報道を見ていたら、「集団的自衛権の行使容認への憲法解釈変更を目指す安倍政権は30日、与党に提示する政府方針に記述する自衛権には「集団的」や「個別的」の文言は明記せず、自衛隊法改正など個別法整備の必要性に力点を置く内容とする方向で調整に入った。」という記事を見ました。


 私はこれでいいと思います。私はそもそも「集団的、個別的の訓詁の学をやっても仕方ない。日本を守るために必要な自衛権を過不足なく行使できることが大事である。」というのが持論です。「個別的だから良い」、「集団的だから悪い」ではないのです。


 しかも、今の「個別的」「集団的」の区分は、内閣法制局の「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」という集団的自衛権の定義をギリギリ詰めて行った結果として区分されているものでして、「日本を守るために必要な自衛権」という視点から議論されていったものではありません。


 今の内閣法制局の集団的自衛権に関する解釈は以下のようなものです(ちなみに解釈変更がよく議論されますが、その対象となっている解釈がこれであることはあまり知られていません。不思議なことです。)。


【集団的自衛権に関する政府答弁】

我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9 条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解しており、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。


 以前も書きましたが、私が良いと思っている(とても雑な)新政府答弁案は以下のようなものです。


【緒方案】

我が国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然であるが、憲法第9 条の下において許容されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであると解している。おり、集団的自衛権を行使することは、その範囲を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。


 つまり、「必要最小限度の範囲」に要件を集約させるということです。多分、今、検討されているのもこういうことだろうと思います(勿論、もっと複雑にやっているはずですが)。


 今、解釈変更として検討されているの大半は「それをやらないと、そもそも個別的自衛権自体が成立しないか、国際貢献に差障りが生じる。」というものです。集団的自衛権という大きなカテゴリーがあるとすると、個別的自衛権との境目の所にある極めて限界的な事例ばかりです。


 そして、日本防衛の際の日米安保条約の前提である日米の信頼関係が損なわれる事態に対処することは、そもそも集団的自衛権と呼ぶべきものではないのではないかと、私は思っています。それはあえて言えば「準個別的自衛権」とでも呼ぶべきだろうと思うわけです。具体的に言えば、某国からアメリカに大陸間弾道ミサイルが撃たれた際に、日本がそれを撃ち落とす能力を具備しているにもかかわらず、撃ち落とすのは集団的自衛権だからと言って何もせず、ミサイルがアメリカに落ちて死者が出れば、その瞬間に日米安保は崩壊します。集団的自衛権の解釈を守った結果、日本の個別的自衛権の行使に支障が出ては元も子もありません。


 なので、もうこの「個別的」「集団的」の訓詁学は止めた方がいいです。「日本を守るために必要な自衛権を過不足なく行使する」、これでいいでしょう。