今日11:25から、予算委員会初質問でした。映像はココです。

 最初、かなりスベってしまいました。外務省では、昔からGATT・WTO専門家のことを「ガッチャマン」と呼ぶ慣行があります。麻生大臣は外相時代、国会答弁や記者会見等でそれについて言及していました。まあ、GATT・WTOについて質問するからには、ちょっと柔らかいスタートにしようかと思ったので、麻生大臣の記憶を呼び起こしてみようと思ったのですが、あまり呼び起こせませんでした。私としては、「私はその『ガッチャマン』の一味でして」と言った上で、その後の議論に臨もうとしたのですけどね。

 その後は、ミニマム・アクセス米について縷々質問しました。分かりにくかったかもしれませんが、私の論旨構成はこんな感じです。なお、映像を見ていただければ分かりますが、大島委員長が笑っています。農相経験者なので、思うところがあったのでしょう。あと、林大臣以外の出席大臣の中で頷きながら聞いていた方がおられたのも印象的でした。

● ミニマム・アクセス米の輸入は国家貿易で行われているが、それは商業的考慮のみに基づいてやっている。
● 商業的考慮のみに基づいているのにアメリカからの輸入が概ね50%で安定しているのは、何処かで神の手が働いているのではないか。密約はないのか。
● 西川前大臣は「自由化を進めたら、アメリカ産は負け、ベトナム産が勝つようになる」と、アメリカのフロマン通商代表に言っている。これは「商業的考慮のみ」に基づいて輸入しておらず、アメリカ産米を優遇していることの証左ではないか。
● 今、商業的考慮のみに基づいて輸入しているコメを、飼料米や援助米に回っている。しかも、それは日本で食べるジャポニカ米ではなく、インディカ米である。その他にも、SBS輸入ということで競争性の高いかたちで輸入しているコメについても、枠を十分に満たせていない。これはミニマム・アクセス米に対して、国内に十分な需要がないということでいいか。
● 現在のミニマム・アクセス米についてすら需要がないのであれば、TPPで追加的にコメ輸入枠を設けることは論理的に整合的ではないではないか。
● しかも、このコメの国家貿易輸入については全量輸入(76.7万トン)しているが、そもそも、そんなものは国際法上何の規定もなく、他国(中国)では同様のシステムで全量輸入していない。これは政府統一見解で全量輸入しているかたちになっているだけであって、そろそろこの全量輸入の見解を見直すべき時に来ているのではないか。
● いずれにせよ、今後、コメ輸入新枠を設けるということになると、コメの輸入には国家貿易・全量輸入枠と、低関税枠という二つの枠が出来ることになる。こんな複雑な状態にしていくことは適当ではないので、コメの輸入体制を根本から見直すことをすべきではないか。

 大体こんな感じです。もっとホンネを言うと、上記で述べたことは「国際法上、説き起こしていくと実は日本のコメの輸入体制はこう説明できる。」ということであって、それが実態に沿っているかというと、実態はかなり違っています。そういう(現実感のない)砂上の楼閣のような状態に、日本のコメ輸入は行われています。ルールと実態を合わせる努力をしていかないと、砂上の楼閣の上に、また砂の楼閣を立てることになるということになります。

 農業をが主たる産業ではない地域選出なのに、熱く農業について語ってしまいました。「ガッチャマン」だったから、ということでご理解いただければと思います。

 残りは、安保法制でした。こちらはあまり細部に入らず、大枠の話に徹しました。

 問題意識は、そもそも、7/1閣議決定はこれまでの政府見解の枠内か、枠外かというシンプルなものです。これまでの政府見解は、1981年の稲葉誠一議員の質問主意書答弁がスタンダードです。

(注:実は、最近政府はこれより前の1972年の参議院決算委員会提出資料を引用することが増えています。多分、今回の新三要件に引用された「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」が入っているからだと思うのです。その表現は1981年答弁には入っていません。だからといって、1972年見解だけを特出しするのは少し変でして、それも聞こうと思っていたのですが、時間不足で落としました。)

【主意書答弁(抜粋)】
国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもつて阻止する権利を有しているものとされている。
我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第九条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであつて、憲法上許されないと考えている。

 よく政府は答弁として「これまでの政府見解の基本的論理の範囲内」と言います。この「基本的」というところがミソでして、河野談話、村山談話の「全体として受け入れている」というのと同じです。だから、私から「あなたの言う基本的論理の中に、これまでの政府見解の結論であった『集団的自衛権を行使することは、(略)憲法上許されない』という部分は入っているか?」と聞いたのです。

 なお、私は論理上の話をしただけでして、答えはどちらでもありだと思うのです。それを不明確にして進むのは、村山談話、河野談話への曖昧な姿勢同様、国民を惑わすことだと思うのです。

 7/1閣議決定は、政権として大きな決断だったでしょう。なのに、そのベースとなる考え方がグラグラするのは、腹の括り方が足りません。胸を張って「7/1閣議決定は、既存の政府見解の枠をオーバーライドするものである。」と言えばいいのです。