衆議院の平和安全特別委員会は終わりました。採決は不本意でした。たしかに100時間を超える審議時間でしたが、十分に問題点が解明されたとは思いません。あれだけ急ぐのは60日ルールを確保したいという事に加え、やればやるほどボロが出るという思惑もあったでしょう。ただ、手続き的には参議院での議論に移っていきます。

 ということで、自分自身が何を考えていたかについて、論点毎にクールヘッドで書いていきます。

 まずは一番盛り上がったと思われる存立危機事態について思いを書いていこうと思います。

 これまでは個別的自衛権の発動要件は「我が国に対する武力攻撃が発生したこと」でしたが、今回、新たに「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」という要件を加えました。これが存立危機事態と言われるものです。

 結論から言うと、私はこの考え方が絶対にダメだとは思いません。本件に関する見解で私が一番親近感を覚えたのは、参考人質疑での阪田元法制局長官でした。同元長官の意見陳述(ココ、Windows MediaPlayer)は、スタンダードな憲法論的には芸術的なまでによく練られています。同元長官は「この存立危機事態の考え方が絶対に無理かと言われるとそうは思わない。ただし、法的に整合的なのか、何が該当するのか、何故必要なのかといった説明は政府に求められる。いずれにせよ、存立危機事態が交戦中のホルムズ海峡での機雷掃海までを含むのであれば、それはあまりに範囲が広すぎて憲法違反。」という感じのことを言われています。

 私も同感です。専門用語で言うと、多分、これまでの武力攻撃事態法の考え方における、我が国に武力攻撃が発生する直前の切迫事態か、それよりもちょっと前くらいの武力攻撃予測事態くらいのタイミングで自衛権を行使するという事のはずです。今回の存立危機事態というのは、個別的自衛権であればその行使が出来ない切迫事態、予測事態であっても、眼前で米軍が攻撃を受けており、そのまま放っておけば間違いなく日本が武力攻撃の餌食になるというのであれば、その敵に対して自衛権を行使しようというくらいの感じです。私はこういうケースであれば、自衛権を行使すべきだと思います。

 上記の自衛権行使の新要件は、若干言い換えると、「我が国に対する武力攻撃、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」と読むことが出来ます。何が言いたいかと言うと、我が国への武力攻撃であろうと、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃であろうと、自衛権を発動するための被害の度合いは同程度のものでなくてはならないのです。それを図る基準はやはり「我が国への武力攻撃」でしょう。それと同等の「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」を連想しなくてはなりません。それが我が国近隣以外の地域で起きると考えるのは、想像力をどんなに駆使しても無理ははずです。

 しかし、今年2月の段階では、この存立危機事態の具体例を岡田代表が本会議質問したところ、総理が挙げたのはホルムズ海峡の機雷掃海でした。なお、その後、本件が批判を浴びたせいか、総理は「自分は存立危機事態の具体例としてホルムズ海峡の機雷掃海など挙げていない(注:海外派兵の例外のケースとして挙げただけ)」といった自分の発言を捻じ曲げる説明に転換しました(これは明確に言っておきます。あたかも当方が認識違いをしているような笑みを浮かべながら、あんな事を言える気がしれません。)。

 結局、交戦中のホルムズ海峡機雷掃海が入ることを押し込みたいが故に、本来であれば日本近隣での有事に対する対応の隙間を埋めるだけのはずの存立危機事態が広がってしまい、「何の歯止めもない」という疑義を招いたのだと思います。実際に政府は、我が国に武力攻撃が発生する蓋然性がなくとも存立危機事態になり得る、という答弁をしていました。こういうことを言うから、存立危機事態の存在自体が胡散臭くなっています。公明党も本心では「ホルムズ海峡の機雷掃海は存立危機事態としては想定されない」と思っており、このホルムズ海峡機雷掃海については頭を抱えているはずです。

(注:誤解の無いように言っておきますが、今回の存立危機事態で議論に上がっているホルムズ海峡の機雷掃海は「交戦時」です。誰一人として、交戦時でない状態での機雷掃海の必要性、重要性を否定している人はいません。しかも、それは法的には単なるゴミ掃除の世界です(勿論、交戦時でなくとも危険な任務であることは間違いありませんが、あくまでも法的な整理としてはゴミ掃除です。)。)

 なお、このホルムズ海峡以外の案件についても、この存立危機事態にどういうものが含まれるのか、何故必要なのかということについての政府の説明は極めて不十分でした。諸外国での具体例は答えない、この存立危機事態が必要になった安全保障環境の変化については述べない、安倍総理が記者会見で提示した具体例の米艦防護については答弁がブレにブレる、そんな感じでした。ここは正当な意味での存立危機事態のケースになり得るはずの部分でして、ここで情報隠し、答弁ブレと見られることが頻発したことは致命的な不手際でした。

 米艦防護のパネルについては、誰が「我が国と密接な関係にある他国」なのか、どれがその他国への「武力攻撃」なのか、根底から覆される明白な危険はどの部分かについて、私がしつこく質問しましたが、最後まで得心しませんでした。これを具体的に説明できないのに、国民に理解してほしいというのは無理です。少なくとも、私の質疑の時間内でも答弁は二転三転しています。

 その観点から、存立危機事態についてのみ言えば、私が良いと思ったのは維新の対案でした(ココ)。徹頭徹尾、「我が国への武力攻撃が発生する」という点に纏め切っていました。維新案なら、交戦中のホルムズ海峡機雷掃海は入ってきません。そして、本来であれば、与党は維新の対案に反対する理由はありません。阪田元長官が参考人意見陳述した際、維新案のようなことを言っておられて、それをそのまま具体化したのだと思います。

 これに対して与党は、「維新は自分の案を個別的自衛権だと言っているが、他国への攻撃が契機である以上、あれは集団的自衛権だ。それを個別的自衛権と呼ぶのはおかしい。」という点に拘って攻撃していましたが、それは国際法上の分類論に過ぎず、憲法論としては、その与党の批判は些末なものです。たしかに、他国への攻撃が契機ではありますが、それが我が国への武力攻撃に発展していくことが明らかであれば、個別的自衛権で処理することを排除する法理はこれまでもありませんでした(武力攻撃事態法審議の際、その趣旨の答弁を内閣法制局長官がしています。)。

 しかも、他国への武力攻撃が我が国への武力攻撃の明白な危険となる場合であれば、個別的自衛権で考えておく方が実務上もいいのです。何故かというと、集団的自衛権については国際司法裁判所判決で、その攻撃を受けた他国からの要請が必要ですが、そういう切迫した事態に要請を待っておく事は非現実的です。手続きをやっている内にやられてしまいます。自発的な個別的自衛権の行使と整理しておくことは決して荒唐無稽ではありません。国際法の解釈は基本的には各国が行うものですから、変な解釈にならない範囲でやればいいのです。

 維新の対案を受け入れられない段階で、政府は「この存立危機事態を、本来想定されるものよりも広く伸縮自在に使いたい」と見られても仕方ありません。そして、そこに入ってくるのが交戦中のホルムズ海峡の機雷掃海だとするなら尚更です。

 色々と書きましたけど、私の見解は「憲法解釈上、政府の言う存立危機事態のようなケースで自衛権行使することが絶対に出来ないとは思わない。ただし、そういう事が生じるケースは時間軸で見ればほんの僅かな時間であり、個別的自衛権の上に乗る薄皮程度のはず。しかしながら、政府の説明を聞いていると遥かに広いものを想定している。その状態では、適用において憲法違反の疑義は免れない。」といったところです。