集団的自衛権の議論で、時折「?」と思うことがあります。それはケーススタディ的な事例を挙げて説明が行われることに対して、「そういうことは起こらない」という反論がなされることです。


 ここは全く議論が噛み合っていません。法的論理構成の一環としてやっているケーススタディ的事例の検討に対して、「事実の否定」で応えるのであれば、「100%起こらない」ことを証明する必要がありますが、これを法律の世界では「悪魔の証明」と言います。この「悪魔の証明」に乗り出す方がいるでしょうか。しかも、これは安全保障の世界ですから、「起こらない」ことに責任を取る必要もあります。


 基本的に今、色々と挙げられているケーススタディ的事例は「起こってほしくないし、起こることは相当に限界的な事例であるが、かといって絶対に起こらないというわけでもない。」という類のものです。


 まず、個別的自衛権と集団的自衛権の境目ギリギリのところにあって、あえて内閣法制局的分類をすれば集団的に入ってしまうという意味で限界事例です。そして、憲法上の要請から「非常に特殊なケース」が多いので、起こる可能性についても比較的低いものが多いという意味でも限界事例です。


 その「限界事例であること」ばかりが検討されているのは、憲法9条が改正されない限りは当然のことでして、今、挙がっているケーススタディ的事例を「限界事例である」ことを以て批判するのはどうも変です。簡単に言うと「今は憲法上の要請からそういうものしか検討できないから、それをやっているのである。」ということにしかなりません。


 現在の議論に対する批判として、法的におかしいとか、優先順位が低いとか、こういったものは(それに私が同意するかどうかはともかくとして)批判の方向性としては間違っていません。しかし、「起こらない」という指摘だけは何度聞いても疑問を持ちます。


 「悪魔の証明」と「(起こった時の)全責任」、この2つを受け入れることはとても勇気、知恵が要ることです。とても、私にはその勇気と知恵はありません。