昨日の外務委員会、3つの話を聞きました(ココ)。私の意図は先のエントリーに書きました。それぞれ異なるテーマなのですが、私的には共通の問題意識がありました。

① 村山談話・河野談話
② 東京裁判
③ 安保法制の「既存の政府見解の基本的な論理」

 これらについて、政府の説明の仕方が国民を惑わせるような要素があると、私の眼には映りました。なお、ここで「惑わせる」と言っているのは「説明の仕方」でありまして、それぞれのテーマそのものについての私の見解はこのエントリーの最後に書きたいと思います。

 まず、①についてですが、村山談話・河野談話について「全体として引き継いでいる」という言い方をしています。多分、現政権は引き継ぎたくないと思っているのでしょう。しかし、それを言ってしまうと、アメリカや中韓との関係で拙いと思っているので、「全体として」という言葉を付けてはぐらかしているのだと見るのが普通でしょう。

 「引き継いでいる」というのと、「全体として引き継いでいる」というのとでは、何かが違うはずです。わざわざ「全体として」と付いている以上は、何か「全体として」ではないかたちで引き継がないものがあるはずです。そこをはぐらかした形でやっていくのは、国民側から見ると「で、何が言いたいのだろう?」となるはずです。

 引き継ぎたくない部分があるのなら、それをそのまま言うべきです。それを「全体として」という言葉を付けるから、「であれば、骨子くらいは受け入れているということになるよな。」という考え方に自然となっていきます。私が自分の発案でしつこく聞いているというよりも、現在の説明の仕方だと、当然にして「骨子を言ってください。」ということを聞かざるを得ないのです。しかも、外相が手にしていた答弁は、基本的にはこれです。はぐらかしたいという意図がありありとしています。

 ②については、明確にはぐらかしとまでは言えないのですが、質問主意書でのやり取り(質問答弁)の中で、上記の「全体として」に似たような雰囲気を感じました。

 東京裁判の「裁判」のスコープについては明確に答えてもらっているのですが、それを「逐一受諾しているか」、「逐一異議を唱えないか」と聞くと、どうもはっきりとモノを言いたがらないところがあります。そうすると、自然に「全体としては受諾しているし、全体としては異議を唱えないけど、個々の部分については色々言いたいことがある。」ということなのですか、という問いが出てきます。

 ただ、これはサンフランシスコ平和条約で受諾した裁判の話ですから、それを「全体として」という表現ではぐらかすのは難しいでしょう。外相からも、何処かの部分を取り出して異議を唱えるようなことはしないという趣旨の答弁がありました。ここははぐらかしの要素は払拭されたと言っていいでしょう。

 ③ですが、昨年7/1の安保法制に関する閣議決定は、「既存の政府見解の基本的な論理を維持」した上で作成された、という「基本的な」がポイントです。通常、お役所用語では「基本的な」と来ると必ず「基本的ではない部分がある」という類推が働くことになっています。何故、「既存の政府見解の論理を維持」した上で、と言わないのかということを考える必要があります。

 そして、既存の政府見解の一部だけを切り出して、それを「基本的な論理」と呼び、それを維持しているとした上で「(既存の政府見解で述べる結論とは正反対の)集団的自衛権を行使できる」という説明の仕方が、大半の国民には理解できないということが私の懸念です。

 恐らく、与党間の関係で「既存の政府見解」を踏み越えるとするようなプレゼンが出来ないのでしょう。しかし、それは国民への分かりやすさを犠牲にしています。詳しくは先のエントリーに書きました。

 私が「はぐらかし」と思っていた3つの案件、少なくとも②については払拭されています。しつこいですが、私はそれぞれのテーマの「内容」について問題視しているというよりも、その「説明の仕方」を問題視しているということです。

 最後に3つのテーマについて、私が「内容」についてどう思っているかを書いておきます。

 ①については、「もう、あまり触らない方がいい。」と思っています。触れば触るだけ面倒を抱えるだけです。だからと言って、私は今、韓国が言っている「慰安婦問題の解決」というものについては、現政権の取っている「国家間で請求権については解決済み」という立場を100%支持しています。その旨を確認する質問主意書も出しています。

 ②についても同様です。国際法上はフタのされている話でして、それにチャレンジしようとしても徒労に終わります。なので、これも「いじらない方がいい。」と思っています。先人に敬意を払いつつ、そっとしておくべきです。

 ①と②については、寝た子を起こさずに、目の前にある政策課題に取り組めばいいと考えています。

 ③については、憲法解釈変更があり得ないわけではなく、その時々の社会情勢に応じた考え方というものがあると思っています。日本を守るために過不足なくやるべきことをやる、その立場はこのブログでも何度も述べてきたところです。

 「説明の仕方」ではぐらかすようなことは、国民目線で見た時にやるべきではない、その一念です。それ以上でも、それ以下でもありません。