先日、欧州某国の外交官と話す機会がありました。その際、私から「今の集団的自衛権の議論、どう思う?」と聞いてみました。


 簡単に纏めると「困惑している」という感じでした。


 私なりに同外交官の言っていたことを要約するとこんな感じです。


● たしかに、国連憲章にもある通り、自衛権には「集団的」「個別的」の区分がある。そして、その大まかな外縁についても勿論理解している。

● しかし、基本的には自衛権として一体のものとして捉えている。それを国内法制の中で切り分ける議論はない。

● したがって、今、日本で「集団的」と「個別的」の間にある非常に限界的な事例についての定義について問われても困る。

●  よく自分達は、日本の政治関係者から本件について聞かれるが、相当に日本の事情に詳しくない限り、何を質問されているかすら分からないし、答えられないと思う。


 昔、それなりにフランスで国際法の本を読んでいた者として言えば、「まあ、そうだろうな。」としか言いようがありません。多分、これが諸外国から見た日本の集団的自衛権議論でしょう。


 何故、そういう日本特有の議論の発展の仕方をしたかというと、長い国会議論の歴史の中で、憲法9条から「論理的に」導かれてきた日本特有の理論があるからです。日本なりの「論理性」があり、それはアカデミックには本当に緻密ないい議論なのですけども、そもそもそこまで考える動機も、利益もない国が世界の大多数なのです。


 「集団的」、「個別的」の区分論に入りすぎることは、本当に不毛なことだと思います。少なくとも、その議論は日本から一歩外に出てしまえば、大半の人が理解しないものである以上、自衛官の方が出ていく現場では全く何の意味もない可能性すらあります。