(要旨)

・ 陸路国境というのは、両国の関係が如実に出る場所。

・ 中国と国境を接する国において、国境からすぐのところで小規模援助を行い、援助をしながら情報収集してみてはどうか。


(本文)

 日本人であると、どうしても意識しにくいのが「陸路国境」です。一つもないので、実感がないと思います。私の経験からして、「陸路国境」というのは両国の関係が一番如実に出るところでして、とても興味深いです。


 一つ例を挙げると、1996年にイランのテヘランからトルコのイスタンブールまでバス旅行をした時のことです(今、考えるとよくそんな事をやったものだ、と思いますが。)。イランからトルコに入る国境で12時間近く待たされました。それはともかくとして、国境を超えると何が違うかというと「酒が飲める」ということです。ご丁寧なことに、トルコに入ったすぐ先には売店でビールが売っていて、遠くに見える(ノアの箱舟が辿りついたとされる)アララート山を見ながら乾杯したものです。


 あと、中国チベットのラサからネパールのカトマンドゥに抜けた際も、面白かったですね。意外に国境管理が厳格だったのを思い出します。中国側のダム(国境の町の名前)とネパール側のコダリとの間には連続性が殆どなかったのです。国境を超えるや否や、いきなり雰囲気が南アジアテイストに変わりました。


 私は、日本外交においてもこの陸路国境に目を付けた情報収集ってあってもいいのではないかと思っています。7年前に書いたブログ にそういうことを書いています。


 北朝鮮、ロシア、モンゴル、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナム、これが中国と国境を接する国です。北朝鮮、ロシア、インドあたりは難しいかもしれませんが、それ以外の国については、中国国境から入ったすぐのところで、日本の(官製でもいいので)NGOに小規模無償を出して、学校建設、井戸掘り等の事業をやって常駐してもらうというのがどうかなと、かねてから思いを温めています。


 良い情報収集になると思います。それらの国と中国との関係が如実に出る場所です。どの程度人の往来があり、国境管理がどの程度厳格なのか、そんなことが手に取るように分かります。


 フランスという国は、そういうのが得意です。幾つかの国で「おい、こんなところで事業をやらなくてもいいだろう」と思えるようなことがあります。引用ブログでも書きましたが、ソ連とアフガニスタンの関係が微妙だった1960-70年代、フランスはソ連(今のタジキスタン)・アフガニスタン国境近くのアイ・ハヌム遺跡の発掘調査をやっていました。アイ・ハヌムは古代バクトリア王国の都市であり、アレクサンダー大王の末裔が東洋に作ったヘレニズム文化を讃えたギリシャ都市です。考古学上の価値は素晴らしいものがありますけど、それと同時にソ連・アフガン情勢の良い情報収集にもなっていたと思います。


(その後、政情が悪化して1978年には撤退しています。また、アイ・ハヌムは戦争で崩壊し、遺跡は略奪され、今は殆ど残っていません。)


 欧米諸国は、そういったやり方で、NGOや国際機関を上手く活用しながら、本当なら入っていきにくい場所での情報収集らしきことをやっています。国際機関で言うと、私がパッと思いつくのはWFP(世界食糧プログラム)です(最近話した方からはUNICEFも似たようなところがあると指摘がありました。)。アフリカで、どう見ても「あなた、国際機関職員だけど、実は情報収集要員でしょ?」と思いたくなる人に会ったことがあります。


 ちょっと話が飛びましたけど、この「中国と国境を接している国で、国境から入ったすぐの所で小規模ながら援助事業をやって人を配置する」というアイデア、良いと思うんですよね。勿論、援助事業自体は真面目にやりますが、それに加えて得られる情報は費用対効果でも相当良いはずです。日本の援助予算のコンマ数パーセントくらいでやれると思いますね。


 勿論、大々的に打ち出しながらやる話ではありません。こっそりと、じわじわとやっていけばいいだけです。気が付いたら、国境超えたらそこに日本の旗があった、それでいいんです。もっと言うと、すぐに効果を追い求める必要もありません。情報というのは定点観測がとても大事ですから。


 昔から温めているこのアイデア、いつか実現したいと思っています。