先のエントリー に対して、色々なご指摘を頂きました。どうも上手く意図が伝わっていないような印象があります。
私が言いたいのは、「集団的自衛権を容認するかどうかは、日本国の意思として大いに議論すればいい。ただ、それが国際法上権利として認められているから『当然にして』日本の国内でも認められなくてはならないという論の立て方は間違っている。あくまでも判断するのは日本国である。」ということです。私の集団的自衛権についての考え方の一部はこのエントリー に書いている通りです。
国際法上認められているから、当然にして日本国内でも認められるべきだ、というのは、国際法を憲法よりも上位に置く考え方です。そんな事を考えている人はいないでしょうが、実は「持っているのに行使できないのはおかしい」と主張している方の話をよく聞いていると、そういう論理構成をしている人がいます(少なくとも混同している。)。
この事自体は、集団的自衛権が、自然権であろうと、国連憲章第51条に起因するものであろうと、あまり関係ないのです。実際には、国連憲章制定時に国連による集団安全保障が常任理事国の掣肘で機能しない時のために、第51条が設けられたわけでして、その過程で「固有の(inherent)」という言葉が入ってきました。それ以前に集団的自衛権という考え方が広く国際慣習法化していたとは思いませんが、とにもかくにもそういうことになったわけです。
ただ、国際法がどうであろうとも、それをどう国内で行使し、しないかというのは、偏に日本国としての判断です。そして、その最高法規は日本国憲法です。「国際法上、保有することが出来るけど、それが国内で使えないという状態はおかしいから、『日本国の意思として』憲法改正、あるいは解釈を変更しよう。」というのは当たり前の事です。
ここは単なる法的な瑣末な解釈論ではありません。むしろ、ここがスタートラインでして、ここで「国際法で認められるものは、当然にして国内でも認められる」論が罷り通ると、今、起こっているプロセスでもとても議論が混乱するのです。
日本は、国際法の直接適用を基本的にはやらない国です(例外は結構ありますけども)。国際法は常に国内法制度で担保していくようにしています。国際法を日本が締結する際、国内法改正が必要なものは関係法令について国会審議をしますし、国内法改正が必要でないものについては行政取極として閣議決定で通します。例えば、今交渉しているTPPなんてのは締結に際して、条約本体と関係法令をそれぞれ外務委員会、関係法令を所管する委員会で審議します。
それが、集団的自衛権については、国内法改正ではなく憲法改正あるいは解釈変更になっているだけです。集団的自衛権は「権利」であって、「義務」ではありませんから、それを行使するかどうかは偏に日本国としての自立的な判断が必要、という当たり前の事を言っているだけです。
こうやって説明すると「当たり前だろ」と思うかもしれませんが、論者によっては「国際法の直接適用を憲法にも及ぼすべき。」と言っているように聞こえる方が結構います。その辺りの論理的な整理について書いているだけです。
そんなに大々的なことを書いているわけではありません。