最近、一般ウケする内容ばかりが多かったので、今日は(きっとアクセス数が伸びない)極めて「通」なネタで書きたいと思います。アフリカ関係です。元々こういうのが専門でしてご容赦ください。

 西アフリカのブルキナ・ファソという国が揺れています。少し高齢の方なら「オート・ボルタ(ボルタ川上流)」という国の名前で知っている方もおられると思います。ブルキナ・ファソというのは現地語で「高潔な人」という意味でして、形容詞形は「burkinabe(ブルキナベ)」。よく某主要国大使が「君達はフランス語研修だったな、ブルキナ・ファソの形容詞形を知っているか?」とクイズに使っていました(私だけが知っていて褒められました。)。

 貧しい国です。大した産業はありません。ただ、ブルキナ・ファソ人は黙々と働く印象があります。私はアフリカ在勤時、よく「海辺から内陸に行けば行くほど、国民が黙々と働く。」というテーゼを掲げていました。海沿いのセネガルから、マリ、ブルキナ・ファソと内陸に入っていくと、たしかに「おしゃべり」の量が減っていきます。ブルキナ・ファソ人曰く、「(もっと内陸の)ニジェール人はもっと黙々と働く」そうです。そのせいか、労働力として国外に出ていく人が多く、コート・ジボアールのカカオ栽培農園ではブルキナ・ファソ人がとても活躍しています(コート・ジボアールでは内政問題になっています。)。

 大統領はブレーズ・コンパオレ。1987年、それまで大統領を務めていた盟友トマス・サンカラの暗殺後、大統領になります。トマス・サンカラは独裁色が強く、かつ過度の社会主義に傾倒したことから、当初は国民的人気がありましたが、最終的には上手く行かなくなり、暗殺されます。この暗殺に、盟友コンパオレが関与したかどうかはよく分かっていないのですけど、多分関与していたと思います。

 1991年に大統領に選出され、7年の任期を2期務めます。2期目の2000年には、大統領の任期を5年とし、最長2期までという憲法改正をしますが、この改正について「過去に遡及せず」という解釈を持ち出し、2005年に再度大統領選挙に出て、更に2期務めて現在に至ります。来年が選挙です。

 今回、揺れているのは、再度憲法改正の動きをしていて、「最長2期」を「最長3期」とした上で、更には「過去に遡及せず」を持ち出していることです。つまり、あと15年(5年×3期)やれるような憲法改正だということでして、さすがにこれに対しては「終身大統領にでもなる気か」と、首都ワガドゥグで大規模なデモが連日行われており、治安部隊と衝突が続いています。

 さすがに1987年から2015まで28年の統治で、今後更に15年となると43年となります。アフリカでも、私が記憶する限り、40年を超えたのはトーゴ―の故エヤデマ大統領、ガボンの故ボンゴ大統領くらいです(王政のモロッコの故ハッサン2世もありますが、同国王はさすがに別枠でしょう。)。ここまで来ると、国民的には「いい加減にしろ」という思いが出てきてもおかしくはありません。

 一方で、コンパオレ大統領は国際社会的には「寵児」的な所もあります。リビアのカッザーフィー大佐、リベリアのチャールズ・テイラー大統領といった独裁者との関係の深さはありましたが、一方で最近ではアフリカの諸紛争の調停役を買って出たりしていて、欧米からすると「寵児」なのです。コート・ジボアール内戦では、(当時のバボ大統領と対立していた)現ウアタラ大統領(母がブルキナ・ファソ人)を物心共に徹底的に支え、国際的に人気のなかったバボ大統領を放逐するのに一役買ったのも、国際社会的にはポイントになっています。

 私は1998年に、ブルキナ・ファソで行われたアフリカ連合総会の際、同国に行ったことがあります。当時、コンパオレ大統領は比較的若い、新しいアフリカを体現する大統領でした。とても輝いていたのを覚えています。その後、大統領府付きの運転手殺害事件を取材していたノルベール・ゾンゴというジャーナリストが(恐らく大統領関係者によって)暗殺されたことで、一度ブルキナ・ファソ内政は混乱に陥りますが、今回の反憲法改正デモはゾンゴ事件以来の危機です。

 アフリカ政治に典型的な事が、このコンパオレ大統領には幾つかあります。一つは「長老政治」、アフリカでは年長者を敬うという文化が結構強いです。そして、大統領としての年数が上がってくると、次第に内戦等での調停役が回ってきます。(紛争中の)他国の後輩大統領に「程々にしとけ」と言う役割です。内政的には如何なものかと思う上記のトーゴ―のエヤデマ、ガボンのボンゴも国際的にはそういう役割を果たしていました。そして、これが結構機能しますし、欧米からするとそういう存在がありがたいものです。そういう意味で、コンパオレ大統領は国際的には典型的な「寵児」です。

 もう一つは「終身大統領への夢」です。今回の憲法改正、明らかに大統領及びそれに群がる周辺が企図したものですけど、こういう再選可能な期数を延長する憲法改正は結構多いのです。ちょっと調べただけでも、アルジェリア、チャド、カメルーン、トーゴ―、ガボン、赤道ギニア、ウガンダ、ジブチといった国で取られた手法です。来年から再来年にかけて、アフリカでは大統領選挙が20近くの国で行われる予定で、既にコンゴ共和国、ブルンジ、コンゴ民主共和国、ベナンで同種の憲法改正が企図されています。

 私がいつも思うのは、これは形式的な民主主義としては手続き論的にもパーフェクトです。しかし、国としてのガヴァナンスとしては問題が多いです。こういうガヴァナンス不足について日本はどう考えるのかということです。中国のように完全に内政不干渉というのも一つのやり方です(中国は内政不干渉を前提にどんな国とでも仲良くお付き合いします。それがアフリカでは結構気に入られていたりします。)。逆に一番厳しいのは、この手の政治情勢を援助供与の際のコンディショナリティーとして含めていくというものです。

 このアフリカに少しずつ広がりつつある「終身大統領への夢」、私なりの解決策は「退任後、任期中の色々な事について絶対に糾弾しないからもう辞めて。」と言ってあげることだと思います。究極の所、「殺さないし、財産も取り上げたりしないから辞めて。」ということです。倫理的にどうかと思う所もあるのですけど、それくらいしないと辞めてくれないのです。そして、今回のブルキナ・ファソのように内政不安定になっていくおそれもあります。どちらを取るかということです。

 そうやって考えていくと、きちんと憲法で決まった期数が終わったら辞めそうな、タンザニアの名君キクウェテ大統領とか、なんだかんだでクーデターなく建国以来やってきているセネガル(サル大統領)というのは、とてもまともなんだよなと改めて思います。あと、私は南部アフリカは詳しくありませんが、アフリカの民主主義のモデルとも言われるボツワナ(カーマ大統領)なんてのも良いですね。こういう国は大事にしなくてはなりません。

 思いが深いので、あれこれと書きました。興味のない方にはとてもつまらなかったと思います。まあ、個人的な備忘録という事で。