持っている武力が大きければ大きいほど、危害の度合いが大きければ大きいほど、それに対応する我が方の武力行使のレベルも、論理的には「比例的(proportional)」に上がっていくはずです。その時に、他国の領内に乗り出していかなければ存立危機事態を終結させられないような事態の発展があるのなら、海外派兵はホルムズ海峡機雷掃海以外でも可能なはずです。素直にそれを認めるべきなのに、なかなか政府は認めたがりませんでした。「幅のある形で海外派兵が可能である」と言ってしまうと既存の見解との整合性が取れず、イメージの悪さがあるのだと思います。

 ただ、私がしつこく質問した結果、中谷大臣は「ホルムズ海峡以外にも海外派兵をやり得る幅はある。ただし、それをやらないのは政策判断。」という趣旨の答弁をしました。では、そのやらない判断基準は何かと我々で聞きましたが、そこはお答えがありませんでした。

 「他国の領内で武力行使をする海外派兵はやれない、という原則は変わらない。例外はホルムズ海峡の機雷掃海だけ。」と政府は言いますが、そんな理屈は、存立危機事態のケースでは(存立危機事態の拡大解釈のケースでは尚更)通用しません。それは「俺がやれないと言っているんだからやれないんだ。だからやらないんだ。」というトートロジー的強弁です。

 今回の存立危機事態のケースにおいては、一定の条件を置く限りにおいて「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵」は可能であり、それを阻む法的根拠は何処にもありません。「必要最小限度の武力行使」を理由に挙げて、海外派兵は出来ないという論者もいますが、一定の条件下では、海外派兵が「必要最小限度」の中に入ってくることもあるわけですから、それも論理的ではありません。

 それでも「やらない」というのであれば、それは法律に書き込むべきだと思いましたけどね。