何度か同じことを書いているので、「またか」と思われる方がおられると思いますが、歴史認識が問題にされる御時世ですので、少し解説と思いを述べておきたいと思います。


 先の戦争に関する日本のポジションの根本のところの一つに、日本との平和条約第11条というのがあります。この条約、正文は英、仏、スペインの言語でして、日本語は正文ではありません。申し訳ありませんが、私はスペイン語が出来ませんので、そこは落として以下の話を進めます。


【日本との平和条約第11条(日本文:正文ではありません)】

日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(以下略)


【日本との平和条約第11条(英文:正文)】

Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.(以下略)


【日本との平和条約第11条(仏文:正文)】

Le Japon accepte les jugements prononcés par le Tribunal Militaire International pour l'Extrême-Orient et par les autres tribunaux alliés pour la répression des crimes de guerre, au Japon et hors du Japon, et il appliquera aux ressortissants japonais incarcérés au Japon les condamnations prononcées par lesdits tribunaux.(以下略)


 ここでよく問題にされるのが、「judgments(英)」、「jugements(仏)」、「裁判(日)」が何を指しているかということです。一部には、フランス語の「jugements」に続く「prononcés(言葉として発せられた、くらいの意味)」という単語(英語にはない)を取り上げて、ここでいう「jugements」というのは「裁判」ではなくて、「死刑、無期懲役といった判決のみである」という主張がされます。


 安倍総理の国会答弁を聞いていると、この辺りを相当に意識しているのだなということが分かります。安倍総理は、基本的には「ジャッジメンツ(judgments)を受け入れた」という表現を好みます。勿論、議論が進んでくれば「裁判」と日本語で言っている答弁もたくさんありますが、本心のところで日本語の「裁判」という訳を多分嫌っていて、本当は「判決だけ」と言いたいのだと思います。


 しかし、政府の答弁では、この辺りは排除されています。


【参議院外交防衛委員会(平成17年06月02日)】

○政府参考人(林景一君) お答えいたします。
 先生も今御指摘のとおり、サンフランシスコ平和条約第十一条によりまして、我が国は極東国際軍事裁判所その他各国で行われました軍事裁判につきまして、そのジャッジメントを受諾しておるわけでございます。
 このジャッジメントの訳語につきまして、裁判というのが適当ではないんではないかというような御指摘かとも思いますけれども、これは裁判という訳語が正文に準ずるものとして締約国の間で承認されておりますので、これはそういうものとして受け止めるしかないかと思います。
 ただ、重要なことはそのジャッジメントというものの中身でございまして、これは実際、裁判の結論におきまして、ウェッブ裁判長の方からこのジャッジメントを読み上げる、このジャッジ、正にそのジャッジメントを受け入れたということでございますけれども、そのジャッジメントの内容となる文書、これは、従来から申し上げておりますとおり、裁判所の設立、あるいは審理、あるいはその根拠、管轄権の問題、あるいはその様々なこの訴因のもとになります事実認識、それから起訴状の訴因についての認定、それから判定、いわゆるバーディクトと英語で言いますけれども、あるいはその刑の宣告でありますセンテンス、そのすべてが含まれているというふうに考えております。
 したがって、私どもといたしましては、我が国は、この受諾ということによりまして、その個々の事実認識等につきまして積極的にこれを肯定、あるいは積極的に評価するという立場に立つかどうかということは別にいたしまして、少なくともこの裁判について不法、不当なものとして異議を述べる立場にはないというのが従来から一貫して申し上げていることでございます。


 この答弁は、自民党政権下でこれまで3回ほどなされています(民主党政権下では、一度もありませんでした。)。確立した答弁と言っていいと思います。簡単に言うと、「judgments(英)」、「jugements(仏)」の中には、いわゆる東京裁判のすべてが含まれているということです。


 さて、ここから難しいのですが、「accept(英)」、「accepter(仏)」という言葉の意味合いです。辞書で引いてみると、色々な解説がありますが、全体として一定のポジティブさを持って受け入れているというニュアンスがあります。英英辞書系のものを見ていると、解説に「affirmatively」、「with favor」、「agree」、「consent」みたいな言葉が入っていることが多いです。そう考えると、上記政府委員答弁の「少なくともこの裁判について不法、不当なものとして異議を述べる立場にはない」というのは、英語の語感から言うと「accept」というよりも「receive as such(そのまま受け止める)」くらいでして、少し下がった感じがします。その他にも「東京裁判について、損害賠償を求めたりしない、ということである。」みたいな安倍さんの答弁もありますが、そこまで行くと後ろに下がり過ぎだと思います。


 そもそも論ですが、この11条というのは平和条約のキモをなすところの一つでして、東京裁判をあるがままに受諾して、将来的にひっくり返さないことを条件に平和条約締結を行っています。この規定なしに平和条約は成立しなかったでしょう。私はそこにチャレンジしない方が賢明だと思いますし、それが国際法上も正当です。


 そこから更に難しいのは、東京裁判で展開された個々の事実認識をすべて受け入れたのかということです。個々の裁判について色々な問題点や誤解が指摘されていることは、私も分かっています。ただ、私はそこにもチャレンジしない方が賢明だと思います。正文の語義通りに「受諾した」ということです。


 ここらへんを詰めて国会審議に臨んでみるのがいいと思うのです。今はこの手の質問をしたとしても、閣僚から「ジャッジメンツを受け入れた」と答弁されたところで、殆ど止まっています。詰めが甘いような気がします。個人的には、幾名かの右派系大臣に「judgmentsにはいわゆる東京裁判すべてが含まれるという理解でいいか」、「それを英語の語義通りにacceptしたということでいいか」ということを聞いてみたいところです。きちんと「東京裁判全体にチャレンジしているわけではない」という事が答弁上明らかになってくれば、周辺国との関係も少しずつではありますが、改善に向かっていくのではないかと思います。


 昔から言っていますが、私にはこの話を出来るだけ早く収拾させたいという意図があります。最近、特に欧州のメディアで日本を報じる際に「歴史修正主義」、「歴史否定主義」という用語が頻出するようになってきました。これは欧米では「ナチスのガス室はなかった」、「ユダヤ人虐殺は大したことではない」という主張をする勢力に対して使われる表現です。日本にいるとピンと来ませんが、この用語が出てくる度に日本の評価は下がっていきます。とても危険なことでして、早く止めなくてはなりません。その観点からも、国会答弁等で緻密なかたちで「日本は東京裁判にチャレンジしない」というメッセージを出させるべきだと思うわけです。