文化庁の文化審議会は、「長崎の教会群とキリスト教関連資産」が世界遺産候補に推薦されることになりました。いち早く推薦されている「明治日本の産業遺産」に続き、九州からの推薦になります。


 長崎(と熊本)の教会群については、案件作りに苦労した跡が伺えます。推察するに、浦上天主堂を外したというのは大きな決断だっただろうなと思います。原爆で破壊されたが再建され、規模的には日本で一番のカトリック教会です。ただ、文化財指定されていません。結果として、国内での十分な保護体制のところで引っかかったのだろうと思います(浦上天主堂関係者がきちんと保護していないという意味ではなく、そこに国のコミットがないという意味において。)。長崎のキリスト教関係者からすると、思いの深い浦上天主堂だと思いますが、あえて世界遺産登録の観点から拘泥しなかったというのは個人的には英断だと思います。


 結構、世界遺産で重要なのはこの「絞り込み」です。ともすれば、たくさん盛り込みたくなるのです。ただ、そこで何でもかんでも入れてしまうと、審査の際の心証が悪くなったりします。「あえて、入れない」という決断はとても辛いものですけども、ストーリー作りの際にそこをやり切れると案件が締まってきます。


 ただ、この長崎の教会群はそれなりに難しいところがあります。旧五輪教会堂のある五島市久賀島や、江上天主堂のある奈留島はかなり過疎が進んでいます。旧野首教会のある野崎島に至っては無人島です。世界遺産になって観光地化された時にどうなるのか、ということは課題です。実際、奈留島のキリスト教信者の皆様はかつて「江上天主堂の世界遺産化反対」の決議を出したこともあるくらいです。最も尊重されなくてはならないのは、信者の皆様の静かな環境での信仰だという視点は忘れてはなりません。


 それらを踏まえた上で、今後の見通しを言えば、私は「相当に有力」だと思います。私は外務省でユネスコを直接担当したことはありませんが、フランス語研修だったので何となく雰囲気は分かります。あと自称「世界遺産マニア」でして、これまでに行った世界遺産は(超マイナーものを含めて)70を超えます。概ね「世界遺産というのはこういうものだ」という相場観は持っています。


 まず、ユネスコの本流はアングロ・サクソンではありません。1970年代後半から80年代にかけて、セネガル人のムボウ事務局長による放漫運営+南北対立煽りみたいな政治的な動きが横行して、英米は脱退していました。1995年に渡仏した私も、当初「ユネスコ」と聞くと「ロクでもない組織」という印象が強かったです。(事実関係は知りませんが)予算の半分以上は本部パリで使われているとか、得体のしれないアドバイザー的な輩が巣食っていて、悪い意味でのサロン化しているとか、そういう印象でした。1997年に事務局長になった松浦晃一郎さんのミッションの中で大きかったのは内部の行革みたいなものだったと理解しています。


 ということで、ユネスコではフランス、スペイン、イタリア辺りが本流です。相当に幅を利かせています(自ずとそれらの国の世界遺産の数も多い。)。そして、この3ヶ国はすべてカトリックの国です。そういう国から見て、この長崎(・熊本)教会群がどう見えるかと言うと、「宣教した後、鎖国250年。公的には教会なし、聖書なし、神父なしの『3なし』で、基本的に口承で信仰を繋いだ。そして、幕末の開国後に宣教師が入っていったら、そこに古き良き信仰の姿を発見した。」ということです。


 対象資産の建築物はすべて明治以降に建てられたものですが、こういうストーリー性が背景にあることによって、その辺りの「新しさ」というハンディは容易に払拭されるでしょう。このストーリーだけで、ユネスコ本流の3ヶ国の専門家は感動してドンとOKのハンコを押すのではないか、そして、その3ヶ国がポジティブな反応をすればまあ間違いないだろう、というのが私の見立てです。