【以下はFBに書いたものを加筆して転記しています。】

(要旨)
・ 日中、日韓の間での請求権放棄は条約に定めがあり、内容も明確。
・ ただ、国際条約ではどうしても捕捉できない個人請求権を蟻の一穴にしようとして、現在、両国で裁判が行われている。
・ しかし、そもそも、それは条約の理念を損なうものだと思う。

(本文)
 先日、夜のニュース番組で有名なジャーナリストが「戦後処理は平和条約を結んで解決する。しかし、日本は中韓と平和条約そのものは結べてない。明文化されてない。そういう曖昧さが問題の原因だ。」という趣旨の事を話していました。

 たしかに、今、強制連行等で請求権問題が問題になっていますが、これは別に条約がないことや条約があいまいなことが問題の根源ではありません。とんでもない勘違いです。眠い頭で聞いていて、ビックリしました

 韓国との間では、
たしかに「平和条約」という名前ではありません。それは単に「戦争状態にあったわけではない」からです。ただ、不正常な状態を解消するために日韓基本条約がありますし、それと同時に以下の条約も締結されています。「完全かつ最終的に解決」と明確に合意されています。

【財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条】
1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

 中国との関係は少し複雑でして、実は日本の公式ポジションは、1952年の日華平和条約(いわゆる台湾政府との平和条約)で請求権問題は解決済みという立場です。ここはあまり知られていません。ちょっと長いですけど、国会答弁と関係条項を引用します(細かく読まなくてもいいです。)。

【平成22年5月11日:衆議院法務委員会】

○西村外務大臣政務官 (略)サンフランシスコ平和条約十四条と日華平和条約の関係からまず申し上げますと、日華平和条約第十一条及びサンフランシスコ平和条約第十四条(b)により、中国及びその国民の日本国及びその国民に対する請求権は放棄されております。一九七二年の日中共同声明第五項に言うところの戦争賠償の請求は、中国及びその国民の日本国及びその国民に対する請求権を含むものとして、中華人民共和国政府がその放棄を宣言したものでございます。
 したがって、さきの大戦に係る日中間における請求権の問題につきましては、個人の請求権の問題も含めて、一九七二年の日中共同声明発出後、存在しておらず、このような認識は中国側も同様であるというふうに認識をしております。


サンフランシスコ平和条約第14条 (リンク先を見てください)】


【日華平和条約第11条】

この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外、日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は、サン・フランシスコ条約の相当規定に従つて解決するものとする。


【日華平和条約議定書】

1 この条約の第十一条の適用は、次の了解に従うものとする。

(略)

(b) 中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、サン・フランシスコ条約第十四条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。


 日本は、中華民国政府と締結した日華基本条約を根源的に無効なものとは考えていません。当時、中国を正当に代表していた中華民国と締結した条約によって、中国による請求権放棄がなされていると考えています。


 したがって、以下の日中共同声明をよく読んでみてください。日本との合意事項ではありません。あくまでも中国による一方的な宣言に留まっています。その含意は、「もう終わった話であることを中華人民共和国が改めて宣言した」ということです。


【日中共同声明】
五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。


 なので、上記の西村政務官答弁でも、外務省サイト (末尾部分)でも微妙なモノの言いをしています。「日中共同声明で放棄した。」ではないのです。「日中間の請求権の問題は、日中共同声明発出後存在していない。 」です。日華平和条約以降存在していないし、それが日中共同声明で確認されただけ、という含意になります。日華平和条約無効論を取らない日本にとってのギリギリの表現なのですね、これ。


(なお、日華平和条約は、日中共同声明による「随伴的効果」として実態的に終了した、というのが日本の立場です。)


 長々と法的論点を書きましたが、別に条約がないわけでもないし、その内容たるや明確です。そこはオピニオン・リーダー的な方には分かっていてほしいと思います。


 今、問題になっているのは、国家間の約束では捕捉できない(とされる)個人請求権です。国際約束とは国家間の取決めであって、個人が訴を提起する権利までをも拘束するものではないという考え方が主流になっています。ただ、個人の請求権に対して裁判所が何らの好意的な判断をしなくても、国家はそこに介入してはならないということです。今では、請求権放棄というのはそういう「外交的保護権の放棄」と解されています。

 だから、個人が請求権裁判を起こしているのです。それは残念ながら、国際条約というものが、「国と国の約束事」ですから、個人の裁判を起こす権利までをも拘束する規定を作ることがとても難しいものです。冒頭の発言をしたジャーナリストは、そこまで言うのであれば「個人を拘束する国際法」を考えるべきです。

 ただ、私は「請求権放棄をここまで矮小化していいのだろうか。」といつも思っています。というのも、いわゆる平和条約や不正常な状態を解消する条約は、「色々あったけど、これから新たな二国間関係を築いていくために、これまでの話はチャラにしよう。」というものです。それがどんどん個人請求権で穴が空いていくことは、そもそもの条約の理念に大きく反すると思います。

 両国とも「その話は国内で解決してね。請求権放棄と一体のものとして約束した経済協力もしたでしょ。」と言い伝えるのが筋です。日韓基本条約締結時の大統領は、今の大統領のお父上である朴正煕です。条約の基礎的な部分を理解してほしいものです。いずれにせよ、この件に国家が関与することは絶対あってはなりません(それをし始めたら、完全に国際約束破棄になってしまいます。)。

 冗談みたいな話になるかもしれませんが、これだけ請求権放棄が矮小化されてしまうと、誰か日本で中韓に財産・請求権裁判を起こすことも可能であるという法理になってしまいます。

 先人は、日韓、日中の二国間関係の将来の発展を願い「チャラ」にしたのです。かつて、外務省の先輩から聞きましたが、それはそれは緻密な作業だったそうです。細かく漏れがないようにやった条約を、個人請求権で蟻の一穴みたいな状態にすることがとても残念でなりません。