WTOドーハラウンド交渉が頓挫しかかっていますね。交渉の中で「貿易円滑化」という分野だけでも合意しようとしたのですが、インドが食糧備蓄のための補助金をWTOのルールから事実上外さない限り合意しないと言い張って、結局潰れてしまいました。


 貿易円滑化というのは税関実務の簡素化、透明化といった分野でして、例えば、輸出入の際の書式の統一とか、ワン・ストップ・サービスの確保とか、手続きの明確化といったことが挙げられます。貿易ルールに対する思想が入りこみにくい、とても実務的な分野です。


 私が外務省でWTOを担当していた時代は「これはすぐに合意できる」と言われていたものでした。あくまでも実務的な分野ですので、「困難があるとすれば、途上国が高い水準の税関実務についてこれるかどうかだけ」とすら私は思っていました。その手の困難は先進国による途上国のキャパシティ・ビルディングによって対応すべきものですので、やはり、ルールそのものが困難な問題になるような分野ではありません。


 その最も楽だと思われている貿易円滑化ですら、この有様です。本来、現在のドーハラウンド交渉では農業を始めとして貿易円滑化の100倍以上難関な分野があるのです。貿易円滑化ですらダメだったというのは、とても衝撃的なことです。暫くは交渉再開のモメンタムすらないでしょう。どんどん「多角的自由貿易体制」という言葉が空しくなっていきます。


 もしかしたら、WTOという世界全体の貿易自由化を進めるためにできた組織は「既存のルールの管理」と「既存のルールの下での紛争解決」のためだけの組織になり下がり、あとは好きな者同士でやる「自由貿易協定(FTA)」だけが残る世界になるのかなと思ってしまいます。


 インドは大きな国ですからそれでもやっていけるかもしれません。しかし、世界に網の目のようにFTAのネットワークが出来て行く時、規模の小さい途上国は間違いなく弾き飛ばされてしまいます。世界全体の利益最大化という視点からは、必ずしもそれがいいことだとは思いませんが、もうここまで来てしまったら仕方ないのかなと暗澹たる気持ちになります。


 世界の貿易ルールのパラダイムがどちらに向かうのか、結構な岐路に立っていると思います。ここでアメリカがWTOドーハラウンド交渉そのものを諦めてしまったら、ガタガタっと「FTAオンリーの世界」になだれ込んで行くような気がします。そして、その可能性は決してないわけではないと思います。